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「映画 ドラえもん のび太の宝島」 親子愛に根座したネタバレ感想

この記事は

「映画 ドラえもん のび太の宝島」の感想です。
ネタバレあります。

はじめに

時が経つの早い!!
ついこの間「のび太のひみつ道具博物館」を見に行った気分なのですが…。
いや、マジで。
6年前って嘘でしょ。
あっと言う間に爺さんになりそう。

さて、感想です。
今回はフロック視点とシルバー視点、それぞれに立って感想を書いていきます。
ネタバレありますのでご注意ください。
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全体像

今回は物凄く直球な物語でした。
親子愛。
この1点に集中してストーリーラインが構築されていて、故に非常にシンプルな構造を取っていました。
昨年の「のび太の南極カチコチ大冒険」などに代表されるような伏線を張って終盤に回収するようなギミックは見受けられず、ただただ真っ直ぐに親子愛を謳っていました。

だから純粋に親子愛に感動出来るような設計になっていたのかなと。
ただ、シンプル故に粗が目立っていた作品でもありました。

先ずはその粗の方から僕の感じた所を書いてみます。

シルバーの物語

親であるシルバーの視点から物語を見てみます。
すると2つの大きな粗が目立って見えました。


1つ目は、財宝をかき集めていた理由です。
セーラがしずかに語っていましたが、何故財宝をかき集めているのか、子供目線では謎として描かれています。
何か大人なりの理由があるのではないかと訴えているのですが、その理由が示されぬまま終わってしまいました。

何故シルバーは財宝を集めていたのか。
憶測は立てられます。
ビビとガガに代表される海賊勢は、シルバーの真の目的を知らぬままに彼に付き従っていました。
彼ら海賊は純粋に自分達を海賊だと認識していた訳です。
そんなビビらを従わせる為のフリとして、財宝を集めていた…のかもしれません。
あくまでも憶測の域を出ないので、何とも言えません。

宇宙に出れば、無価値になる財宝。
ひょっとしたら燃料(エネルギー)になるのかもしれませんが、これもまたただの憶測です。
財宝が「のび太達が冒険に出る為のフック」だけにしかなっておらず、物語の核心に何も絡んでこない。
これまでの「映画ドラえもん」シリーズではなかなか無い大きなミスと言えるのかなと。


2つ目は、滅んだ地球というシルバーの見た絶望の未来です。
シルバーが"間違えた"根拠でもあり、行動動機。
全ての出発点であり、シルバーに…親目線で感情移入するには、この点の説明は不可欠です。
それにしては、説明不足でした。

何故滅んだのか。
どうしてシルバーはそれを知るに至ったのか。
そして、どうやって回避するのか。
特に解決法が示されなかったので、もやもやが残る形になっています。

シルバーの選んだ道は、1つの答えではあるんですよね。
手段も方法も間違っていましたが、回避策ではあった。
それを放棄させたのだから、それを解決する道筋は必要だったのではないかな。
だって、「果てしなく先の未来」ではなく、恐らく彼らが元居た時代からすれば「近未来」だったのだから。
妻フィオナに託された大切な子供達を置き去りにするくらいには、シルバーがのめり込んだのだから、フロックやセーラにも直接関係のある近未来。
無視できない事象だけに、何かしらの解決策は示して欲しかったところ。


以上のように親目線で今回の物語を俯瞰すると、色々と疑問が残りました。
故にこの物語を親視点で見ようとするのは、正しくないのでしょう。
あくまでも子供目線で楽しむべきなのかなと感じたのです。

フロック視点

子供にとって、親の考えなんて分からなくて当然なのですよね。
経験も浅いし、知識だって大人に比べれば無い。
広い視野を持っている訳でも無い。
ただ、親が子供の為を想ってしてることが、絶対的に正しくて、子供にとって有り難いものであるのかと云ったら、そうではありません。

誰だって経験あると思うのですよ。
代表的なモノが「勉強しなさい」でしょうか。
親にとってみれば、大抵が子供の将来を危惧しての説教。
しかし子からしてみれば、「勉強なんて社会に出たら必要ないでしょ」理論で有り難くもない話になる。

今回ののび太とのび助の親子喧嘩がまさにそうですよね。
のび助はややママ(玉子)の顔色を窺ってはいましたが、心情的には、のび太の将来を想っての「宿題しなさい」だったはずです。
同じ少年だったパパにとって、のび太の気持ちも分からないではないけれど、それよりも息子の未来を案じた。
冒険に出たい年頃ののび太は、理屈では親の気持ちを汲んでも、感情で突っぱねてしまった。

「親の心、子知らず」なんて言いますが、そんなことはなく。
のび太はしっかりと分かっていた。

きっと、それはフロックもそうであったはずです。
シルバーのやろうとしていることは分からない。
けれど、自分達の為なんだろうってことは心の底で分かっていたのかなと。

最初にのび太達にシルバーの話をした時のことです。
フロックは、シルバーたちを「彼ら」と評していました。
「奴ら」ではなく「彼ら」です。

心底嫌っていたり、憎んでいれば、「奴ら」という表現を使ってもおかしくない場面。
事実この時フロックは、シルバーと対立して家出してた訳ですから、そういう「敵愾心」をむき出しにした表現を用いても不思議ではありません。
それなのに、親愛が窺える「彼ら」という語句を選んでいる。

些細な点かもしれません。
深く考えて使われていた訳ではないかもしれない。
でも、僕は、確信してるんです。
(脚本的に)敢えて「彼ら」という語を選択したのではないか…と。

フロックは、シルバーをどこかで信じていたのではないか。
考えまでは読めなかったし、どういった考えがあるのかは子供にとっては知る必要もない。
ただ単純に「間違っている」ということが分かってればいい。
間違っているならば、それを正してあげられるのは、子供だけ。
のび太達の説得もあって、フロックはそれを実行した。

そういった原理原則に従って、物語は紡がれていたのかなと。


先にも書きましたが、子供にとって、親の理屈なんて知った事ではないんです。
何故財宝を集めているのか。
何故研究に憑りつかれているのか。

きっと自分達の為なんだろうけれど、間違っている。
それだけ分かってれば良い。
親が子供の為を想うならば、子供だって親の為を想っている。

子供目線では、シルバーの思惑なんてどうでも良くて。
間違っていたから正してあげた。
ただそれだけの物語だったんじゃないかな。

終わりに

親子愛とは別に、僕はクライマックスの緊張感の高まりを楽しんでいました。
純粋に先が読めなくて、この先どうなるんだとハラハラ出来たんですよね。

「南海大冒険」だったり「雲の王国」だったり過去作のオマージュを見つけて楽しむのも一興。
大冒険活劇として捉えて、攫われた姫(しずかちゃん)を救い出す王道として楽しむことも出来る。
勿論、子供目線で親子愛に感動するのも1つ。
色々な楽しみ方が出来るんじゃないかな。

あ、あと1つ。
ミニドラが安定の可愛さ。
1人欲しい。