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「名探偵コナン」 自殺を全力で否定する事の素晴らしさ

この記事は

「名探偵コナン」の考察?記事です。
ネタバレありますのでご注意下さいませ。

自殺は罪かどうか

「名探偵コナン」で、コナン君のある有名な台詞があります。
コミックス第16巻「名家連続変死事件」で、コナンが平次に言った台詞。

犯人を推理で追い詰めて、みすみす自殺させちまう探偵は…
殺人者と変わんねーよ…

これを聞いた平次は「耳が痛とうてかなわんわ!」と返しています。
平次も描写されていない事件では何名か自殺させてしまった犯人が居たんでしょうね。
ただ、この言葉を聞いた平次も第19巻の「浪速の連続殺人事件」で、真犯人の自殺を食い止めようとし被弾。
コナン(新一)の言葉に感化された事が窺えます。

という事で、「コナン」の世界では、自殺させちまう探偵は殺人者と変わらないという事を表現している訳です。
要するに、自殺はいけないという事ですね。

ここで唐突ですが「金田一少年の事件簿」に話を移します。
この漫画では、真犯人の自殺が定番のように言われている節があります。
でも、実際はそこまで多く無かったり。
自殺してしまったのは長編37事件中7人。(20周年記念シリーズまでの原作漫画全長編)
真相究明後他の人物に殺されてしまったり、自殺未遂に終わったりという事も多いので、「金田一少年に出てくる真犯人=自殺」という定義が生まれてしまったのかもしれません。
で、この7人の真犯人達ですが、皆、探偵であるハジメに推理で追い詰められたから自殺を選んだわけではありません。

「金田一」の犯人達は、基本的に皆事件を起こす前から一度「死んでいる」んですよね。
深い絶望を味わわされ、「人間としての死」を選んだ後、死んだ状態で復讐鬼となった。
ようは自暴自棄とでもいうのかな。

「奴らを殺したら、死んでも構わない。
寧ろ、生きる目的を遂げるので、自殺は本望。」

みたいな。
そんな考えの真犯人ばかりなので、犯人側の立場から見れば、コナンのこの考えは当て嵌まらないのではないかな。
ハジメの事を説教臭いとか偽善的と揶揄する声は、こういう犯人側の立場で事件を見ている人達の意見と言えそうです。

ただ、作品全体で見ればコナンの考えを否定している訳では無い。
犯人の自殺者が無くなったのはハジメ自身の成長と公式で言われているように、「推理で追いつめて自殺させるようでは」という考えはしっかりとあるんですよね。
自殺してしまった犯人に対して、ハジメ自身は泣いたり悔しがったりしてますしね。
自殺を試みる犯人が居れば、ハジメは自分の命を危険に晒してでも助けに走る。
逮捕されたならば、その後も彼なりに真犯人達の心のケアに努めている。
そんなハジメの行為は、決して偽善的とは言えないし、彼の努力が実を結んで自殺を防止出来ているのかなと。

「コナン」に話を戻します。
「金田一」の犯人達を例に取れば、犯人側には自殺する尤もらしい理由が存在し、それは彼らの立場になって考えれば尊重されても良い事かもしれません。
自殺は仕方ないと。
しかし、やっぱり自殺はダメだと個人的には思います。

現実では已むに已まれない事情で…という事もあるでしょうし、それについては僕なんかが軽々しく発言できないんですけれど、せめてフィクションの中でもダメだとして欲しい。
ダメなんだと謳われて然るべきだと思うし、「コナン」でもそれをはっきりと謳っているなと。

コナンの素晴らしさ

「名家連続変死事件」について重大なネタバレを書いていきます。
この事件の犯人は、放火で殺された両親の敵討ちの為に殺人を犯しました。
放火犯は2名。
しかし、火事の際そのうちの1人に助けられた上、本気で愛してしまった。
愛した男が復讐の相手であり、しかし、彼は慙愧の念に駆られ自殺。
犯人は、残った1人に鉄槌を下した訳です。

火事で両親を亡くし、天涯孤独となってしまった犯人を救った放火犯。
吊り橋効果的に、ググッと来ちゃったのかもしれませんね。
孤独な心を癒してくれて、惹かれてしまい…。
唯一の心の拠り所となっていた彼が、実は両親を殺害した放火犯だと知った時の彼女の心境は如何ほどだったのでしょうか。
作中では「許せなかったけれど、愛してしまった」という複雑な心境を吐露しています。

愛と憎しみを寄せていた彼が自殺してしまい、いよいよ1人となってしまった彼女は自殺を図ります。
これをコナンは事前に見越して防いだわけですね。

このケースの場合は、真犯人側の見解に立って考えてみても「みすみす自殺させちまう探偵は殺人者」となるんじゃないでしょうか。
つまりは、コナンの考えが正しい。

自殺を試みた理由が「愛した人の後を追う為」でしたから。
推理で追い込まれようと追い込まれまいと関係無く、彼女は自殺を試みた可能性が非常に高いんです。
なんせ自殺用にガソリンを用意していたんですからね。

