「亜人ちゃんは語りたい」を語りたい
この記事は
「亜人ちゃんは語りたい」の記事です。
ネタバレありますのでご注意下さいませ。
凄い好きな絵
「甘々と稲妻」の最新4巻を買いましたら、中にリーフレットが入ってました。
「ヤンマガサード」連載作品6本の第1巻が出ますよと言う内容のリーフレット。
この中で最も目を引かれたのが今作でした。
唯一試し読みとして1話まるまる載っている程一番ページが割かれていたので、当然と言えば当然なのかもしれませんが…。
それだけではなくて、絵に惹かれてしまったんですよね。
目新しさは無い。
派手さも無い。
けれど、必要最低限の線でスッキリと纏まった途轍もなく馴染みやすい絵。
ああ、良いなぁ。
こういう絵、好きだな〜。
そんな感じで目について、試し読みを読んで。
最初の感想としましては、「薬にも毒にもならない系の日常コメディ」でした。
ちょっとクスっとして、淡々と読み進めて行くような。
疲れた脳にはうってつけの感じなのかなって。
というのも、亜人(今作では「デミ」って読むので、以降「デミ」と表記)の設定が「ちょっとだけ人とは違う」というだけなんですよね。
ファンタジーに出てくるような感じではなくて、見た目も中身も基本的には普通の人と同じ。
ちょっとだけ、普通の人とは違うんだよという非現実的存在ではあるものの、割とガチで現実に寄せて作られているんです。
だから、「萌え漫画」とか「日常漫画」とかに区別されるようなタイプの女子高生の日常を描いた作品に思えたんです。
内容にはそこまで惹かれなかったというのが正直な第一印象でした。
そんな中、昨日横浜の有隣堂に行ってみたら、大々的に宣伝されてるじゃないですか。
実物を手に取って、改めて表紙絵を堪能し、飾られていた複製(?)原画を拝見したら「これは買わなきゃ!!」となってしまいましてね。
速攻で購入した訳ですよ。
とらのあなで(ぇ
…有隣堂さん、すみません。
えと、話を戻しまして。
とらで買ったらリーフレットが特典で付いてましてね。
連載前に描かれたという「そなえちゃんは退魔師」という6ページの漫画が載っておりました。
この漫画に対して作者のペトス先生がこう述べられています。
いわゆる「女の子が可愛い萌え漫画」のつもりで描いた
と。
どうも先生は知人の方々から「それは違うよ」と言われたそうなのですが、僕も読んでみて「それは違うかな」と感じました。
この
「萌え漫画として提供された作品を読んでみたら、ちょっと違うかな」
って感覚。
これってこの漫画をオススメする際には重要な感覚なんだと思うのですね。
と言う訳で、この観点からこの漫画を語りたい!
萌えとか日常系漫画では無かったなという事を語っていきたいんです。
「デミちゃん」を予習する
と、その前に予習は必要ですよね。
今作がどのような漫画なのかをまだ今作を読んでない方に説明せねばです。
ふふふ。
今回は凄いですよ。
滅茶苦茶分かり易く、伝わりやすい説明が出来る自信があるです。
しかもたったの2行で…です。
頑張りました、今回。
と言う訳で、説明を2行に纏めてみますよ!!
