ラノベと萌えの相性は抜群に良いと考える理由
この記事は
ラノベに関する記事です。
小説は楽しいね。
はじめに
最近小説が楽しくて仕方ありません。
今主に読んでいるのは2本。
東川篤哉氏の「烏賊川市シリーズ」。
今現在シリーズ3弾「完全犯罪に猫は何匹必要か?」を読んでるところです。
ユーモア溢れる軽妙な筆致が兎に角読みやすく、非常に楽しく読んでいます。
それでいて、きっちりとした本格ミステリを成しているのがとても良いです。
(大体の真相が途中で読めちゃうのが少々瑕ですが、欠点という程でも無いので)
シリーズを制覇したら、この先は西澤保彦氏の「腕貫探偵シリーズ」にでも手を出してみようかなと思っています。
西澤氏もユーモアを織り交ぜた文体なので、好きなのです。
もう1本がラノベの「彼女はつっこまれるのが好き!」。
帯の「ページをめくるたびに爆笑できるハイテンション・コメディ」の踊り文句に釣られて購入。
全く以てツボに入らずに爆笑なんてとても出来はしなかったものの、別段つまらないという訳でも無かったので、続刊の購入を決めました。
(まだ1巻しか読んでません)
そうそう。最近では「生徒会探偵キリカ」も読了しました。
こちらは大笑い出来て、お話にも魅了されちゃいました。
ミステリと呼ぶには色々と「違うんじゃないか」という想いの方が強くはありますが、「ミステリ調の学園ラブコメディ」としては一線級。
キャラの掛け合いの妙味と張り巡らされた伏線が収斂するストーリーの流れは、一読の価値ありかなと感じます。
さておき。
最近は読みたい小説が多くて嬉しい悲鳴を上げている感じなのです。
若しかしたら、漫画やアニメよりも今は興味が強いかもしれない。
で、昔から思っている事は、活字には活字にしか許されていない魅力がある事ですね。
どんなメディアよりも想像する余地が残されている。
だから楽しいのです。
「リドル・ストーリー」
例えば物語の形式の一つに「リドル・ストーリー」というものがあります。
物語中で敢えて結末が描かれず、顛末を読者諸氏に委ねるという形式を採った作品の事です。
これはドラマや漫画、アニメ等にも採用されています。
例えば、「それでも町は廻っている」の一編「穴」(原作第18話、アニメ第10話Aパート)。
ちょっと不思議なSFチックのお話です。
謎の光線銃で町中に穴を作ってしまった歩鳥が、同じく謎の復元装置を手に入れた紺先輩と修復するというエピソード。
物語は、悪っぽい宇宙人が、紺先輩の使った装置の力で復元。歩鳥達に背後から襲いかかりそうになる…という場面で幕を閉じています。
この後、歩鳥達がどうなったのかは明かされてません。
本編の描写だけ切り取ると、「リドル・ストーリー」として成立しているエピソードですね。
「本編の描写だけ切り取ると」という回りくどい書き方したのは、実はそうでないからなのですが…。
宇宙人達が喋る謎の言語。作中には「日本語訳」が描かれていませんし、アニメでも喋られていません。
ですが、これ「翻訳可能」であり、訳す事でその後の顛末がどうなったか推して知る事が出来るようになっています。
てなわけで厳密な意味では「リドル・ストーリー」とは呼べないかもしれませんが、それでもこのエピソードはそうだと言っても良いと思っていて。
長くなりましたが、このように「視聴者・読者に結末を想像させる物語」が生まれたのも、小説が発祥の様です。
原典となる作品は不明ですが、「リドル・ストーリー」を説明するものによっては、「小説の一ジャンル」という書き方のモノもありますので。
ちょうどはてなキーワードでも、
結末が読者の想像にまかされていて、謎のままに終わる、パズル的な小説。
となっていたりしますし。
このようなストーリー形式が成立するほど、小説というモノは読者の想像を刺激し、物語やキャラクターに深みを与える事に長けた媒体である証左と言えるのではないかと思うのです。
そして僕は思うのです。
小説を読んでいて。
小説に出て来る女性は総じてとても魅力的であると。
理想の「美女」を想像する
ミステリ小説くらいしか実際読まない僕ですが、兎に角出て来る女性といえば、揃いも揃って「美女」なのです。
「妖艶な」とか。
「清楚でしなやかな」とか。
何かしらの定型文がくっつく事で差別化を図っているものの、決まって「美女」又は「美少女」。
活字の世界には美女しかおらんのかと思う位、美女ばかり。
そのような「美女」を登場させこそすれ、作品にもよりますが、容姿に関しての描写って意外なほど少ない。
筆者が思い描く姿を同じように想像する事が出来ないようになっている訳です。
分かりやすく「女優の〇〇似だ」なんて書かれているものにも出会いますけれど、こういうのは稀。
大抵は「目鼻立ちがすっきりしている」だの、抽象的な表現に留まっている。
だから、想像し放題なのですよね。
少ない情報を加味しつつ、頭の中で「自分が考える理想像」をぼんやりと思い描いてしまう。
無意識のうちにそんな事をして読むものだから、滅茶苦茶魅力的に写ってしまうのですね。
これだと僕がただのむっつりスケベに想われてしまいますので、少々補足を。
まあ、むっつりスケベに関しては否定はしませんけれども…。
このような事は、僕はほぼ全ての登場人物に対してしています。
男も女も。老若男女関係なく。
そうして、頭の中である程度一定の「想像図」を描きながら、小説に触れています。
これって一般的に多くの方が普通にしている事でもあると思うのですよ。
確証はないけれど、そう思っていて。
で、漸く核心に触れますけれど、だから僕は「ラノベと萌えの相性が抜群に良い」と考えるのです。
イメージを損なわないラノベ
折角主旨に触れたのに、また横道に逸れます。
漫画やアニメ、小説が実写化される時に、最も耳目を引く事は何か?