この事を事前に察知し、更には彼女が救われる可能性をも見抜いていたのですから、コナンの取った行動は人命を優先した大変素晴らしい行為に思えます。

コナンの後悔

コナンが悔いている事件があります。
彼が唯一真犯人の自殺を許してしまった事件、「ピアノソナタ「月光」殺人事件」です。
父の復讐の為、3人に手を掛けた真犯人は、コナンの説得も聞かずに自殺を遂げます。

この事件の犯人は何故自殺を選んだのでしょう。
コナンに推理で追いつめられたから?
違うんではないでしょうか。
「名家連続変死事件」同様、自殺の準備を前もってしていたからです。
だから、コナンが考えているように、「自分の推理で追いつめてしまったから」というのは間違いだと考えてます。
「金田一」の犯人達と一緒ですよね。
探偵に事件を暴かれたから自殺を選んだわけでは無い…と。

じゃあ、何故コナンはこの事件を持ち出して、こんな事を言っているのでしょうね。
コナンが勘違いをしている訳では無いと思うんです。
犯人の最期のメッセージが、コナンに対する感謝の言葉であったから。
あくまで持論なんですけれど、これは一種の戒めなんじゃないでしょうかね。

改めて犯人の自殺理由を考えてみます。
全ての復讐を果たし、生きる目的を失ったからでしょうか?
これも恐らく違いますよね。
そこまで復讐に人生を捧げていたという描写が無いからです。
父の死の真相を知ってから、実際に行動に移すまでに2年も掛かっているという事も「復讐だけで生きていた」と言えない点だと考えます。

では何故かと言えば、やっぱり殺人を犯してしまったからなんでしょうね。
先程書いた実行するまでに2年と云う歳月。
2年前に父の死の真相を知り、同時に今回の殺人計画を思いついたのに、何故にそんなに実行を待ったのかといえば、誰かに止めて欲しかったからなのではないか。
2年の間に、例えば自分の正体がバレる。
女装していた訳ですから、バレる可能性は幾らでもあったでしょうし、そうすればそこから計画も潰される可能性だってある。
または、楽譜という証拠もあったのですから、それが公表され当時の火事の真相が暴かれる可能性だってあった訳です。
小五郎に送った殺人予告状にしても、コナンが解釈したように自分を止めて貰いたい一心だったのでしょうね。

「憎かった相手と同様、手を血みどろに染めてしまったから」
憎い人間と同じ人間に堕ちてしまったから、彼は自殺を選んでしまったのだという持論。
人命を救うという医者という職業に就いている分、命の尊さや重さを誰よりも理解しているのかもしれない。
それだけに、命を奪う殺人行為に対する嫌悪も実は誰よりも強いのかなって。

つまり、彼の殺人を止められなかった時点で、自殺を選ばせてしまった訳で。
もっと早く止められたならば助けられたという想いが、コナンに悔いを残したんでしょうね。

自殺を描いたものの、それを主人公に悔いさせることで、自殺はいけないのだと表現している。
「コナン」では、この考えをしっかりと持ち続けているからこそ、作品全体で自殺はいけないと提唱しているように感じるんだと思ってます。

終わりに

ウェルテル効果というものがあるようです。
自殺報道が拡散すると、手口を真似た後追い的自殺が増えるらしいです。
実際の調査結果によって証明されている事みたいですね。
芸能人の自殺報道後にファンによる後追い自殺が度々あったりしますが、それもこの効果による影響らしく、こういうのは深刻な問題ですよね。

小説などのフィクション内の自殺に関してのウェルテル効果の有無は識者によって見解が分かれるところらしいですけれど、事実後追い自殺はあるみたいですから。
とある漫画のキャラの死にショックを受けた少年が自殺してしまった‥とか。
この手のやり切れないニュースはたまに見かける気もします。
ウェルテル効果は、若年層が影響を受けやすいようなので、割と漫画やアニメ等でも効果を齎しそうな気もします。

であるならば、やっぱり自殺を描くのであれば、慎重にならないといけないのかなと。
「金田一」のように、しっかりとした背景を描写するか、「コナン」のように徹底的に否定するか。
(「金田一」が自殺を肯定している訳ではありません)

なんでもかんでもフィクション(特に漫画やアニメ)のせいにするような風潮が僕は大嫌いなんです。
「金田一」や「コナン」等の犯罪を扱っていると、その面だけを見て教育に悪いとか言う人も居る。
そういう意見自体は別に構わないですが、もっとちゃんと見て欲しいと。
どちらも(勿論その他のミステリも)犯罪を助長してもいないし、賛美もしてない。
犯罪はダメだという精神が根底に流れているし、自殺にしてもやはりダメだと謳っている。

特に自殺に関しては、実際に影響を及ぼす可能性が提示されている以上、しっかりとダメだとする必要もありそうですし、それを行っている作品はこういう面でももっと評価されても良いんじゃないかなとも思います。