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アニメな日々、漫画な月日

アニメ、漫画の感想・考察

岡田磨里さんが描こうとしているモノを考えてみる 「あの花」感想まとめ

この記事は

リアルタイム時の「あの花」感想まとめです。
謎のコラムもあるよ。

はじめに

昔書いた記事を掘り起こそう企画です。
「あの花」の感想をその当時のまま掲載します。
途中、脚本家の岡田さんについて書いた考察めいたものもありますので、時間があれば読んでみて下さい。
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1人の人間が当時何を感じて、どう綴っているのか。
その変遷を見届けて下さい。
但し!!!!!暇人限定です(笑
クッソ長いので。

第1話

うぉぉぉ。これは面白そうなアニメがぁぁぁ!
朝からテンションあがりますよぉぉ。

僕って基本的に背景美術が描きこまれた作品って好きなのかもです。
しかも都会というより、まだまだ古き良き「日本の夏」が似合うような自然に溢れた場所が舞台。

それだけで画面に、描き出された世界に引き込まれてしまうのかなぁ。

物語的には5人+1人の少年少女たちの青春譚という形ですね。

小さいころ、水害なのかな?
溺れてしまったのか、亡くなってしまった少女・めんま。
そのめんまが「成長した姿」となってじんたんの目の前に現れる。
でも、めんまはじんたんにしか見えない存在で…。(質量は誰でも感じるようですが)

小学生の頃と高校生の今。
人間ってそんなに簡単に変わらないと思うのですよね。
根っこの部分は同じはず。
幽霊とはいえ、中身の変わらないめんまの描写がそれを如実に表している気がしますし、だとするとこの物語は、それを前提としたお話なのかもしれません。

変わったのではなく、めんまの死によってそれぞれが心に何らかの傷を負ってしまった。
変わった(成長した)のではなく、皆あの頃の夏で止まってしまった。
めんまの「復活」が、そんな彼ら5人の傷を癒しあいながら、前へと進んでいくお話。

そういう物語になるのかな?
分かりませんけど。

少なくとも、じんたんはそういうキャラに見えますね。
どう見ても「あの日」で時が止まっている。
引きこもっているのは、止まっていることの表れ。

でも、そんなじんたんが変わるのがOPで示されていましたね。
本編中でじんたんが来ているTシャツには、引きこもりですと言わんばかりの「地底人」のロゴ。
今の彼の現状を表現しています。

しかし、OPでは「西へ東へ」。
どこまでも歩んでいく。歩んで行ける。
そんな彼の「変化」を表現しているようなロゴ。

めんまは、夏が見せる陽炎なのか?
じんたんのストレスが生んだものなのか?

何にせよ、彼女が生きている少年たちの背中を押すような展開になりそうです。


最近「面白い」と思う作品の脚本(シリーズ構成)は殆ど岡田麿里さんだなぁ。
兎も角、ドラマ面で実に僕好みの作品がいよいよもって始まってくれたかな!
次回以降も期待です。

第2話

これは面白いですよ。本当に。

前回、感想にて

小学生の頃と高校生の今。
人間ってそんなに簡単に変わらないと思うのですよね。
根っこの部分は同じはず。
幽霊とはいえ、中身の変わらないめんまの描写がそれを如実に表している気がしますし、だとするとこの物語は、それを前提としたお話なのかもしれません。

変わったのではなく、めんまの死によってそれぞれが心に何らかの傷を負ってしまった。
変わった(成長した)のではなく、皆あの頃の夏で止まってしまった。
めんまの「復活」が、そんな彼ら5人の傷を癒しあいながら、前へと進んでいくお話。

と書きました。

ちょっと違いましたが、基本線は遠からずって感じなのかな?

めんまは今の所、じんたんにしか見えないので、「見える存在」でのめんまと同格のキャラが必要。
それが鉄道(ぽっぽ)なのかな。

彼は本当に変わっていないようです。
僕なんかからすると、じんたんよりもぽっぽの方が格好良いし、「強い」ように見えるんですが、彼からすると、自分よりもじんたんの方が強いと感じるんですね。

これは、ぽっぽが変わっていない事にも通じますし、ぽっぽから見ると、じんたんもまた、当時と変わっていないのでしょうね。

これは久々に会ったからなのかな?
変な色眼鏡でじんたんを見ていないから、本当のじんたんが彼には見えているのかもしれませんね。

そんなぽっぽが齎す懐かしい絆。

あなると共にゲームに興ずるじんたん。
めんまの為の「作業」ではあったものの、めんまの望んでいた事では無かったものの、じんたんにとって「楽しい」と思える出来事。

これは、あなるにとっても同じだったんじゃないでしょうかね。

こうやって少しずつ、昔の仲間が昔のように集まっていくのでしょうね。
そう思わせてくれる描写も多々ありました。

顕著だったのがあなる。

見た目からしても最も昔と変わってしまったかのような彼女ですが、ぽっぽが見抜いたように何も変わっていなかったんですね。
彼女もまた、めんまが好きで、めんまの死に深い傷を負っていた。
ゆきあつやぽっぽもそうですが、じんたんの言う「めんまが見える」という常人から見るとただの妄言を信じるんですよね。
普通だったらバカにしてもおかしくないことなのに。

これって、じんたんを信頼しているというより、めんまの事を皆が想っているからなんでしょうね。
誰もがめんまに会いたいと想っている。
生きていてほしかったと心底想っている。
だから、じんたんの言葉を信じたというよりも気持ちが共有できたのでしょうね。

ぽっぽが超平和バスターズ「再結成」のきっかけを作る展開となりそうですが、「再結成」の中心にはめんまが居る。

これ、他のメンバーがめんまの姿を視認出来るようになったら爆泣きすると思います。
今回見ていただけでも泣きそうになりましたもん。

死を物語の中心に扱っている割に、全く暗く感じないのも良いなぁ。
基本的にめんまが明るく振る舞っているからと言うのもありますし、「未来」に目を向けた青春劇だと(個人的に)感じれるからなのかな。

