アニメな日々、漫画な月日

アニメ、漫画の感想・考察

「アクション仮面」と「アクレキ」から考える、勧善懲悪物の栄枯

この記事は

「月刊アクション」の記事です。
ネタバレありますのでご注意下さいませ。

はじめに

「月刊アクション」を買ってきました。
購入動機は「アクション仮面」です。

ちょっと前に「商業WEB漫画を応援する確かな方法の模索」という記事を書く際に調べていて知ったのですが…。
一目惚れでした。
格好良過ぎです。

「クレヨンしんちゃん」の作中ヒーロー「アクション仮面」をまさかのリアルヒーロー漫画化ですよ。
これは大期待でした。
そんな期待感を抱き、ワクワクしたまま本屋で購入。
…したのですけれど、ちょっと。
というか、かなり思っていたのとは違う漫画でした。

僕が想像していたのは「仮面ライダーSPIRITS」とか「ウルトラマン STORY 0」とか。
そういうヒーローサーガだったのですが、全然違いました。
普通のヒーローとは一線を画すヒーロー像なんですよね。

そして、もう1本「月刊アクション」にヒーローに関係する作品が載ってました。
「アクレキ」。
作者は「琴浦さん」のえのきづ先生。

この2本を続けて読むと、今の時代「勧善懲悪」って本当に廃れたテーマなのかもしれないなと思わずにはいられなかったり。

「アクション仮面」のヒーロー像

西脇だっと先生が描く「アクション仮面」(以下「西脇版」と呼称)。
この「西脇版」は原点である「クレヨンしんちゃん」の劇中劇「アクション仮面」(以下「原典」と呼称)とは大きく趣を異としていました。

見た目とか、そういうのは勿論なのですが、中身ですね。
アクション仮面自身のヒーロー像が全く違ったと思うんです。

「原典」のアクション仮面は、現実世界でいうところの「仮面ライダー」とか「ウルトラマン」、「戦隊シリーズ」と同じ立ち位置にいるヒーローなのでしょう。
常人には無い力を持ち、その力を以て悪を挫く。
広く一般的なヒーロー像を持った正義の味方。
当然、そんな彼に歯向かう者も凶悪な「悪人」と呼ぶに相応しい連中。

一方「西脇版」はというと、「悪人」の居ない世界でした。
いや。「悪の種」は存在しているようなので、この先の展開で出て来る可能性は十二分にありますけれど、この第1話を読み、かつ、サブタイトル(?)を見る限りは、「悪人のいない世界」と呼んで差支えないかと思うんです。

第1話の最終ページにも大きく書かれてたり、タイトルに添えられた「His fist breaks only the mind of hate」。
即ち「彼の拳が砕くのは、悪の心だけ」という精神は、まさしく「西脇版」アクション仮面の正義感そのもの。

要するに、彼はその力を暴力には向けないんですよね。
防戦一方。殴られるだけ。

反撃は精神攻撃…というか説得ですね。
言葉で諭して、心に巣食う闇を引き摺り出し、その闇に向けて「アクションビーム」という浄化の光線を放つ。
相手の身体を全く傷つける事無く、敵を倒すヒーローでした。
悪いのは全て弱い心に巣食う悪の芽という解釈で、「はじめから悪い奴なんていなかったのさ」という締め。

「原典」とは真逆のヒーロー像と言えるのかもしれません。

「アクレキ」の悪人像

「アクレキ」(悪歴…過去の悪事を綴った履歴書の事らしい)の主人公は、最強の怪人になる事を夢見る女性です。
見た目普通の就活女子ですね。怪人っぽさは微塵も無いです。
そんな彼女が、正義の味方を目指す女性とルームシェアをしていくというギャグ漫画(だと思います)なのですが…。

うん。へんてこな世界観ですよねw
「正義の味方」とか「悪の怪人」とかが、一般的な職業として成り立っている世界を舞台にしているみたいです。
普通に悪の組織へ面接に行って「怪人採用試験」を受けたり、面接官が化物っぽい外観の怪人だったり。

