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アイドルアニメの第3話 共通点とそれぞれのアイドル像の考察

この記事は

アイドルアニメの考察(と思いたい)記事です。
ネタバレありますのでご注意下さいませ。

はじめに

最近アニメの3話が重要なポイントだと言われてるそうですね。
「3話切り」とかって言葉もあるように、「3話まで見て視聴継続か"切る"か決める」みたいな考えを持っている人も少なからずいるようですし。
制作側も最近ではそういう「視聴方」が広まっている(?)事を踏まえて、第3話で大きく物語を動かしているという実しやかな話も。

例えばNAVERまとめの下記記事では虚淵玄先生の「まどマギ」に対するインタビューを引用して、「ライターも意識してる」と纏められています。
参考:http://matome.naver.jp/odai/2142189486358856801

全てのアニメにとって当て嵌まる話ではないでしょうけれど、3話に重要なエピソードが来るというのは、全体の構成から言っても納得しやすい「法則」ではあるんですよね。

物語構成の鉄板である「起承転結」。
1クール12話を基本に考えますと、それぞれに3話ずつ配分され、ちょうど第3話は「起」の最終幕に相当します。
いよいよ物語が本格的に転がり始めますという「始まりの終わり」が描かれるタイミングであり、すると、その作品の本質が見える回とも言えるのかなと。

そこで、アイドルアニメの第3話に注目してみました。
多くの作品が最近登場してますが、一先ず以下4作品を取り上げてみます。

  • 「Wake Up Girls!」
  • 「ラブライブ!」(第1期)
  • 「THE IDOLM@STER」
  • 「THE IDOLM@STER シンデレラガールズ」

第3話だけで、それぞれのアニメの目指すべきアイドル像の違いが見分けられればいいなというのが、この記事の着地点です。

「Wake Up Girls!」

第3話 「一番優しく」
実波をメインに据えて、物語的にはいよいよWUGの芸能活動の出発が描かれていました。

素人の女の子達(一部除く)がプロのアイドルになる過程を描いていく本作に於いて、やはり重要なのは「下積み」時代を描くことだと考えます。
寧ろこの部分が最も大事だったんじゃないかな。
そんな個人的に大事だと考える部分の始まりが第3話でした。
2話までは仙台のフリーザさんに騙されて、下積みとは言えないような営業を強要されるエピソードでしたからね。
流石にそれはノーカンとしたい。
劇場版も結成までの話でしたしね。

戻ってきた社長がTV番組のレギュラーをゲットして、実波のキャラが番組のプロデューサー(?)にウケ、じわじわと認知度が広まっていき…。
遂には地元テレビ局主催のミニライブを開いてもらえるまでになったという流れをぎゅっと詰め込んでいました。
この活躍が東京にまで伝わり、真夢が仙台でアイドル活動を再会した事が知れてしまい…と次のステップへの流れも描かれていて、実に「始まりの終わり」に相応しい回であったなと。

では、この作品のアイドル像の本質は描かれていたのかという議題に話を移します。
そこで注目したいのが、ライブパートですね。
鍛えてきた歌とダンスをファンの前で披露する場であり、アイドルアニメに於いて花形であり集大成、節目とさえなるのがライブパートです。
基本的にはどのアイドルアニメもそこを大事にしてると思うのですが、この「WUG!」3話ではそういう感じではありませんでした。

初めてステージ衣装に身を包んでのライブシーンでしたが、詳細に描かれる事も無く、さらっと流す程度。
あくまでも「下積み時代の仕事の1つ」というような見せ方であり、重点が置かれている様には見えないのです。
このライブの描き方に、「WUG」のアイドル像の方向性が出ていた気がするんです。

ライブに向けての特訓も無ければ、達成感も無い。
反省も無いし、目標の設定も無い。
プロとして必須の要素を全て排除してる時点で、「まだまだプロ以前の素人集団」としてのアイドル像が見えるんです。
勿論画面に出てないだけで、特訓もあれば反省や目標設定などあったのかもしれません。
が、描かれていない時点でそれらは無いものと見做して問題無いんです。

そんな「まだまだ素人です」という部分を実波が特に担っていました。
お婆ちゃんが入院したから、ライブを放棄してそちらに駆けつけてしまったというのは、人情的には共感できます。
大切な人と一生会えなくなってしまうかもしれないとなったら、そちらを優先したいし、優先させてあげたい。
けれど、それがプロとして正しい選択なのかといえば、難しい所です。
その選択を良しとされないことだってあるでしょう。
仕事ですから、多くの場合ダメな選択と取られてしまうんですよね。
まだまだ「素人」だからこそ許された行動であり、けれども、プロの世界を知る丹下社長が許している時点で「素人くさい面をいつまでも持ったプロ」を目指しているとも取れる。