良いなぁ。面白いなぁ。

(ところで、めんまの願いはじんたんの特技が関係してくるのかな?
じんたん、マラソンで表彰される程みたいですしね。
引きこもりのじんたんがめんまの為にマラソン大会に出るなんて展開になったら熱いなぁ。)

第3話

きっと、「ゆきあつ」の自作自演なのでしょう。
これも全て「めんま」への愛ゆえの行為なのかな。

「ぽっぽ」の事を理解し、性格を正確に把握しているからこその行為。

きっと、「めんま」を見たと言って騒ぐだろう。
きっと、あの頃の皆を集めるだろう。

そして、その場に出向いてどうどうと「じんたん」に言えばいい。
「めんまの事を今でも想っているのはお前だけでは無いんだぞ」と。

全ては「じんたん」への対抗心。


これまで普通に「ゆきあつ」も「めんま」の事が好きだったのだと思っていたのですが、ちょいと違うのかもしれませんね。
彼は、「めんま」の女性としての面に強い憧れにも似た感情を抱いていたのかも。
男ながらに「めんま」のようになりたい。
「めんま」でありたいと感じていたのかもですね。

「つるこ」を付きあわせたこれまでの買い物も全部自分の為だったのかもしれません。
「じんたん」よりも「あなる」寄りの気持ちを「めんま」に抱いていたのかな。


ところで、前回のコメレスでも書いたのですが、「ぽっぽ」がどのように「仲間」に加わるのかが気になります。

あの頃。
「超平和バスターズ」は「めんま」が中心にいた。
「じんたん」、「めんま」、「あなる」の関係は既に描かれました。
また、「ゆきあつ」が「めんま」の事を想っている事も語られ、「つるこ」もそんな「ゆきあつ」が気になる様子。
「つるこ」が「めんま」の事をどう思っているのかは分かりませんが、間接的にも影響は受けています。
なので、「ゆきあつ」、「めんま」、「つるこ」の間にも三角関係が存在していそうです。
(必ずしも恋愛関係的な意味では無く)

そうなってくると、一人だけ違うのが「ぽっぽ」なんですよね。
彼にとっての「超平和バスターズ」の中心はあくまでも「じんたん」。
それは今も変わらないと思われます。

「めんま」を探そうと言い出したのもきっと「じんたん」が「めんま」を見たと言ったから。
他の者が言っても彼は気にも留めなかったような気がします。

あの頃と変わらない「ぽっぽ」。一見既に「仲間」になっているようですが、彼だけサークルから外れている気がしてなりません。
彼は「めんま」の事をどう考えているのか。どう想っているのか。
今後のキーは彼なのではないでしょうか。

第4話

「ゆきあつ」の「めんま」に対する想いが実に切ないですね。

彼が女装をしてまで「めんま」になりきっていたのは、別に異常な行動という訳では無いと思うのですよね。
確かに行き過ぎてはいますけれど、「変態」というには可哀相な事だと考えます。

「ゆきあつ」は「めんま」が好きだったんですよね。
それは恋愛=LOVEという意味での好きなのか、はたまた憧れという意味なのか。
どちらかはまだまだ分かりませんが、好意を寄せていたのは事実。

でも、「めんま」の死によって、その想いの行き場を無くしてしまった。
成就する事も叶わずに、されど忘れるには想いが深すぎて…。

鬱屈した想いは、ちょっとだけ屈折してしまった。

「つるこ」が彼の扮装を見破れたのは、ちょくちょく「めんま」に成りきっていたのかな?
それ程に、「めんま」に対する彼の想いは本当だったと思うんです。

でも、あまりにも独占欲が強すぎた。
「めんま」は自分一人のもの。そういう気持ちが強すぎたのでしょうね。

「騒ぎ立てないでくれ」という「めんま」の気持ちの代弁。
これは、明らかに「ゆきあつ」の言葉ですよね。

自分と「めんま」、2人だけの空間をこれ以上、妄言で騒ぎ立てるな
という「じんたん」への憤り。勝手な想い。

「めんま」の事を大切に想っているくせに、「めんま」が言うはずの無い事を言っていたと嘘を付く。
「めんま」が言うはずの無い言葉というのは、「ぽっぽ」が「じんたん」の言葉(実際の「めんま」の言葉)に賛同したのをみれば分かりますしね。

好きなはずなのに、好きな「めんま」の想いを捻じ曲げてしまった。
だから、女装がばれたのは天罰ですよね。

「つるこ」が彼の秘密を暴いたのは、そういう想いもあったのかもしれないですね。
これ以上「めんま」を穢す彼の行為に目を背けられなくなったのかも。

まぁ、単純に「ゆきあつ」を想っての行為でしょうけれど。



それにしても、切ないなぁ。
生きている「じんたん」達が「めんま」の死にそれぞれの傷を抱えたように、「めんま」も心残りの様なものがあったのですね。

泣きながら「ゆきあつ」の言葉を否定する姿が悲しいです。
幽霊になってまで悲しい辛い思いをしているなんて切ないじゃないですか。
「めんま」にそんな想いをさせてしまった「ゆきあつ」の好意は、ヨロシクないですよね。

「ゆきあつ」の気持ちは本気で、彼の心の傷も深いと思いますが、どうやって皆で癒せるのか。
このアニメは非常に目が離せません。

岡田磨里さんが描こうとしているモノを考えてみる

最近目覚ましい活躍を見せている岡田さん。
そんな岡田さんが今期手掛ける2作のオリジナル作品を通して描こうとしている事はなんなのか?
それをテーマとした考察記事です。