ペトス「亜人(デミ)ちゃんは語りたい」インタビュー - コミックナタリー 特集・インタビュー
デミ系女子が可愛すぎる件「亜人ちゃんは語りたい・第1巻」 - 無駄話
説明終わりです。(最悪)
結局他力でごめんなさい。
で、でも、分かり易く伝わりやすいのは本当です。
リンク先の記事2本を読んで頂くだけで、今作の内容も雰囲気も掴めると思います。
先ずは無駄話さんのレビューを読んで、「どんな子達が出て来るのか」・「どんな感じの漫画なのか」を掴んで下さい。
その後で、コミックナタリーの先生インタビューを読むと。
最後に同記事内でリンクが張られている第1・2話試し読みで、実際に作品に触れてみて下さい。
(試し読みは、期間が設定されている恐れがあります。)
ではでは、ここから僕個人の感想を。
萌え漫画じゃ無い
今作が女子高生達の淡々とした日常を切り取ったエピソードを中心に据えた漫画という感想は、1巻を読み終わった今でも変わっておりません。
そこは第一印象と変わらないんです。
ただ、それだけじゃないドラマがしっかりと根付いている漫画であり、かつ、「こういうのが萌えるだろ」と供された"計算された萌え"が無い漫画であると認識を改めたんですね。
後者に関しては、ナタリーのインタビューでも触れられている通り、ペトス先生としたら
「デミちゃん」は萌え漫画のつもりで描いている
という事なんですが、これまた僕としたら「違うかな」と思った次第でして。
作者としては"計算された"ものなのかもですが、僕は"読者が見出していく萌え"なんじゃないかなと。
勿論、単純に「これは良い!!」と思えた萌えポイント(絵)もあります。
こういう顔とかね。
ボブカットが最高に似合う雪女の雪ちゃんの見た目が僕的にドストライクだったりとか。
人によっては、デュラハンの京子やサキュバスの佐藤先生らにも萌えられることでしょう。
探せばいくらでも萌えポイントは出てくるんです。
それでも、ちょっと違うかなというのは、やはり"計算された萌え"とは思えない点にあります。
"計算された萌え"というのは、簡単に言えばあざといか否かです。
別に悪い意味では無いです。
あざとさって大事ですよ。
萌え漫画にとっては大事な点だと僕は信じてます。
だって、その手の漫画では「可愛い」事が最重要な訳ですから。
極論、一番のアピールポイントを読者に示すんですから「あざといな」と思わせた方が勝ちなんです。
でも、今作から受ける印象はそうじゃありませんでした。
萌えを主食とする読者が好きな要素をかき集めて、全力で「どうだ!!可愛いだろ!!」とド直球で訴求してくる作品とは違うんですよね。
可愛い表情、可愛い服装に可愛いポーズ、可愛い台詞。
そういうものを主成分に構成されている訳では無くて、もっと素朴な自然な印象を受けたんです。
何故こういう印象を持ったのか?
ペトス先生のインタビューを読んで納得いきました。
「デミちゃん」って、コメディはコメディなんでしょうけど、一番描きたいのは、もっと細かい部分で。亜人がいる現代社会をリアルに描きたいというか、ナチュラルな会話の流れとか嘘くさくない設定とかを読者に「ほう、なるほど」って思っていただけるとうれしいですよね。
全てに於いて「作られた印象」「計算された印象」が無いのは、そういう風に作られていたからなんだなって。
だから、萌え漫画かと言われると、僕は違うよと答えます。
萌え要素はあります。
けれど、そうじゃないと。
じゃあなんなのと問われれば、改めて「萌えを読者が探していく漫画」と僕は答えますね。
萌えを読者が探していく漫画
もう1つ、萌え漫画に成り得ない点について見てみます。
無駄話さんの記事を拝読して、納得出来た点なんです。抜粋させて頂きます。
(改行は僕の方で勝手に入れてます。ごめんなさい。)
主人公に相当するのが教師の高橋先生。
大学時代にデミに興味を持ちますが、何もできぬまま教師になったため、デミに非常に興味を持っています。
だからこそデミに対して変な目でみることのない、純粋に興味として接していきます。
ようは「誰目線」なのかという話。
通常萌え漫画は「読者目線」だと僕は思うんです。
「萌え漫画が大好きな読者目線」を意識して描かれているから、「計算された萌え」で構成されている。
今作はこの高橋先生目線で描かれている。
