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「青空Jumping Heart」の歌詞とリンク? 「ラブライブ!サンシャイン!!」の物語が最高だ

この記事は

「ラブライブ!サンシャイン!!」の記事です。
記事で何が言いたいか?最高に嵌ってると言いたい、それだけ。

はじめに

よもやここまで嵌ろうとは…。

「ラブライブ!サンシャイン!!」に激ハマりしています。

最低2回は視聴し、気に入ったシーンがあれば延々リピート。
超久しぶりにBDマラソンも敢行。
CDを買い、itunesで曲を買い。
そろそろムックでも手を出そうかなという勢い。

正直に言えば、「ラブライブ!」の評価は自分の中で微妙でありました。
キャラクターの見た目は滅茶苦茶可愛いとしつつ、アニメ版の物語には惹かれなかったのです。
劇場版は良かったのですけれど、TVシリーズの「不自然な物語」展開に抵抗を覚えちゃったのが原因。
勿論主観であり、どこが不自然なのか分からないという方の意見にまで反論する気は無いのですけれど。
この辺については後述するとして…。

放送終了後、フィギュア方面でそれなりに嵌って、何体か蒐集。
ベストアルバムもしっかりと2枚買い揃え、ライブBDまでしっかりと購入。
今日になって「μ's Live Collection」も届いたので、まあ、一般的に見れば立派なラブライバーなのかもですけど。
(ラブライバーさん達に言わせれば、まだまだただの「ファン」レベルの嵌り度な気もしますが)

書かなくても良い事を書きましたが、そんな訳でストーリー面が影を落とし、1つのアニメ作品としての「ラブライブ!」の個人的評価は決して高くありません。
故に放送前は期待していなかったのです。


それがどうでしょう。
1話こそラストの「決めたよHand in Hand」の部分こそ、どう好意的な解釈をしても無理矢理な挿入(悪く言えば販促)にしか思えないのですが、それ以外は実に自然で、安心して見ていられるんです。

何故こうも前作と違った受け取り方をしてるのか?
僕としては「スクールアイドルとしての立ち上がりの違い」にあると踏んでいます。

μ'sは伝説化されて当然の存在

劇中でも最早「伝説」となっているμ's。
このμ'sの扱いが非常に当然のように思えるんです。

いや、だって、普通に考えたら奇跡ですよ。
たった9人の女の子が1つの学校の経営状態を立て直したのですから。
現実的に考えても充分「在り得ない事」だし、それは劇中でだって同じなのでしょう。

だからこそ、逸話と共に彼女達の「功績」として流布され、「伝説」にまで昇華されている。
前作からどれだけの時間が経過しているのかは不明ですが、せいぜい2〜3年程でしょう。
僅かそれだけの時間で「伝説」に成り得るのですから、相当な影響力があったことが窺えます。


それ程の奇跡を起こしたμ'sの物語は、だからこそ「不自然なまでの物語」に描かれていました。
漫画的であり、フィクション的であり、大仰であり。
全校生徒がライブ会場までの道のりを雪かきして穂乃果らをフォローしたりと、現実的に見ると「流石に在り得ないのでは」と思う描写が散見されてました。

勿論フィクションだし、エンタメなのですから、そういう作劇が悪い訳では無く、それを受け入れられるかどうかという個々人の問題になります。
僕としては受け入れられなかったのですが、「奇跡を起こす程のμ'sの物語」としてこれら「不自然」な描写を鑑みると、それ位の周りへの影響力が無いと説得力も無いのかなと。

全校生徒の心すら動かせないのに、廃校が決定した学校の存続…入学希望者の大幅な増大という奇跡は到底無理。
学校を救えるレベルの影響力があるのです。
「流石に在り得ない」ことを「当たり前」として描かなければ説得力も生まれず、故にμ'sの物語は「不自然なまでの物語」になっていたのかなと。


Aqours誕生は、そんな伝説…。
言うなれば「本物のアイドル」に憧れる一般の女の子目線なんですよね。

「物語の主人公」では無い千歌が始めた物語

東京で偶然知ったスクールアイドルのμ'sに憧れ、スクールアイドルを始めようとメンバー集めに奔走する千歌は、本当に普通の女の子として描かれています。
μ'sメンバー含めて「特別な」女の子なんて出て来てませんけれど、「物語の主人公」的な目標も意義も持たないという意味では、穂乃香よりもずっと身近な存在なんですよね。

穂乃香はまさに「物語の主人公」なんですよ。
自身が通う高校の廃校を知り、廃校から救うという大きな目的を持ってスクールアイドル活動を始めるなんて、一般ピープルには考えもしません。
例え考えても行動には移さないし、まして、成功させるなんて偉業は無し得ないでしょう。

対して千歌は、そうじゃない。
μ'sへの強い憧れと今までの自分を変えたいという気持ち。
それだけであって、実際に行動に移せる部分は凄いトコですが、動機的には「誰しもが持ちえる」レベル。
普通の女の子が普通の動機で始めてるから、不自然なまでの漫画的描写が見られないんですよね。

とはいえ、リアリティを求めていくような作風ではありません。
最終的にどうなるかは分かりませんが、浦の星にも廃校(統廃合)の恐れがあると発覚。
一切の気負いなく、μ'sの軌跡を真似たいという感じで、統廃合から救おうと動き始めました。

同じ目標を得て、いっきに有名となり、ラブライブを優勝して…となると、今までの物語から見るとおかしなことになります。
だから、ゆっくりと、そこへ向けて進んでいく様も非常に自然となっています。

3年生の描き方が秀逸

過去にも統廃合の噂が持ち上がり、千歌よりも前にスクールアイドル活動で学校を救おうと1つのスクールアイドルが立ち上がった。
8話でのダイヤの告白は、これまでの彼女の行動を裏付けるものでした。