荒唐無稽な記事でありますが、一読の上反応頂けると嬉しいです。

今期の岡田麿里さんがシリーズ構成として携わっている作品はご存じのように2作品あります。
「花咲くいろは」と「あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。」ですね。

どちらも、ワタクシ、大嵌りして毎週見入っています。
実に面白い両作品であります。

さてさて、この2作品の共通点はなんだろうかと考えてみました。
簡単に幾つも言葉が浮かんでくるんです。

「ノスタルジー」
「青春」
「群像劇」
「美麗な背景描写」
「淡い恋愛」


一つ目と最後は一括りにしても良いような気がしますが、ざっと挙げるとこんなところでしょうか。
作家として岡田さんは、少年少女達の青春劇を描き出そうとしているのかもしれません。

ところで、上記で挙げた以外にも意外な共通点があるのではないかと思う訳です。

「親の不在」

という点です。

それぞれの作品を見てみます。
先ずは「花咲くいろは」。

主人公である緒花の父は、15年前に亡くなっており、母の皐月が女手一つで育ててきました。
しかし、そんな皐月も彼氏と共に緒花の前から居なくなります。
緒花を自分の母の元に預けて、自分たちは夜逃げしてしまったのですよね。

片親が生きてはいるものの、これは「居ない」ものと見て良いと思うのです。


続いて「あのはな」。
こちらも主人公の仁太(じんたん)の両親は「不在」です。
こちらは母が既に他界しており、父は居るものの、父親らしさが欠片も無いように見えます。

ちょっと強引ではありますが、「居ない」ものとみなせるのではないでしょうか。


そういえば、岡田さんの前クール作である「フラクタル」の主人公クレインの両親も「不在」でした。
こちらは両親ともに健在ではあるものの別居しており、「いろは」と同ケースとみなせそうです。



何故このような共通点を持たせているのでしょうか。
近年の「日常系作品」に多く見られる「親の不在」とは同じようで全く異なる現象です。

「日常系作品」に於ける両親は、画面外ではきちっと存在しております。
(殆どの場合恐らく)両親ともに健在で、同じ屋根の下に暮らしている。
ただ、映していないだけなのです。

その為、両親の存在がキャラに影響する事は全く無いんですよね。
親に翻弄される事も、構われる事も、無い。
こう考えると、ある意味「居ない」のと同じようなものですけれど、ちゃんと存在しています。


それに対して、岡田作品にとって親というものはキャラ(主人公)形成に多大なる影響を与えています。

緒花にとって母は反面教師です。しかも親の身勝手で祖母の経営する旅館で働かされる羽目になるも、
母譲りの人生観を持って前向きに頑張っています。
彼女にとって母は、良くも悪くも影響を与えており、緒花の人生を左右する存在であります。


仁太にとってはどうでしょう。
彼の今に最も影響を与えているのは、間違いなく芽衣子(めんま)でしょうね。
ただ、母の死というものが少なからず影響していそうです。
もし母が亡くなっていなかったら…。
もし父が父親らしい態度でじんたんに接する事が出来ていたら…。
じんたんはめんまの死という悲しい出来事を受け入れ、引き籠る事も無く普通の高校生活を謳歌していたのかもしれません。
これは勿論僕の妄想でしかありませんが、そんな事を想えるようなここまでの作劇だと考えます。


このように両作品の主人公の人生に多大なる影響を与えている親という存在。
どちらも良い影響とは言い難い(とはいえ悪影響とも言い切れない)、試練のようなものを主人公に齎しております。


岡田さんにとって2作品を通して言いたい事は色々とあると思われます。
その中の一つに、「親を乗り越える事」というのがあるのかもしれません。


身勝手な母を乗り越えて成長するであろう緒花。
母の死による心の傷を癒し、男として一回り大きくなるであろう仁太。

彼らが親という「障害」をどのようにして乗り越えていくのか。
括目してこの先視聴して見ようかな。

第5話

うう。
滅茶苦茶面白い。

今お金なくてBDの購入を控えているのですが、今作だけは買おう。
1話収録で4000円以上は高すぎですけれど、それだけの価値はあると思うんです。

物語の中心にはめんま。

■ゆきあつ
彼もめんまの死に責任を感じていたのですね。
さらには、純粋にめんまの事を好いていた。

だからこそ余計に想いがこんがらがってしまったのかな。

大好きだった子が自分のせいで死んでしまった。

めんまにもう一度会いたいという欲求。
反して、めんまから許して欲しいとも願っていた。自分の事を憎んでほしかった。

愛されたいという想いと憎まれたいという想い。
相反する2つの感情を持っていたのでしょうね。

そういう複雑な想いを持ちつつも、表面では愛情面が勝っていたのかな。
めんまのような白いリボン付きのワンピースを買っていたのは、その為なのかな。

でも、ある日突然、じんたんだけにめんまが見えているという事を知らされた。

好きだっためんまが自分の前に現れてくれなかった…じんたんを選んだのだという嫉妬。
それと共に、めんまは自分の事だけを思っているに違いないと考えていた自尊心も崩れてしまった。
例え憎悪という負の感情であっても、めんまに自分の事だけを考えていて欲しかったに違いないです。
そう思うんです。

そこから憎まれたいという想いがどんどんと肥大化してしまったのかな。

でもゆきあつは、この想いを無くしたかったはずです。

めんまに恨み言を言われ、すっきりしたかった。
または、誰かからその想いを間違っていると否定して欲しかった。

誰でも良いから、この呪縛から解き放って欲しかったのでしょう。
別にめんまを忘れたいわけでは無いけれど、めんまの死の原因が自分にあるという部分は否定して欲しかったし、そうする事で救われたかった。
だからこそ、つるこの行為に感謝した。

