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「ソードアート・オンライン」 作品に付き纏う緊迫感を生んだ、たった一つの死

この記事は

「ソードアート・オンライン」の記事です。
ネタバレありますのでご注意下さいませ。

バトル作品にある緊迫感に関して

「ソードアート・オンライン」が滅茶苦茶面白い。
これ系のアニメでは珍しく主人公のキリトの性格が個人的にも好みで、非常に頼もしく格好良い。

さて。
こういった冒険やバトルを扱った作品で大事なのって緊迫感があるかどうかだと思います。
生死に関する緊迫感。
中には死という概念を取っ払っている作品もありますが、この作品は違います。
1話にて死という概念をこれ見よがしに提示したのだから。

だからバトルで死を感じられないと、緊迫感を保てずに冷静に見れてしまう。
別にだからと言って作品が面白く感じられなくなる訳では無いですけれど、やはり緊迫感ってあった方が良いと思っていて。

結論から言うと、この作品には死への緊迫感が常にあるんですよね。
何故なのか?
やはり最初に死を実際に見せられたからだと思うのです。

サチの死が大きいよね

尤も最初に物語の暗い面。
死を見せてきました。
1話での「ゲームルール」から始まり、そしてプレイヤーの死という「現実」を見せつけられたのです。
ディアベルとサチですね。
物語的には、サチの方が重要ですが。

こういった一種のヒーローモノの定番というと、ヒーローの仲間や周辺の人物は死なないというお約束みたいなものがあると思うのです。
特にヒーローが守ると決めた相手は、先ずもって死ぬことは無い。
僕も当初ヒーローであるキリトの"仲間"は死なないものと勝手に思い込んで視聴していたのもあり、サチの死は非常に衝撃的でした。
キリトの側で、かなりあっさりと殺されてしまったという事実も重かった。

これが大きいんですよね。
第4話のシリカや第7話のリズベットも死んでしまうんでないかとドキドキしながら見てましたもの。
ツイッターで呟いた事もありますが、シリカは蘇ったピナに食べられてしまうんではとか本気で心配しながら見てましたし。

「キリトが側にいても、死ぬこともある」
これを刷り込まれてしまった為、未だにバトルに緊迫感を持って視聴出来ている。

物語当初に死を見せつけて、「いつ誰が死ぬか分からない」という事を刷り込む手法は、ともすればこの手のジャンルでは王道と呼べるのかもしれない。
とはいえ、こういったお約束事と言える事をキッチリとやっているから、非常に見やすいし、何よりも面白い。
物語に緊迫感が生まれて、ドキドキしながら視聴出来るのですから。

まとめ

キリトにとってもサチの死は途轍もなく大きな出来事であった事が描かれていました。
だからこそ、あれ以降彼の周りの人物の死は描かれてはいません。
これが「作品から死が無くなった理由」となっていて、非常に好感が持てる部分ではあるものの、となると、この先も死は無くなって緊迫感も薄れるのではと考えてしまう。

けれど、一度死を見せつけられている為、いつ・また・誰かがと考えてもしまう。
特にゲームがラスボス(そんなのいるのか?)攻略付近までいくと、危険性も高まる筈。
最後に大きな死(「死」に大きいも何も無いですが)を描くがために、今は"封印"している可能性だって考慮すると、やはり、緊迫感が薄れるという事は無さそう。

僕は、紙の上に描かれたキャラクターであっても、無碍に殺すような作品は好みません。
この作品も、毎回のようにキャラが死んでいたら、今ほど楽しめていたかどうか。
サチの死も、当初は結構悲しかった。
けれども、ここまでキリトや作品全体に影響を及ぼしていると考えると、浮かばれるというか。

なんにせよ。
今緊迫感を持って視聴出来ているのは、彼女のお陰なんだと思っております。