実際対極の存在として「プロ」のI-1クラブを出しています。
「そんなことで首になるの?」ってくらいプロ意識が妙に高く、「プロのアイドル」としてガッチガチの教育を受けているアイドル。
そんなプロアイドルに対するアンチテーゼとしてのアイドル像をWUGに担わせている筈で、WUGに「プロらしくないアイドル像」を当て嵌めるのは必然だと考えられます。

TVシリーズ全話を掛けて、素人の集団からプロのアイドル(I-1のようなプロは否定しつつ)になるまでの過程を描いていきますという意思表示であり、この作品が描こうとされているアイドル像だったのではないかと思ったのです。
全話見たから言える意見なんですけれどね。

「ラブライブ!」(第1期)

第3話 「ファーストライブ」
サブタイトルから分かる様に、3話にして初めてライブシーンが描かれています。
まさしく節目の回だと分かりますね。
実際穂乃果が改めてスクールアイドル活動を続けていく事を宣言しています。
ファーストライブでの「敗北」を経て、夢を語っているんですよね。
「始まりの終わり」に相応しいシーンだな〜と。

んで、僕が注目したのは、穂乃果の台詞の中の一節。

いつか私達、ここを満員にしてみせます

「ここ」というのは、穂乃果達が通う音ノ木坂学院の体育館。

後のμ'sメンバーを除けば殆ど観客のいなかったファーストライブ。
それでも、1曲を歌い踊り終えて、穂乃果は絵里に宣言します。

このまま誰も見向きもしてくれないかもしれない。
でも、私達がとにかく頑張って届けたい。
今、私達がここにいる、この想いを

穂乃果はこの想いを届けたいと言っています。
誰にか?

一般的なアイドルに当て嵌めれば、この「誰」は「世間」になるんでしょう。
世間全般に向けて発信し、ファンを増やし、想いをそのファンに伝えたいと。
でも、穂乃果は違います。
想いを届けた人達で自分の通う体育館を埋めたいと言っているのですから、想いを届けたい誰かというのは学院の生徒や関係者。
未来の受験生(新入生)になります。

1期の目標はあくまでも廃校からの存続。
その為の手段としてスクールアイドルをしてるのですから、穂乃果の宣言は実にテーマに沿っています。
そしてこれがそのままこの作品の目指すべきアイドル像になってるんですよね。

さて、個人的に観客ゼロからのスタートというのはとっても良かったと思っています。
ビラ配りをしてる最中に「見に行くよ」という好意的な反応を貰えていたにも関わらず、結果は無残なもの。
アイドルとして成功する道のりがそのまま学院の存続に繋がっているので、「学院の存続への道は厳しい」という示唆にもなっている。

そんな過酷な現実を前に穂乃果は「世の中そんなに甘くない」と受け止め、しかし、挫けそうになったところで花陽が入って来て…。
本当に僅かな観客の為だけにアイドルとしてのステージを踏む穂乃果達3人からは、どんな厳しくても学院を存続させたいんだという揺るぎない確固たる信念が伝わってくるんです。

「届けたい想い」が何なのか。
穂乃果達がどれ程本気なのか。

観客ゼロのファーストステージからは、そういう事が読み取れて、本当に素晴らしい作劇だったんだなと改めて思う次第です。

「THE IDOLM@STER」

第3話 「すべては一歩の勇気から」
アイマスのアイドル像は、正統派だと思っています。
理想を形にした正統派のアイドル像とでも言うのでしょうか。

そんなアイドル像をしかし、2段階に分けて描写しています。
売れないプロのアイドル達がブレイクするまでが前半1クール。
後半2クール目は、人気が出たアイドル達の活躍と葛藤を描いている。
だから前半と後半では描かれるアイドル像は微妙に違ってたりします。
人気も知名度も低いマイナーアイドルの前半と人気も知名度も抜群のメジャーアイドルって感じですね。

ああ、竜宮小町の3人はちょっと違いますね。
他のメンバーに先んじて6話で既に人気のあるアイドルとして活躍し始めますので。

さてさて白状しますと、僕はこの3話だけから「アイマス」ならではのアイドル像を見出せませんでした。
なのでちょっと視点を変えます。
この作品の最大の特徴である「プロデューサー視点」から見てみると、このアニメのアイドル像も見えてくるのかなと。

第3話でメインを張りましたのは、雪歩でした。
この子がメインに来ているというのが、「プロデューサー視点」的アイドル像を補強していて凄く良いんですよ。

作中で自身で言ってますが雪歩ってアイドルらしくない性格なんですよね。
重度の男性恐怖症という設定は、主に男性をファンにして活躍するアイドルとしてはかなり厳しい。
そんな雪歩の苦手な面をプロデューサーが克服させる様が第3話の肝だったと思います。