このゆきあつの想いは意外な形で叶いましたね。
自分とめんましか知らない事実(実際はつるこが知っていた訳ですが)。
めんまが死んでしまったからこそ、めんましか知る筈の無い「ヘアピン」の事。

その事をじんたんの口から聞かされた。

紛れもないめんまの言葉。
そう思うしかない。

感謝というゆきあつにとっては思ってもみなかった、されど一番欲しかった言葉。
これで彼は救われたのでしょうね。

■つるこ
つるこは、ゆきあつの想いを知り、解き放ってあげようとした。
彼女はやっぱりゆきあつが好きなのだと思うのです。
で、ゆきあつの告白を聞いてしまったのでしょうね。

その直後にめんまが死んでしまって、当のゆきあつは間違った想いを抱き始めた。
それを何とかしたかった。

そこで今回の件を思いついたのですね。

一見ゆきあつを中心にしている感じの彼女ですけれど、でも中心はやっぱりめんまなのかな。

ゆきあつを止める方法なんていくらでもあったと思うのですよね。
それこそ胸蔵掴んで、「めんまは死んだんだ。でもあんたのせいじゃない。だから忘れろ」と
一喝することも出来た。
こんな事でゆきあつが止まるかは不明ですが、でも他にも色々と手はあったんですよね。

でも、そこはめんまの死を告げる事が大前提。
彼女もそれはしたくなかったんじゃないかな。

めんまの死は理解しているけれど、受け入れたくはない。
そう思っていてくれると良いな。


って、ただの妄想で結んでしまいましたが、でもめんまの事を想っているのも多分真実。

ゆきあつの捨てたヘアピン。
それを広い大切に保管し、自分に付けてみる。
眼鏡を外し、鏡を見て「見えないわね」と呟く。

普通に考えると視力が悪くてと取れますが、あの近さです。
見えない事は無いんじゃないかな。

きっと「(自分はめんまには)見えないわね」という意味かな。
そうだといいな。こう考えると眼鏡を態々外した意味も分かります。

で、この通りだとするならば、つるこはめんまの存在を…「恋敵」の存在を認めているんですよね。


あと、これも妄想ですが、彼女は「じんたんがめんまを見えているという事」を信じていると思うのです。
だからこそ、じんたんに賭けた。
正確にはめんまがゆきあつを救ってくれると信じた。

めんまに成りきったゆきあつの絵を描いたりしている所を見るに、
彼女もきっとめんまを大切に想っている筈です。
めんまが憎かったら、そんな絵は描かないですしね。

■じんたん
考えないようにしていたのは、ぽっぽがいう「めんまの成仏」なのかな。
だからこそ、彼は忙しくも無いのにめんまのお願いを聞く事を拒否した。

めんまとのこの奇妙な日々を認め、そして永久のものにしたかったのかな。
でも、悲しいけれどそれでは彼は前に進めないですよね。

引き籠っていた彼が、自ら進んで買い物に出るようになったのは、もちろんめんまと暮らし始めたことによる確かなプラス点ですけれど、引き籠りから脱する事は別に「成長」とは言えないんじゃないかな。

彼の成長は、めんまの、母の死を心の底から受け入れて乗り越える事。
そうだと思うんですよ。


さて。
相変わらずぽっぽがこの輪から外れている気がするなぁ。
彼がやっぱり一番の曲者かな。

ところで、「ワンピース」の使い方が絶妙ですね。
めんまを象徴するアイテムとなったワンピース。

ゆきあつが買って、変装時に来て…。
あなるの危機を演出する小道具として「ワンピース(漫画の)」が出てくる。

2人とも、めんまへの想いに囚われて・惑わされている。
そんなことを象徴するような「ワンピース」の使い方だったかな。

第6話

設定協力 世紀末オカルト学院?
同じ制作会社ですけれど、どういう意味なんでしょ…。

「オカルト学院」は、2010年7月~9月にテレビ東京系で放送されていた「アニメノチカラ」第3弾を飾ったオリジナルアニメーションです。
タイムトラベル(SF)とオカルトを軸にしたコメディです(違うか)

何故この作品が今回クレジットされていたのでしょうか?
アバンで映像が使われていたから?いや、違うでしょうね。

オカ学というと、第9話・第10話を思い出します。
他作品のネタバレになりますので、多くは語りませんが、小さい頃亡くなった少女と彼女の死に責任を感じていた父のエピソードです。

今回のめんまと彼女の母になんとなくダブるんですよね。

若しかしたらめんまのお願いとは、彼女の母に係わる事なのではないでしょうか?
例えば、誕生日プレゼントをあげたいけれど、何が良いか分からないから皆に相談しようとしていた…とか。

まぁ、なんにせよ今回見つかった日記とゆきあつらが想い出した事で全て判明しそうですので、それが描かれるまで待ちたいと思います。

なんだかこの作品に限っては、あれこれと先を考える事が野暮に思えてきましたのでw
今更ですけれど。
描かれている事実だけを見て、浸る事の出来るアニメだと僕は思っていますし。
この作品を見ている時間の何と幸せな事か。


さてさて。
今回の主役はあなるですね。

前半は完全に彼女の物語でした。


前回の事がPTAに目撃されていて、校長に呼ばれるはあらぬ噂がたつは…。
四面楚歌。
本当に辛い状況だったに違いありません。
全て誤解ですからね。


噂話って皆好きですよね。
面白おかしく噂を広げては、尾ひれまでくっつけて広める者までいる。
噂話をしている方は悪気はなく、本当に楽しんでいるだけなのでしょう。

でも、されている方にしたらこれ程気分の悪い物はないです。
それが悪い噂なら尚更です。

いや。僕自身、そういう経験は無いですけれど、絶対に気持ちの良い物ではない筈です。
それこそ面と向かってはっきりと言われた方がすっきりします。
前回のゆきあつがそうであったように。


