アニメな日々、漫画な月日

アニメ、漫画の感想・考察

「エロマンガ先生」をあまり楽しめない理由がやっと分かった。

この記事は

「エロマンガ先生」の感想です。
ネタバレを含みます。

はじめに

先月1年振りに「エロマンガ先生」の新刊が発売されました。
kindle版で漸く読めたのですが…。
ちょっと否定的な感じの感想になってます。
ご了承下さい。
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楽しめていなかった。

僕は「俺妹」、「ねこしす」と同作しか伏見先生の著作を拝読していません。
そんな中途半端な人間が作者を語るなと怒られてしまうかもですが…。

ラノベには2つの種類があると思っています。
キャラを中心に物語を動かしていくタイプのものと物語を中心にキャラを配置するもの。
明確な線引きが難しいですが、前者はキャラ萌えを特に意識して作られていると感じる作品。
キャラクターの魅力で話を展開させていくもの。
後者は、世界観・物語を作り込んだ後に、キャラクターを造成していく作品。

何れにせよ、キャラクターと物語は密接に絡んでおり、分解が困難なことです。
キャラクターが物語を変えることもあれば、物語がキャラクターに影響する事もある。
なので、あくまでも主観に過ぎないのですが、僕としては伏見先生はキャラを中心にした作品を得意としていると感じます。

キャラクターがどう魅力的に見えるのかをとことんまで意識して、深く深く作り込んでいく。
作り込まれたキャラクター達が「自由に」動き回る事で、笑いを生んだり、感動を演出する。

これは例えば10巻の描写からも見て取れました。
10巻ではムラマサの今まで見えなかった様々な顔が見えました。
それを評して正宗は字の文でこう述べています。

もちろん彼女が創作物のキャラクターだったなら、らしくない行動は相応の理由がなければ決してしない。作者が下手を打たない限り、『キャラブレ』は発生しない。
けれども、俺の目前で礼を尽くしている彼女は、生きた人間なのだ。
そりゃ……キャラくらいブレるだろう。
俺の知らない新たな一面くらい、いくらでも出てくるだろう。


伏見つかさ. エロマンガ先生(10) 千寿ムラマサと恋の文化祭 (電撃文庫). KADOKAWA / アスキー・メディアワークス. Kindle 版.

これって当たり前のことに触れてるんですよ。
兎角漫画やアニメってキャラクターを記号的に分類しがちです。
「優しい」、「怒りっぽい」、「ツンデレ」等々。
でも、実際の人間の性格は一言で言い表せられないですよね。
際立った性質があっても、複数の「属性」を持っています。

だから、1つの属性しか持っていないキャラクターを僕は「薄っぺらい」と表現します。
有り得ないんですよね。人として。

ムラマサは寧ろ普通なんです。
相手や場所、時を選んで、様々な顔を見せる。
誰だってそうです。
こういうのは「キャラブレ」とは言いません。
「そのキャラが最も見せたい属性」を作者が失わずに持ち続けていれば、複数の属性を覗かせても「キャラブレ」って使えないんですよ。
僕的な考えだと。

余談になりますが、丁度「ラブライブ!サンシャイン!!」2期のBDを見ていたので、津島善子を例に出しましょう。
善子は基本的には自らを「堕天使ヨハネ」と称して、中二病的なキャラクターを演じております。
そんな善子が第2期第9話で礼節をわきまえた態度を取るんです。
普段から「堕天使」な善子を見て来たキャラ達は、この善子の一面に仰天します。

もしこれ以降、善子のキャラが「中二病」よりも「礼儀を重んじる優等生」的な面が目立つようになったら、キャラブレと言えます。
が、実際は善子はどこまでいっても「堕天使ヨハネ」。
キャラブレとはなっていませんでした。
余談終わり。

話が遠回りしましたが、伏見先生はしっかりとキャラクターを作り込むタイプの作家さんだと言いたかったんですね。

今作になっても、そこは変わっていないと思っています。
しかし、僕は「俺妹」は心から楽しめていたのに、今作はそうでもないんです。
あまり可愛いと感じないし、笑えない。
何故なんだろうか…。


「俺妹」のキャラクター達があまりにも魅力的過ぎたから。
今まではそう解釈し、納得しようとしていました。

実際、京介をはじめ、桐乃、黒猫、あやせと素敵すぎるキャラクター達が出まくってました。
ヒロインズは皆めちゃんこ可愛かったし、とっても好きになった。
キャラクターを愛せたからこそ、彼女達の繰り広げるドラマに一喜一憂しました。
腹を抱えて笑って、時には涙を流した。

比較しちゃならないと頭では理解していても、どこかで比べてしまっていたのでしょう。
正宗よりも京介が男として魅力的だし、ヒロインとして紗霧よりも桐乃の方が可愛い。

どこか承服できない気持ちを持ちつつも、他に理由が思い至らずに今日まで来たのです。


そんな日々にさようなら~。
10巻を読んで、やっと自分が納得出来る答えを得られました。

キャラ理解に欠かせない作中作が欠けてる

この作品はライトノベル作家の物語です。
これ自体はなんら問題のないことです。
同時期に始まった「妹さえいればいい。」もラノベ作家達の群像劇で、超楽しんでます。
しかし今作は、「妹さえいればいい。」と異なり、作中作が重要な位置を占めている作品なのです。
もう少し噛み砕いていえば、正宗達の書いたラノベが、キャラクターの変心の直接的な要因となっている作品なのです。
1巻から彼らの書く物語が誰かを「洗脳」し、心を変えて来たのです。

それなのに、それなのに。
肝心の作中作の中身が一切書かれて無いんですよ。

10巻もそう。
ムラマサが初めて、自分以外の人間に読んでもらうために書いた渾身のラブレター(小説)。
どんな犠牲を払ってでも手に入れたい正宗の心を掴む為に、正宗だけを「洗脳」しにかかった小説ですが、本文の記述は一切ありませんでした。
ただ、正宗の、梅園麟太郎の、神楽坂の「感想」があるだけ。

ムラマサの小説を実際に読めるか否かは、キャラクターの気持ちを考える時に結構大きいなと感じたのです。
いや、ちゃんとキャラクターの気持ちは書かれてるんですよ。
正宗が彼女の小説(ラブレター)を読んで、どう感じたのかは克明に書かれています。
だから、理解は出来るんです。
そうなんだ…と。
でも、納得は出来ないんですよね。
自分で実際にムラマサの小説を読んでないから。

正宗の心境を深い部分で共感が出来ないんです。
キャラクターを理解する為に物語が存在しているタイプの作品なのに、物語が克明でないのでキャラクターの理解が不十分になっている。
そんな感じ。

1巻からこんな感じなので、深いところまで楽しめていないのかなと。
表面ばかりなぞっていて、キャラクターの深いところまで共感できないというか。


まぁ、だからといって、作中作を全て書き出せって言いたい訳じゃないんですけどね。
本当に大事な部分だけでも抜粋して掲載してくれてたら、また違ったのかもしれません。

終わりに

批判的な内容に終始しちゃいましたが、最終巻まで読みます。
途中で「もういいや」って投げ出したくなるような作品じゃ決してありませんので。