アニメ版のPは犬が苦手という設定。
実は雪歩も男性と同じ位犬が苦手であり、客席に犬を見つけただけで逃げ出してしまう程。
そんな雪歩をPが優しくステージに戻すんですよね。

絶対にオレが犬から守ってやるからという約束をして。

雪歩はPも犬が苦手だと後から知り、男性恐怖症を少しだけ和らげてくれると。
少なくともPには心を開いてくれた。

プロモ撮影に徹した1話、2話の宣材写真回(伊織回)もアドバイスこそしてましたが「育成した」という程の働きはしてこなかったプロデューサー。
彼がアイドルを育成するという原作ゲームに倣って、アニメ版で"初めて"アイドルを育成した瞬間でした。

雪歩がプロデューサーによって「育った」というのを「ファーストライブ」という形で明示している。
苦手な男性も犬もいっぱいの観客席を前にしても、堂々とセンターで歌って踊った。
「とっても楽しかった」と笑顔にさせた。
そういう「初めての事実」を描いて、「プロデューサーによって育成されるアイドル像」が見えてきました。

アイドルだけで見てしまうと、知名度の低い765の面々が、田舎の夏祭りでミニライブをしただけのようにしか見えない第3話。
しかし、今作の特徴である「プロデューサー視点」で見ると、第3話にして初めて「育成」という作品ならではの特徴が描かれていたと考えます。
そういう意味ではしっかりと重要な回であったと言えそうです。

「THE IDOLM@STER シンデレラガールズ」

第3話 「A ball is resplendent, enjoyable, and…」
卯月、凛、未央の3人を主役に据えいる「デレマス」。
今作でも3話にしてファーストライブでした。
3人が初めてのステージに立つ姿が、とんでもないクオリティで描かれていて、本当に凄い面白い回だったんです。
といっても、彼女達が主役の舞台では無く、あくまで3人はバックダンサーでの出演。
6話を見た今だから言えることですけれど、先輩アイドルである美嘉が主役のステージだったというのは重要な点になっていました。

まだまだ放送中の本作なので、ここからは完全に僕個人の考えになるんですけれど、今作のアイドル像は「シンデレラのようなアイドル」です。

今日では「シンデレラストーリー」なんて言葉が出来る位1つの王道プロットとなっている「シンデレラ」。
作品によって多かれ少なかれ違いがありますが、基本は「どこにでもいる普通の女の子が特定の世界で成功を収めるストーリー」ですよね。
女の子のサクセスストーリーですね。

だから、卯月も未央も「一度オーディションに落ちている」ところからスタートしているのだと思っています。
「アイドルになれなかった子達が這い上がっていく物語」。
シンデレラのようなサクセスストーリーを踏むアイドル像を目指しているのかなというのが僕の考えなんです。

然しながら、6話までの3人は非常に順調にステップを踏んでいました。
遅れてシンデレラプロジェクトのメンバーに合流したのに、3人でのユニットデビューが決まり、デビューライブまでとんとん拍子で来た。
一度落選しているという経緯があるとはいえ、これだと「シンデレラのような」とするにはちょっと弱い。
普通の女の子がアイドルになるでもサクセスストーリーと言えるのですが、より強い「シンデレラ感」が欲しいです。
「シンデレラ感」って何だよって話ですけれどw

なんていうか、一度徹底的に落ちるところまで落ちてから、輝きの舞台に上って行って欲しいというか。
「灰かぶり」と言えるような状態にね。

6話。デビューライブの客席の様子を見て、ファーストライブとの違いを見せつけられた未央は愕然。
知らずに友達をいっぱい呼んでしまったという恥ずかしさも相まって、アイドルを辞めると言い放ってしまいました。

大人気アイドルの美嘉と新人アイドルであるニュージェネレーションズの実力(人気や知名度)の違いから生まれた差によって、未央がどーんとどん底に落ちてしまうという流れですね。
この流れを作り出したという点に於いて、第3話はとっても重要な回であったと言えるのじゃないかなと。

「誰がシンデレラなのか」を勘違いさせるファーストライブを描いた第3話。
ファーストライブのシンデレラは美嘉だったことを失念し、どん底に堕ちちゃった未来のシンデレラ。
今作のアイドル像を明示する際に第3話は大事になってくる気がします。

まとめ

アイドルアニメでは、偶然にも第3話でファーストライブが描かれる事が多いと今回分かりました。
(「WUG!」は劇場版を除けば、ファーストライブ。含めれば違いますね)

そんなファーストライブに改めて着目しつつ、それぞれの作品のアイドル像を見つめ直してみました。
繰り返すようですが、所詮全話見終わった後だからこその感想です。
「3話だけでアイドル像が見える」と纏めるのには苦しい。

だけれども、第3話の物語には、それぞれのアイドル像の方向性を決定づける要素が入っているような気がするんです。
今後もアイドルアニメの第3話には注目して視聴してみたいですね。