そんな状況のあなるを救い出したじんたん。
人との係りを恐れ引き籠っていた彼は確実に昔に戻りつつありますね。

まだまだ言っている事はカッコ悪いですけれど、それはそれで泣きそうだったあなるにとっては良かったと思うんです。

あなるにとってツッコミどころのある彼の励ましは、勢いで教室から出ていく切欠となりましたから。

あなるにとって、じんたんは間違いなくヒーローです。
彼女は彼のそういう所に惹かれたのかな。


ところで。心配していたあなるの友人関係も杞憂に終わりそうですね。
前回、正直友達でも何でも無いと思ってました。

友達って、知り合って意気投合して自然にその後も付き合っていくもので、わざわざ関係性を確認し合うものでは無いと思うんですよ。

特に「友達辞めようか」とか普通言いませんよね。本当に友達でしたら。
なんかお願いして「友達」になってもらっているみたいじゃないですか。

嫌ならばこれまた自然に連絡を取らなくなったりすれば良いだけですし。


言語化が難しくて伝わるか分かりませんが、上のセリフだけで、「こいつら、あなるの事友達と見なしてないな」と思ったんですよ。
でも、そんな事はないのかな。
教室から飛び出していくあなるを見ていた彼女らの表情が心配げでしたから。

じんたんのカッコ悪いけれど最高に格好良い言葉を聞いて、あなるのことをちょっとだけ理解したのかもですね。
あなるの本当の面を少しだけ、ほんの少しだけ理解したのではないでしょうか。

友達になるって結局は相手の事を理解できるかどうかだと思います。
相手の嫌な面・弱い面は勿論、良い面だって理解し・共感し、一緒に居て楽しめるかどうか。

今回の事で弱い面が少しだけ垣間見えた。
理解出来た。

だからこそ、あんな心配そうな表情を浮かべていたと思うんです。

これもどうなるか次回以降のお楽しみですね。

第7話

前回「オカルト学院」がどうこう書きましたけれど、見当違いも甚だしかったなと。
この物語は、思っていた以上に母親というものが重要な位置を占めているようですね。

ゆっくりと。でも確実に「あの頃」に気持ちが戻っている。
あなるが如実に変わってきました。

これまでは、じんたんのことを「宿海」と呼んでいたあなる。
いつしか人前でも自然と「じんたん」と呼ぶようになっていたのですね。

しかも普通にぽっぽと同じトコで寝てる。

普通ならばこんなことできない筈ですよ。だって高校生ですよ?
でも、自然と寝食を共にしている。

ぽっぽを信頼しているというより、気持ちが幼少の頃に戻っているからなんだろうなぁ。
多分、ぽっぽが襲ってくるとか考えても居ないんでしょう。
ぽっぽも同様で、あなるに対してはそう言う事を一切考えていない。

じんたんがあなるの心配をしていましたけれど、そういう事を一切言ってなかったですし、じんたんも含め共通の認識なんでしょうね。

で、皆でめんまの願いのためにバイトに精を出す。
特にじんたんの活躍は目を見張るものが有りましたね。

これまで人との係りを拒絶していたじんたんが積極的に人と係っている。
サービス業(レジ)にチャレンジする事って相当勇気がいる筈です。
僕もレジのバイトをしていましたが、最初は相当な勇気を振り絞りました。

でも、そんなの今のじんたんには些末な事なのでしょう。
自分の気持ちよりもめんまの気持ちを優先している。
こんな事からもそれが伝わってきます。


さて、なんだかめんまがじんたんの母親に見えてきましたよw

夜帰りが遅い事を心配し、夜食を食する事を注意し、無断でバイトを始めた事を「いくない」と判断。

元々のめんまの性格なのかもですが、若しかしたらじんたんの母の影響があるのかもですね。
「仁太の事を宜しくね」とか、じんたんの母にじんたんの事を託されたのかもですね。
頭ではその事を忘れてしまっていても、心で何となく覚えている。
だからこそ、そういう母親の様な気持ちを持ってしまっている。
そんな事を想いました。

これがめんまの心残りで、お願い?
だからこそ、じんたんが「一人」で居る事を心配し、「超平和バスターズ」にじんたんを託すべく、あの頃の皆を再結集させたかったのかな。

あの日じんたん以外を集めたのは、「皆でじんたんを支えて行こう」という事を言いたかったのかもです。
皆のリーダーで、皆の兄貴分的な存在だったじんたん。
でも、彼の弱さをあの頃のめんまは知っていたのかも。

じんたんの母からのお願いもあって、そんなじんたんを皆で支えて行こうと考えていたけれど、それを伝える前に事故が起きてしまって…。
やばい。勝手な想像なのに、かなり切ないぞ…。


んで、そんなめんまと反対の行動を取っているのが、めんまの母というのがこれまた切ないなぁ。
前回のあの表情には意味があったのですね。

イレーヌは相当めんまに執心しています。
それは第1話からも伝わってきてました。娘が可愛くて仕方なく、その死に未だ納得していないのでしょうね。

だからこそ、じんたんたちが憎い。
彼らと一緒に遊んでいなければ娘は死んでいなかった。
それなのに、今頃になって娘の為に動いている。

娘の死の原因をじんたん達にあると思い込んでいるので、それが許せないのでしょうね。
線香をあげにきた時も、本当ならば追い返したい衝動に駆られていたのかもしれません。

母としてはこれは致し方ない想いなのかもですね。
でも、これは癒さないといけない「傷」です。

じんたん達が、イレーヌの心をどう解き解すのか。
どうやって「許して」もらうのか。そこに注目ですね。

第8話

うぅぅ。泣ける。
超面白い。もう最高に面白い。

今回はこれでもかって、皆の傷を描いていました。

1人目。
イレーヌさん。

僕が想っていたのとは違いましたか。
でも娘への確かな愛情は違ってなかったかな。

母親ってこういうものなのでしょうね。
これは本当に仕方ないです。

でもでも、イレーヌさんは超平和バスターズが好きだったはずです。
その中で楽しそうに遊んでいた娘の姿を知っていた筈ですから。
だからこそ、今その中に自分の娘が居ない事が辛くて憎いのでしょうね。