頑ななまでに千歌達の前に立ちはだかり、Aqoursを認めようとしなかった理由も。
3話での初ライブの際「実力では無く街の人達の好意。勘違いしないように」と釘を刺した理由も。
成程ね〜と納得出来るものでした。
鞠莉の無茶振りやPV作成時の厳しさ、果南の行動も全て得心出来たんですよね。

既に2年前に、ダイヤ、果南、鞠莉の3人が「奇跡」に挑んで、挫折を味わっていたというのは作品全体に係わる非常に大きな出来事に思えます。
東京でのライブで見せつけられた厳しい現実。

この3人は、「もしものμ's」なんですよね。
穂乃香と全く同じ理由で活動を始め、成功したμ'sと失敗してしまった3人。
失敗し、諦めてしまった3人。

穂乃香たちが素人には無い特別な才能を持っていたという描写は無かったので、スクールアイドルの力としては初期のμ'sもダイヤ達3人も大差無かったと想像出来ます。
だけど、片や成功し、片や失敗したというのは、「決して甘い世界では無い」という「スクールアイドルの現実」を描くには十分でした。

ダイヤはμ's時代と今ではグループ数が違う事を理由の1つに挙げてましたが、それを差し引いても厳しい世界だと教えてくれたのが千歌達の「惨敗」。
支持者ゼロですよ。ゼロ。
逆に在り得ないとすら思える数字がAqoursを襲いました。

ダイヤ達が味わった屈辱を千歌達も味わう。
片や諦めて、片や再起する。


シンデレラストーリーも心地いいんですけれど、こういう挫折を糧にそれでも前を向いて頑張る姿って心に響くんですよね。
悔しさをバネに再び動いた千歌達が、どうダイヤと果南の心を動かすのか。
物凄く楽しみであり、期待感で満ちています。

そう。
「青空Jumping Heart」の歌詞が如く!!

「青空Jumping Heart」の歌詞とリンク?

いつものセカイが あたらしい扉を
(もっと)
隠してるの
(Let’s Go)
全部開けたいよ ほら一緒にね

1番の歌詞の一部です。

この部分にパート分けってあるのかな?という疑問。
ググってみると、どのサイトも2番のパート分けについては言及されています。
2番のソロパートは、順に
CYaRon!⇒AZALEA⇒Guilty Kiss
であると見解が一致しています。

耳は悪いのですが、僕も同意。
誰がどこを担当しているか知った上で聞くと、正しいように思えます。

では、1番は?
パート分けに言及してるサイトはどこも1番全部全員で担当としています。
実際にCD音源を何度聞いても、全員で歌っている気がしてなりません。

だけど、見つけたサイトでは唯一1か所だけ、全く異なる見解を載せています。

ここでも基本全員で担当となっている1番。
しかし、上記の場所だけパート分けが書かれています。
抜粋してみます。

(果南・ダイヤ・鞠莉) いつものセカイが あたらしい扉を
(善子・花丸・ルビィ) (もっと)
(千歌・梨子・曜・善子・花丸・ルビィ) 隠してるの
(善子・花丸・ルビィ) (Let’s Go)
(千歌・梨子・曜・善子・花丸・ルビィ) 全部開けたいよ ほら一緒にね

ソースが分からず、これが正しいのかどうかは不明です。
不明なのですが、「これが正しい」という仮定の元、物語に照らしてみたら、ああスゲエなと。

「いつものセカイ」とは、普段の日常と解釈出来ます。
普通の女子高生としての普通の日々。
そのセカイが、「あたらしい扉」=「スクールアイドルとしてのセカイ」を「隠してる」。
何が「隠してる」のかといえば、厳しい現実。

沢山の人の前、異様な空気。
歌えなかった過去。
第1回大会の10倍のエントリー数。

厳しい現実。

それが「スクールアイドルとしてのセカイ」を「隠してる」。

千歌・梨子・曜・善子・花丸・ルビィがそんなセカイの扉を「全部開けたい。一緒に」と果南・ダイヤ・鞠莉を誘っている。
厳密に言えば、鞠莉は千歌達側に近いスタンスなんですが、3年生3人の絆を想えば誘われる側に置きたい。

本当にこういったパート分けなのだとしたら、歌詞と担当者と物語が絶妙にリンクしていて1人で感動してしまいました(笑
「隠してるの」の部分が3年生3人の担当だったら、もしくは、「 隠してるの?」と語尾に?マークが付いていたら、僕的にはより完璧でしたがw

終わりに

μ'sの物語が奇跡の偉業を成し得たキラキラの物語に対してAqoursはもっと泥臭い物語。
挫折を味わい、ゼロからのサクセス(して欲しい)物語。
故に応援し甲斐があるというか。
成功が約束されて無い分親近感(?)が湧くというか。

9人が9人とも可愛いというのが特筆すべき点ですが、泥臭くも頑張る9人の物語に惹かれています。

始まった時の (Sunshine Story)
ときめきずっと大事にね
夢を捕まえに行くよ
どんなことが起こるのか分からないのも
楽しみさ

統廃合から救えるのかどうかは問題ではありません。
そこが最終的な目標ではないですからね。

Aqoursが始まった時のμ'sへのときめきを大事にして、夢を捕まえに行く彼女達の姿が眩しい。
どんなことが起こるのか視聴者にも分からないけど、そこが楽しみ。

一先ずは、いよいよ9人体制になりそうな第9話が待ち遠しくてたまりません。
オープニングは勿論エンディングでも描かれている高校生3人の関係性が大好きな自分には本当に楽しみです。