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劇場版の"予習"が完璧に出来る漫画版「心が叫びたがってるんだ。」〜美味いが巧い〜

この記事は

漫画版「心が叫びたがってるんだ。」の感想記事です。
ネタバレありますのでご注意下さいませ。

はじめに

日付が変わりまして、9月18日(金)。
いよいよ今晩0時より、最速上映を皮切りに公開が始まります「心が叫びたがってるんだ。」。
「あの花」大好きな僕としては、待ちに待った日がやって参りました。

最速上映を知り、うんうんと悩みに悩み、行こうか行かぬかと逡巡を重ねたのですが、止めにしました。
次の日、つまりは本当の「初日」である19日が仕事なので。
流石に支障を来す可能性の高い最速上映は社会人として止めとくべきかなと。
心にも時間にも余裕を持って、20日に見に行こうと思っております。

と、そんな僕の個人的な事情はどうでも良くて。
気になっておりましたコミカライズ版を購入して参りました。
「コナン」等小学館系列のアニメでもCMが流れていたりして気になってたんですよね。
公式サイトでチラッと読めるのですが、絵もなかなかどうして良い感じで。

「買わない理由は無いな」と。

「あの花」と言い、超平和バスターズ作品はコミカライズの漫画家さんに恵まれておりますね。
そんな訳で、この記事ではコミカライズ「心が叫びたがってるんだ。」の感想を記してみます。

「あの花」スタッフのテイストを感じられるオリジナルストーリー

どうやら作画担当の阿久井先生がお話まで担当されているっぽいですね。
巻末の「ごあいさつ」によれば脚本担当の岡田麿里さんからキャラクターの造詣を授かり、それを元に彼らの過去を組み立て的に書かれてますので。
なので、"どこまでがオフィシャルなのか"は不明ですが、それでもキャラクターの把握は十分できました。

どのお話も「言葉が他人に及ぼす影響」に焦点が当たっていて、それ自体がキャラクターを表していたから。
僕が「心が叫びたがってるんだ。」という作品に今現在持っている印象通りだったんですよね。
というより、このアニメスタッフが作りそうなお話と思えたんですよね。

メインキャラが4名いて、1巻では1人ずつ「主人公」のお話が収録されているのですが、敢えて今回は坂上拓実と仁藤菜月のエピソードのみを取り上げてみます。
1話は拓実視点で、2話が菜月視点。
中学2年の2月なのかな。
この時期を視点を変えて描いていたお話がとても良かったんです。

中学生くらいの年頃だと、「付き合ってるかどうか」という冷やかしは、人にとっては堪らなく嫌な事なのでしょうね。
特に菜月のような奥手な子にとっては。

正直2人が疎遠になってしまった所は、読んでいて「どうしてこうなった」としか言いようがなくて。

「本音を言わない」拓実は、菜月が「(拓実と)付き合ってないよ」と言ってしまった事を謝って来た時もつい「気にしてないよ」と嘘(丸っきり嘘ではないかもですが、本音では無いという意味で)をついてしまう。
菜月としては、ここはハッキリと怒りでも良いから見せて欲しかったでしょうにね。

「気にしてないよ」なんて言われちゃったら、何も言えなくなりますし、何よりショックでもありますよね。
「付き合ってない」を肯定された気もして。

この2人のお話って、悪意の無い言葉(冷やかし)が菜月を追い込み、心にも無い事を言わせてしまい。
それによって拓実と菜月、両者を傷つけてしまうというもの。
(菜月にとっては冷やかしは悪意のあるものだったという描写もありましたが)
「言葉が他人に及ぼす影響」による葛藤と擦れ違い。

どうしてこうなっちゃうんだという想いとは裏腹に、青春だな〜としんみりするような。
甘酸っぱさの残る物語。
「あの花」のような雰囲気をしっかりと纏った、つまりは、(アニメスタッフ達)超平和バスターズがいかにも描きだしそうな物語だったなと。

「うまい」

そうそう、もう1点。
食事に関する対比が地味に効いていました。

夫婦仲が冷え切った坂上家。
拓実の夕飯はカップヌードルだけ。
両親が口げんかするなか、1人それを啜る夕食の風景。

それでも拓実は「ごはんがうまい!」と心の中で言ってます。
寂しげに描かれている空のカップヌードル。

誤解を生むかもですが、カップ麺というのは「孤独」を想起させる食べ物です。
独り暮らしを連想し、寂しさを覚える食べ物なんです。

しかし、拓実はそれを「おいしい」と満足げに受け入れています。
そんなにカップ麺が好きなんでしょうか?
否。「違う」と考えられるシーンがありました。

カップ麺そのものは「別に嫌いじゃない」と心の内で評してるんですよね。
ここ、好きならば「好き」とモノローグで言うところです。
しかし、そうではなく「嫌いじゃない」としている。
彼は「本音が言えない」だけで「本音を想わない」訳では無い。
モノローグはほぼほぼ本音と捉えて良いはず。

「特別好きではないけれど、おいしいと言っている(想っている)」。
両親と離れたい、1人になりたいという本音をカップ麺を美味いと言わせる事で表現してるのかなと。


菜月の食事シーンは、母との夕餉。
家族と共にしているだけあり、いくつかのお皿が卓上を賑わし、嬉しそうに食べています。
嬉しそうなのは「好きな人が出来た」からでもあるのですが。
当然菜月はそんな食事を「ご飯がおいしい!」と表現。

ここは拓実のシーンとの対比と解釈しました。
独りを欲する拓実とは逆に、「誰かと繋がっていたい」という想いが菜月の根底にあるのだろうなと。

少し話を戻しますと、拓実が謝りにきた菜月に言った「気にしてないよ」という想い。
これ本音が多少なり入り混じったものだったのかなと。
直前のモノローグでも「気にしてない」と言ってますから。
モノローグが本音であるという前提で考えれば、そうなります。

そうなると、では、拓実は本当に菜月のことをそれほど想ってなかったのかもしれない。
本当は付き合いたく無くて、独りでいたかったのかもしれない。
考えたくないけれど、そんな考えに至ってしまう。

ただ、それすらも「素直な気持ち」では無いのではないかと"期待"しています。
菜月からバレンタインの本命チョコを貰い、それを口にした時も「うまい!」と心の中で叫んでますから。
「一緒にいたい」という気持ちの籠った食べ物を素直に受け入れてるんです。
本当の本当の部分では、拓実もまた菜月同様に「誰かと繋がっていたい」という想いを抱えているんじゃないかな。

両親の事もあり、本音を言えない性格になり。
独りを望んでいて、その実、独りを拒んでいる。
彼の「素直な気持ち」を是非に劇場版本編で聞いてみたい。
聞けるのではないか。
そういう"期待"が持てる食事を使った対比シーンでありました。

まとめ

「あの花」を匂わす空気感がしっかりと感じられ、キャラクター同士の関係。
また、キャラクターそのものを良く知れた。

「予習」としてはこれ以上無いコミカライズであったと思います。
俄然劇場版が楽しみになりました。

心が叫びたがってるんだ。 1 (裏少年サンデーコミックス)

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