決して、じんたん達個々人を恨んでいる訳ではないと思うなぁ。


2人目。
あなる。

よりはっきりと明確に彼女の傷が描かれていたなぁ。
ここは本当に泣きそうだった…。

あなるにしたら、滅茶苦茶辛かったでしょうね。
きっと、初恋ですよ。じんたんへの恋は。
幼かった頃とはいえ、その想いが今も尚持てていて、忘れられないのですから間違いなく「恋」です。


そんな初恋の想いも、めんまが死んじゃったことで封印せざるを得なかった。
忘れようと必死で心を抑えなければならなかったんですね。
あなるもめんまが好きだったから。

それでも忘れられず、じんたんが大好きなのだと、じんたんと再び過ごすようになって自覚。
それなのに、じんたんは未だにめんまの影を追っている。
(めんまが見えないあなるにしては、過去に捕らわれているようにしか見えないですよね)

じんたんとの再びの日々は、楽しい反面凄く辛かったのでしょうね。
それを全てぶちまけての「告白」。
切なすぎです。


3人目。
聡志。(めんまの弟)

彼にだってちゃんと傷はあったのですね。
幼すぎて殆ど記憶が残っていない。
唯一(と言っていい程)憶えていたのが、めんまからの「家を守って」というお願い。

何気ない一言をこうやっていつまでも覚えているという事は、彼はこの言葉を実践しようと小さい頃から頑張っていたのかもですね。

なのに、姉が死んでしまった事で、それも敵わず。
母は家に籠るようになり、自分の事を見なくなってしまった。

これは、やさぐれちゃいますよね。思春期に入って一層その想いも強くなっちゃったのかな。


じんたんやゆきあつを含め、こうやって丹念に傷を描いていて、誰もがめんまを好きだったという事が浮き彫りにされましたね。

そんでもっての、ラストシーン。
鳥肌ものの展開でした。

ゆきあつを使って、じんたんによって抉られた傷の痛みを描写しまくった後での今のめんまからのメッセージ。

めんまに質量を持たせたのは、全てこの展開の為だったとしか思えないですね。
日記を絡めてきたのも凄かったです。

これで、めんまの事を認識せざるを得なくなったバスターズ。
ここでヒキとか…。
次回が待ちきれないぃぃぃぃぃぃぃ。

つぅか超泣ける。
はぁぁぁ。面白いなぁ。

ところでさ。
めんまの事がじんたんにしか見えない事で、じんたんは自分が何とかしなければならないというような事を言ってました。
めんまのお願いは、だからこそ、じんたんに関する事なんですよね。

やっぱり、めんまのお願いは、じんたんの事を見守っていく事なんじゃないかなぁと今回見ても思いました。

第9話

超平和バスターズの人間模様は本当に青春ですね。
めんまを中心とした恋愛模様が描かれてました。

めんまとじんたんの間には割って入れないと一人諦め、涙を流すあなる。
もう見ていて辛いですよね。

めんまはもう居ない。
居ないのに「居る」以上に、あなるにとっては絶望的な状況なんでしょうね。

めんまを見て・話せるのはじんたんだけ。
手記によって会話が出来ると分かったけれど、でもそういったものを介せない限り、会話すらできない。

あなるからするとめんまにじんたんを独占されている気分なのでしょうね。
それもあっての諦め。

それは、ゆきあつも同じですよね。
彼にとっては、じんたんにめんまを独占されているという心境。

確かにこの2人は、こういった観点から見ると似た者同士なのかもしれません。

でも、ゆきあつはめんまが大好き。
自らも認めていますけれど、彼はめんまが亡くなった今でもめんまが好きなんですよね。
だからこそ、彼があなるに言った「付き合おう」という言葉には、全く言葉通りの気持ちが籠っていないように思っちゃいます。

傷ついたあなるを励まそうとしているのか、はたまたあなると付き合う事でめんまを忘れようとしているのか。

後者だったら最悪だなぁ。
めんま=過去を忘れる事って良い事だと思うのです。
「忘れる」といっても、めんまの存在を忘れてしまうのではなく、良い意味で過去の事としてめんまの事は大事に胸の奥にしまって、未来を生きる。
そういった方法での「忘れる」ならば良いと思うのですよ。

でも、好きでも無い女性と付き合う事でめんまを無理矢理忘れようとしているならば、これは「良い意味での忘れる」には当たりませんよね。
めんまにもあなるにも失礼ですし、何よりゆきあつ自身が辛いはずです。
なので前者だと思いたい。

でも、この光景を眺めていたつるこにはどう映ったのでしょうね。
彼女はこれまでの事を見ると、どう見てもゆきあつにご執心です。

いくらクールビューティ(笑)な彼女でも、冷静ではいられなかったみたいですね。

恋愛のもつれが青春だなんて思ってないですけれど、でも彼らのドラマは青春の甘くて苦い日々のように見えますね。
…青春が甘くて苦い日々なのかどうかは知りませんが…。


この3人の恋愛模様とは別に進んでいるのが、もう一つのドラマ。
めんまの死とこれからの事。


これまで僕は、「ぽっぽだけは他のメンバーとは違う」と書いてきましたし、そう思っていました。
彼だけめんまに執着しておらず、じんたんしか見ていないと思っていたからです。