僕は、キャストにあると思っています。
つまり、どんな俳優がキャスティングされるのか。
一番の注目はココじゃないかな。
で、公表されると一斉に値踏みするわけです。
「あの役者はキャラにあっているから良かった」
「イメージと違うから変えて欲しい」
アニメ化の時の声優発表の折にも似たような声を耳にしますけれど、実写の時はより大きい声。
皆、自分の中のキャラクターのイメージと役者を重ねあわせている訳ですよね。
容姿が定義されている漫画でさえ、人によって脳内のイメージには大きな違いがある。
容姿が描かれていない事の多い小説では、尚更でしょう。
人は自分の中のイメージというモノを何よりも優先し、大事にしている事が多い気がするのです。
そのイメージを損なわないのがラノベだと考えます。
ラノベって一口に言っても様々なジャンルがあります。
ただ、中でも「美少女」とか「萌え」とかを売りにしている作品も大勢を占めている気がするのです。
これはラノベというものの特徴の一つでもあると思っていて、否定できない事実なんじゃないかな。
採用されているイラスト群を眺めまわすだけで、想像に難くない事実…。
で、これらイラストは、イメージのプラスになる事はあれ、マイナスに作用する事って殆ど無いと思うんですよ。
勿論「絵師が嫌いだから」とか「このイラストは苦手だ」とか、そういう事は僕にだってある。
(嫌いなイラストレーターはいないけれど、苦手な絵はあります。)
なんでもかんでも受け入れる事は難しいし、不可能だし、する必要もない。
ただ、いくらイラストが重視されているからと言っても、ラノベはあくまでも小説なのです。
イラストが気に入らないからという理由だけで、小説自体を敬遠する事は…あるかな…(汗
まあ、あったとしてもその「ラノベを読まない理由」としては、極々少数派だと思う。
イラストは、表紙に口絵、巻頭のイラスト数点程度ですしね。
気に入らないならば、充分無視出来る範疇だから。
そういった訳で、イラストは売上などに貢献こそすら、敬遠される理由としてはグッと小さい事であると思うのです。
人のイメージも同じ。
自身の思い描くイメージと重なったり、若しくはイメージ以上のイラストならば、よりキャラに感情移入出来るでしょうし。
そうでなくても、自身のイメージを優先させちゃう事が出来る。
イラスト(絵)が中心の漫画やアニメ。役者の顔を無視できない実写には真似できない部分。
ラノベのラノベだからこその長所。
個人的な事を書きますと、イラストがプラスに働いたのは「俺の妹がこんなに可愛い訳がない」。
文章だけでも悶えるくらい可愛らしいキャラが、絵と相まって物凄い破壊力を生みました。
逆にイラストにはピンと来なかったけれど、文章の想像力でキャラに愛着が湧きまくったのが「生徒会探偵キリカ」。
キリカのヒカゲに対するデレ言動の破壊力と言ったら、もう。
初見では何とも思わなかったイラストも、可愛く見えて来るから不思議です。
まとめ
小説って、想像力を働かせて読む分、キャラへの感情移入度も高い。
どこまでもキャラを美化する事の出来る媒体であって。
だから、変に感情移入しすぎちゃうと失敗する事も多いんです。
ミステリ読んでる時は特に注意が必要。
多くの「美女」は大抵犯人だったり、腹に一物抱えてたりするからw
綾辻氏の館シリーズは、そんな事ばっかりだったな〜w
「犯罪の陰に女あり 」なんていう言葉は、推理小説が起源なのではと疑いたくなっちゃいますw
(フランスの慣用句(を意訳したものの一つ)らしいですね。知らんかった)
閑話休題。
小説の良い部分である「想像する楽しさ」は当然持ち合わせていて、そこに可愛らしいイラストがくっつく。
そのイラストが気に入らなければ、文章が主体の小説だから容易に「無視」出来る。
気に入れば、当然大きくプラスに働く。
人にとって理想の異性というのは、常に頭の中のイメージにだけ存在します。
小説は、それを投影できる最適なツール。
ラノベと萌え文化は、とっても相性が良いと思うのです。