まるで謎な世界観ですが、まあ、「天体戦士サンレッド」とかと似たような漫画と思えば良いと思いますです。

そんな不思議な世界を描いた今作の主人公・怪人ナチュラルバード(本名:千鳥安枝奈(ちどり あしな))は、怪人を目指しているのですけれど、全然悪っぽく見えないんですよ。
「悪歴」として刻まれる悪事が全く悪事になっていないんですw

ギャグ漫画という事もありますし、ヒーローとの同棲を描く事の方が本質っぽいというのもありますが…。
多分今後も彼女は「自称・怪人」=「自称・悪人」として描かれていくのかなと。
この漫画の世界観的には、それでも立派な悪人として見られているようですが、そこもまた、「悪人の居ない世界」と見えてしまうのです。

「勧善懲悪」は時代遅れなのでしょうか

この2作品に共通する事は、根っからの悪という概念の排除ですね。
「アクレキ」に至っては、本当に悪人ですら無いですし。
まあ、「勧善懲悪」ものではないんですよね。

「天体戦士サンレッド」を例に出しましたが、この漫画もまさにそうなんです。
ヒーローと悪の組織を出しておきながら、勧善懲悪をしない。(ギャグ漫画ですし当たり前っちゃ当たり前ですが)
それどころか、悪を悪に見せない作品が目に付きます。

探せば多分ずっと昔から、こういうのはあるとは思うのですが、昔に比べれば多くなってきている気がするんです。
思えば「平成ライダー」なんかも、そういう傾向の作品も多かったですしね。
「仮面ライダー555」なんかは、その代表格かもしれません。
(「仮面ライダー」に関しては、石ノ森先生の萬画版もコレに近いスタンスで描かれている事もありました)

「月刊アクション」に話を戻せば、例えば「つぐもも」なんかもそうです。
悪人が出て来ない「非勧善懲悪」物のストーリーラインを採用しています。

これはやっぱり世相の反映なのでしょうかね。
分かりやすい悪という概念が崩壊し(「分かりやすい悪」なんて概念は昔も無かったとは思いつつ)、正義の多様化が叫ばれ、「勧善懲悪」という概念そのものが通用しなくなってきたというか。
明治時代から既に「勧善懲悪は時代遅れの産物」(坪内逍遥)という思想もあったようですし、その考えが平成に入ってより勢力を増したという事なのかしら…。

「月刊アクション」連載の上記3作については、雑誌の年齢層にも関係している気がしないでも無いのですが…。
今更ですが「勧善懲悪」好きな身としては肩身が狭くなってきたのかも。

そんな事を考えつつ、しかし、西脇先生の「アクション仮面」には、勧善懲悪の新たな可能性が描かれるんじゃないかと密かに期待しております。

完全悪の居る世界観での「非勧善懲悪」

勧善懲悪は古いのか否か。
1つの答えが「西脇版」で語られそうなんですよね。

作品のキーキャラクターになりそうな八潮ミサト。
彼女が憧れるのが、まさに勧善懲悪を旨としている分かりやすいヒーロー像なんですよね。

だから、アクション仮面のヒーロー感に真っ向から対立。
アクション仮面の信念を「格好悪い」と一蹴しておりました。

きっと、力づくで解決する事を良しとはしないという結末にはなるかと思います。
しかし、本当に悪人は居ないのかについては、「居る」という事になりそうで。

勧善懲悪は、絶対的な正義に反する絶対的な悪が居て、初めて成り立つ物語です。
絶対的な悪がいる世界で、それでも尚、「非勧善懲悪」を貫く物語が紡げるのかどうか。
そこに勝手に着目していきたいんですよね。
こういうテーマがあるからこそ、ミサトという設定のキャラを出したと思いたいんですよね。

西脇先生の「アクション仮面」は、そういう方向性を目指されているんじゃないかと解釈しつつ、それに十二分に答えて下さるという一種の確信を持って、今後も楽しんで読んでいきたいと思います。
これが叶った時、「完全懲悪」をある種超えた「新しい勧善懲悪」物が誕生するんじゃないかな〜とか。

あ。「アクレキ」は普通にギャグ漫画として面白くなりそうですので、こちらは笑い方面で期待してます。