でも、どうやら彼もめんまの死に何らかの関わりがあったのですね。

ぽっぽもそうですし、他のメンバーもそう。
彼らの言動を見ると、「めんまの死に直接的な原因が自分達にある」と思い込んでいる節がありますよね。

一体何があったのでしょうね。
若しかしたら僕が想っている以上の事があの日あったのかも。


そんなめんまの死に関係ありそうなシーンがありました。

何かを川に取りに行っためんま。
橋の上から見守るメンバー。
急な増水かなにかで、めんまは水に飲まれそのまま溺れて…。

あの日あの時自分達がめんまを止めていれば…。


川でのじんたんとめんまのシーンは、こんな事を想像させてくれました。
むむ~、どうなんでしょうね。


それにしても、漸くここでじんたんの真意が見れましたね。
じんたんはやっぱりめんまと何時までも一緒に居たいのですね。

でも、それはダメですよ。
それだと可哀相ですけれど、じんたんの為にはなりません。

じんたんの為には、めんまは成仏しなければならない。
でも、めんまには成仏せずにずっと皆と一緒に居て欲しい。

相反する感情があって、見ていて本当に切ないです。

第10話

切ない。切ないよ。
もう大好きだ。このアニメ。

めんまと花火。

めんまを成仏させる。
その一心で皆で汗を流し、お金を貯めて、頭を下げて、そして手伝って。
頑張って作った一発の花火。


打ち上げられた花火を見て、改めてめんまは花火のような子だったんだなと。

日本人って花火に魅了されてますよね。

あっと言う間。一瞬の出来事。
真っ暗な夜空に咲く光の花。

滅茶苦茶綺麗で、雄大で、心に残る。
花火大会があるとついつい見に行ってしまう程、魅力的で多くの人を魅了しちゃう。

悲しいけれど、めんまの人生に似ている。

短くも儚く散ってしまっためんまの命。
しかし、その一生は多くの人の心に刻まれている。

そんなめんまに魅了され、めんまの事を心に刻んだ人々の様々な想いがこの一発の花火には籠っていて。
でも、そんな彼らの想いの根源は一つ。

亡くなった人の代わりは誰にも務まらないという事。


めんまの代わりに、じんたんの恋人になれないあなる。
めんまの代わりに、ゆきあつの恋人になれないつるこ。

あなるはあなるだし、つるこはつるこ。
決してめんまでは無いのは分かっているし、代わりになりたいとも思っていない。

でも、めんまの代わりにそれぞれの想い人の隣に居たい。
それが叶わないと思い込んでいるから辛いのですよね。


ただ、そう思っている時点で彼女らもめんまに囚われてしまっている。
人は人。一人一人違う人間です。
自分の魅力で、彼らを振り向かせる努力が必要で、それを放棄してしまっている。

いや。
これまでも彼女らは頑張っていたけれど、でも、どこかで諦めていたんじゃないかな。


さて、じんたん達以外にめんまに囚われているのがイレーヌ。
彼女は誰よりもめんまの代わりが居ない事を分かっている。
分かっているからこそ、周りも見ずにめんまの影に縛られていた。

でもこれは聡志からすると辛い。
彼も自分がめんまの代わりが務まらない事を理解している。
でもだからこそ、めんまの代わりに母を支えてあげたいとも思っていたし、その為に自分に目を向けて欲しかった。
亡くなった人の物理的な代わりは誰にも出来ないけれど、精神的な想いは代わってあげられる。


めんまによって心に傷を受けた人々。
でもこうしてみると、彼らは2つのグループに分けられそうです。


めんまが大好きで、めんまを求めている人々。
じんたんであり、ゆきあつであり、イレーヌであり…。

めんまが大好きな人を大好きで、彼らの悲しみを癒してあげたいと思っている人々。
あなるであり、つるこであり、聡志。


あなる達はじんたん達の心を救済できるのか。
また、めんまはじんたん達に何を遺すのか。

消えかけているめんま。
悲しいですがいよいよお別れが近いのですね。

次回は最終回かな?
今回かなり泣きそうになってしまいましたので、次回は絶対泣くだろうなぁ。

というか、今回は盛りだくさん過ぎて上手く纏められなかったです。
色々な感情が渦を巻いていて、それが奔流のように押し寄せてくるんですよね。
最高だなぁ。

第11話

これはダメだ。
泣くに決まってますよ。
もう放心状態です。

今までの腹の内を全部さらけ出して、漸く漸くあの頃に戻った超平和バスターズ。

子供の頃って、結構何も考えずに本音を出しちゃいますよね。
もちろんじんたんみたいに意固地になって本音を言えなかったり、つるこみたいに本音を覆い隠しちゃったり。
そういう子もいる。でも、たいていの事はぺらぺらと口に出しちゃう。
それ程純粋なんですよね。

大人になるという事は、それが出来なくなっちゃうんですよね。
色々と気を使うようになったり、気持ちを隠すようになったり。
段々と本音を言えなくなる。

だからこそ、一回バラバラになると、そのまま相手の事が分からなくなり、亀裂も深まっちゃう。
それがこれまでの彼らだったように思う。

しかし、めんまを中心にしたそれぞれの後悔と想いの丈を涙と共に全部さらけ出したことで、元通りの彼らに戻れました。


なんていうか、この作品のテーマは涙だったのですね。
「失われた何か」さんで幾度と無く涙について取り上げられてましたが、まさしくその通りでした。

一口に涙と言ってもいろいろあります。
嬉し涙。悲し涙。悔し涙。
そんな色々な涙を表現しきっていた作品。

もうね、本当にラスト15分はヤバかったです。
じんたんがめんまのことを見えなくなった瞬間鳥肌が立ち、全員で「かくれんぼ」をしているめんまを必死に探し…。
手紙を発見し…遂には皆にもめんまが見えるようになって…。