「女子高生可愛いぜ」とか「デミって最高だぜ」という目線で、高橋先生はひかり達デミと接していない。
だから余計に萌え漫画には見えないんです。
さてさて、高橋先生目線で描かれているって大事。
デミって、普通の人とちょっとだけ違うだけという設定。
「モンスター」とか「怪物」では無いんです。
人と同じように悩むし、同じように苦しんでいる。
人と違うのは、その悩みや苦しみが「デミならではのもの」もあるってこと。
デミというだけで、ヒドイ差別を受けて来たのかもしれない。
人と同じように生きたいのに、生きれない辛さを抱えているのかもしれない。
「かもしれない」んじゃなくて、実際にそうですよという部分がシリアスに描かれているんです。
デュラハンちゃんの悩みなんて、結構深刻ですよ。
頭と体が離れているから、普通の女の子のような恋愛は出来ないんじゃないかって悩んじゃう。
恋愛で不利なんじゃないかなって。
今作に出てくるデミの中では最も「人間ぽくない」ですからね。
デミの出自も考えれば考えるほど重い設定なんです。
一族纏めて皆デミって訳では無くて「普通の人間同士の親から、突然変異で生まれる」から、両親や兄妹が人間でも、1人だけデミだったりするらしいです。
だから、吸血鬼のデミであるひかりの双子の妹・ひまりが普通の人間だったりするわけです。
双子なのに、姉はデミで妹は人間。
双子の間で過去に色々あったんだろうなって事が雪(雪女のデミ)が陰口叩かれてしまうエピソードから窺えたり。
全体がコメディタッチで纏められているから軽く読み進められるんですが、ちょっと横に踏み外すだけでいくらでもシリアスに持っていけるんですよね。
こういったデミならではの悩みとかを高橋先生と語り合う事で、ゆっくりと解決していきましょうねと。
折角出会ったデミ4人の絆を大切にして、乗り越えていきましょうねと。
1巻のラストはそういう締め括り方で、キャラの内面を丁寧に描いていく作品なんだと感じたんです。
彼女たちの良さを伝えるには、とりあえず数を絞って、ゆっくり内面を掘り下げないと難しいかなと思って
と先生がインタビューで語られていた通りの印象を受けました。
さて、キャラの内面が分かっていくと、キャラを好きになれます。
すると、「普段はどうも思わない事」でも「これは萌える」となっていくんですよね。
何でも無いセリフが、途端に萌え台詞に変わる事もある。
だから、「萌えを読者が探していく漫画」なんですよ。
ちょっとずつちょっとずつ萌えポイントが増えていく可能性を秘めていると。
個人的に分かり易い例えと言えば、アニメの「けいおん!」。
あくまで僕個人の感覚ですが、1期は視聴者目線の萌えアニメでした。
僕はこの時点で唯達の可愛さに心を打ち抜かれてしまったのですが、2期で更に好きになれたんです。
2期は(特に後半に行くにつれて)梓目線で描かれてるんですよね。
「計算された萌え」から「キャラの心の内側のドラマ」にシフトしていき、キャラクターがより深く描かれていった。
梓は、萌え対象として唯達上級生を見てない(梓自身唯達を「可愛い人達」として見てる事もあるので、ちょいと高橋先生のケースとは異なりますが)から、「計算された萌え」成分は薄まっていたのかなと。
その分キャラの内面描写が掘り下げられ、より彼女達を好きになり、萌えられるようになっていったんです。
「デミちゃん」はさながら「けいおん!!」の梓目線の更に"紳士版"とでも言いましょうか。
可愛いぜ的目線がほぼ無い状態から、萌えを育んでいく・探していく。
「あざとい萌え」はちょっと苦手だけれど、萌えたいという読者には持って来いの漫画なのかもしれません。
終わりに
買って良かった。
素直にそう思えた良作に出会えました。
この手の漫画は、キャラクターを本当の意味で好きになってから、改めて一から読み直すと再発見が多いのかもですね。
当時はこの台詞では何とも思えなかったのに、今では萌える…みたいな。
そういう発見が出来そうですし、再読の楽しみの多いタイプと言える気が致します。
- 作者: ペトス
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2015/03/06
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