Mangaism

アニメ、漫画の感想や考察を書いてます

「HUNTER×HUNTER」をバトルアニメ映画のテンプレに当て嵌めてはいけない

この記事は

「HUNTER×HUNTER 緋色の幻影」の感想記事です。
ネタバレありますのでご注意下さいませ。

はじめに反省ありき

僕のスタンスとして、基本的に作品を悪評するような事はしないとし、一応そのもとで記事を書いているつもりです。
とはいえ、過去に何度か書いてしまい、その都度反省している訳ですが…。
うん。ゴメンナサイ。
今回も決して褒め称えるような記事ではありません。

映画「HUNTER×HUNTER」に関しての記事です。
さて、僕は原作を「WJ」本誌で読んでいるだけであり、コミックスを買っている訳ではありません。
つまり、作品を読み込んでいる訳では無いのです。
だから、キャラの描写についてなど深い事は語る資格も無いし、語ることも出来ないので、物語の骨子とでもいうのかな。
この映画のテーマに関してのみ、言及させて頂きますね。

バトルアニメにしてしまった事によって生じた歪

そもそも「HUNTER×HUNTER」ってどんな漫画かという話にまで戻ると思うのです。
これは人によって様々でしょう。
バトル漫画だと思う人もいれば、冒険活劇だと思う人もいる。
人間賛歌だと唱える人だっているかもしれない。

もし僕が「HUNTER×HUNTER」をバトル漫画だと思っていたのならば、この映画を楽しめたかもしれません。
しかし、僕は今作をバトル漫画だとは思っておりません。
冒険活劇というのが最も近いかもしれない。
少なくともバトル漫画とは考えていませんし、それに関しては過去に記事にもしました。

でも、この映画はバトルアニメのメソッドで作られていたのです。
大きな敵が現れて、友情と根性でその敵を討つ。
強大な敵を倒す理由は、奇蹟とか根性とか、突然のパワーアップとか。
とかく理屈抜きなんですよね。昔からある単純明快な勧善懲悪を旨とした物語。
ゴンとキルアが「絶対に勝てない筈」のイルミに勝てたのも、根性以外の何物でも無い。
2人が斃した「イルミ」が人形であり、本物以下の実力だったとはいえ、勝てたのは奇蹟に等しい気がします。

このように今作の骨子もこれで成り立っていて。
でも、それではダメだという事が如実に現れてもいたので、どこか歪になってしまっていたように感じました。

バトル漫画だと、当たり前ですが主人公が大ボスを打ち負かすのが常識です。
ですが、今作のゴンって、そういうタイプの主人公じゃないんですよね。
これまでの原作を思い返しても、せいぜい「G・I編」でゲンスルーを破った位でしょうか。
この点も今作をバトル漫画だと見做していない要因なのですが、ラスボスを倒さない(倒せない)主人公がゴンなんだと思っていて。

スタッフとしてもそこは重々承知しているのか、この映画のボスであるオモカゲを倒す役目をゴンにしていないんですよね。

あくまで僕の妄想ですが、だからこそ、クラピカが前面に押し出されたのかなと。
クラピカを「主役」にする為に、旅団を引っ張り出して、オモカゲを元No.4と設定して…。
更には、眠っていた冨樫先生のネームの内容を組み込んだ。

ゴンがラスボスを倒せないのに、バトルアニメ映画の骨子を取り入れてしまった事をこれで回避出来た。
…と思ったら、今度は「クラピカにこれ以上人を殺して欲しくない」というゴンとキルア共通の想いが邪魔をしてくるわけです。
ややこしい事に。

そこで、作中のような結末になったのかもですが…。
こう妄想すると、この映画の歪さも浮き彫りになる気がするんです。

上にも書いたように、ゴンはラスボスを倒せません。
(倒しても問題無いけれど、それだと本格的に「HUNTER×HUNTER」で無くなる気がする)
でも、主人公に見せ場が無いまま終われる訳も無く。
主人公に見せ場が無いというのは、漫画やTVアニメの中の1エピソードならば問題無くても、1本の映画となると大問題となりますから。

そこで、キルアにスポットが当たり、キルア視点でゴンの見せ場を演出。
ゴンの真っ直ぐな友情を描こうとされていました。
(この映画で描かれていたキルアの友情物語は、キルアを描くものでは無く、ゴンを描く為だったと思っています)
ただ、これについても、色々拙かった点もあったようです。
以下リンク先のでぃむさんの感想記事等を参考にして下さいませ。
参考:そりゃ悪手じゃろ 「炭鉱のカナリア」さん
(映画に対して辛口の感想となっておりますが、間違いなく作品に愛があるからこそのものだと思います。)

こうしてゴンを描いていたものの、更に弊害が。
クラピカの影が薄くなってしまってました。
冒頭で目を奪われ、中盤でオモカゲの事を知らされ、終盤ゴンらと合流して戦い…。
上映時間の殆どの尺が「キルア視点のゴンの物語」に割かれていた為、かなりぼやけてしまっていました。

結局、映画を観る前に思っていた「クラピカを主役とした旅団との因縁を軸とした物語」は、どこにもありませんでしたね。
全く無かった訳では無いですが、肝心な部分は殆ど描かれていませんでしたから。

唯一分かったのは、クルタ族虐殺にパイロが関わっていなかったという事でしょうか。
てっきり彼が真犯人だと思い、そんな事を書いた記事まで上げてしまったのですが、違っていましたね。

クラピカの扱いがどうも中途半端に思えました。
ただこれも、ここまで「クラピカの物語」かのような宣伝をしなければ問題無かった点で、これについてもどうにかならなかったのかなって。

制約と誓約

結局は、原作に課せられた制約を巧く料理する事が出来ず、大きな反動が脚本に出ていたのかなって。

クライマックスのバトルシーンも疑問だらけでしたし。
例えば、クラピカのチェーンジェイル。
これも制約と誓約で威力を向上させている能力ですけれど、「幻影旅団にしか使えない」という制約って、あんな簡単なものなのかなって。
「クルタ族虐殺に参加していて、クモの刺青をまだしているから、お前は旅団員。だからOK」という論理がアリなのでしょうか?
これがOKだとかなり緩い制約になる気がするのですが。

また、このチェーンジェイルを打ち込む隙についても、オモカゲがヒソカを攻撃した瞬間に生まれているんですよね。
わざわざ大声出してゴンとキルアが盾になりに行く必要が無かった。
ゴンに活躍の場を与える為とはいえ、ちょっと「H×H」らしくないシーンでした。

やはり、この作品にバトルとしての側面を強くした物語って難しいと思うのですね。
それこそ「DRAGON BALL Z」や「幽☆遊☆白書」のような伝統的なジャンプ映画に倣うのでは無くて「映画ドラえもん」の方向性の方が向いていると感じます。

そもそもが「根性やら奇蹟で敵を倒す物語」とは最も縁遠い作品ですから、バトルアニメ映画の理屈は入れてはいけないと思うのですよね。
早くも劇場第2弾が発表された今作ですが、次作はもっと冒険色やメッセージ性を強めた物語に期待します。