あぁ、ヤバい。これ書いているだけで泣きそう。

凄く切ないんですよ。
でもね、めんまは幸せだったと思うんです。

人って誰しもが「お別れ」を言えて逝けないですよね。
めんまだって、それは同じで。

でも、たった一つの奇跡が起きて、その機会が与えられて。
家族にはお別れできなかったけれども、それでも家族と同じくらい大好きだった仲間にはちゃんとお互いにお別れを言えた。

それって幸せですよ。
だからこそ、めんまはとびっきりの笑顔で…きっと嬉し涙を流して…天に召す事が出来たのでしょうね。



あの花。

この「花」って、めんまに関する思い出の事だったのかもしれませんね。

「あの日見た花」は、後悔の思い出。
めんまに対する行き場を失った想い。

そして、この夏に見た花は、切なく悲しくも希望に溢れた笑顔と涙の思い出。
めんまに対する想いを全て本人にぶつけられ、そして返事をもらった思い出。

2つの花は同じ花。
花は成長し、育っていく。
だから、めんまも成長した姿をしていたのかもしれませんね。


皆のめんまに対する思いが具象化した姿が、この夏に出て来ためんまであり、だからこそその思いが頂点に達した瞬間に、皆にもめんまが見えた。
そして、その思いは昇華され、彼らは大人になっていく…。


あの花最高に良い作品でありました。
スタッフ・キャストの皆様、大変ありがとうございました。

岡田磨里さんが描こうとしているモノを考えてみる2

以前、『岡田磨里さんが描こうとしているモノを考えてみる』という記事を書きました。
あれから暫く経った現在。『あの花』が有終の美を飾り、「いろは」も1つの区切りが着きました。
そこで、今回もう1本記事をあげてみる事とします。

さて。
同時期に放送されたこの2本のオリジナルアニメーション。
やっぱり関連性があると思っています。
それは世界観等作品世界の繋がりという意味では無く、テーマについてです。

何故そう思ったのか。
根拠は、両作品のタイトルです。
もっと言ってしまうと「花」という共通項です。

どちらのタイトルにも「花」が付けられています。
そしてこの「花」というものが作品そのものを現していると思うのです。

今回も各作品毎に見ていきます。
先ずは「花咲くいろは」。

先日第13話が放送され、改めて今作が「主人公である緒花の成長譚」である事が窺い知れました。
本当に子供だった緒花が、環境を変えられ、そこを自らの力で開拓し切り開いていく。
やがて立派に成長していくという過程を描いたドラマであると思うのです。

つまり、今作のタイトルはそのまま「緒花(お花)が花開く」という意味ですよね。
「華々しく活躍する」・「才能が開花する」・「輝いている」等、「花開く」という言葉に、日本人は様々なポジティブな意味合いを持たせています。
また、未来に向けて花が開いていくというイメージもあり、まだまだ若い緒花の明るい将来性まで示しているように感じます。
よって、この作品では「未来」を描こうとしていると考えます。


一方の「あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。」 。
この作品にとっての「花」とは何のことか。
これは残念ながら作中で明確に語られはしませんでした。

感想を巡っていて拝見した意見で最も多かった(と感じた)のは、「サボテン」というものでした。
仁太の最後のモノローグから連想されたのかな?
他にも色々と意見があったように思います。

でも僕は、「花」というのは「想い出の中のめんま」であると思っています。
表現は違いますが、11話感想中でも似たような事を書きました。

これが絶対的に正しいなんて思ってはいません。
ただ、当論考の中では、これを前提として書かせて頂きます。

(余談ではありますが、「めんま」という名前も花を現していますよね。
「めんま」とは「シナチク(支那竹)」であり、つまりは「竹」です。竹もまた、花を咲かせる植物です。
ただし、開花の周期はおよそ60年~120年と馬鹿みたいに長く、滅多に見られるものでは無いのでしょうが。)


では、「想い出の中のめんま」とは何か。
「あの夏のめんまの死に関する記憶」だと僕の中では定義しております。

仁太を始め超平和バスターズは、この記憶を正面から受け入れていませんでした。
ある者は後悔し、ある者は拒絶し…。
兎も角、避けていたんですよね。

そんな中、その記憶と向き合う出来事が起きた。
めんまの登場です。
これを描いたのが、今作だと思っています。

最終回で、そんな「辛い記憶」と正面から向き合い、涙と笑顔で「お別れ」をした。
感想の方でも書きましたが、めんまが成長した姿で現れたのは、彼らの中のめんまに対する思いが年々大きく蓄積されていたからだと思ってもいます。
つまり、幽霊という訳では無く、彼らの(当初は恐らく仁太個人の)想いの結晶が生んだ奇跡みたいな存在が、あのめんまだと考えている訳です。

最終回にてバスターズ全員にめんまの姿が見えたのは、全員とも純粋にめんまへの気持ちを頂点にまで高めたからなのではと思っています。

そして見えなくなった(めんまが”成仏”した)のは、そんな想いが昇華したから。
忘れたわけでは無く、それぞれの中で、「見ようとしてこなかった想い出」に「名前」を付けたからでしょう。


長く脱線しましたが、今作では「過去」を象徴するものとして「花」が用いられているように感じます。
辛く悲しい「過去」との決別。
もちろん後ろ向きな意味では無く、未来に羽ばたくために必要な事としての「決別」。
それが『あの花』のテーマだったように感じます。



以上、この春岡田さんが送りだした2作のオリジナルアニメは、
「花」をキーワードにして「過去」と「未来」を描いたお話なのではと思う次第です。

丁度「花咲くいろは」も、いよいよもって未来に向かって緒花が気合いを込めた所です。
残念ながら「あの花」は終わってしまいましたが、残り1クール続く「いろは」の輝かしい未来を追っていこうと思っております。


荒唐無稽なコラムに最後までお付き合い頂きありがとうございました。

終わりに

以上です。
ここまで読んでくれた方は、凄いです。
ありがとうございました。