Mangaism

アニメ、漫画の感想や考察を書いてます

女性キャラを可愛く見せる手法を考える〜「じょしらく」の場合〜

この記事は

「じょしらく」の記事です。
ネタバレありますのでご注意下さいませ。

最強の見た目作品?

「じょしらく」が自分のツボに妙に嵌ってます。
ストーリー性の無い萌えアニメ(?)では、久々のヒット。

アニメの1話見て、即刻ネットカフェで原作2巻まで読んで。
普通に面白くて、困りましたねw
いや。別に困る事は無いのですけれど…。
漫画でもアニメでもCMでも書かれたりしてますけれど、「この漫画は女の子の可愛さをお楽しみ頂くため邪魔にならない程度の差し障りのない会話をお楽しみいただく漫画です。」って言う常套句。
まさにその通りというと、原作の久米田先生に失礼になるかもですが(汗

でもね、アニメ、漫画のキャラの可愛さって総合的なモノですよね。
これは現実にも言える事ですけれど。
外見は勿論、基本的なキャラクター(性格)や台詞の言い回し。
人によっては立ち位置なんかを気にする事もあれば、アニメになると声や動きなども大きな幅を利かせて来る。
という訳で、久米田先生の考える内面も相まっての可愛さなので、貶している事にはならない筈!!

とはいえ、こういう考え方をする事は、久米田先生の本意では無いのかもしれません。
台詞(言い回しなど)やキャラの性格から可愛さを感じたりせずに、単純に見た目の可愛さだけで楽しんでほしいと考えているのかもですし。

まぁ、上の常套句は一種の皮肉というか。
久米田先生なりのギャグなのだと思うし、その一方で字面通り「女の子の可愛さ」=「ヤス先生の描く女の子」を楽しんでほしいという事でもあると取っておきます。

個人的には久米田先生曰く主人公らしい手寅が良い。
正直5人の中では一番地味w
wikipedia見るまでずっと魔梨威が主役だと思ってたのに、そうじゃなくて一番地味な彼女と知った時は衝撃でしたw

見た目も地味な子だけれど、中身も普通でしたしね。
ツッコミやボケ、どちらかに特化している訳でも無いし、何か彼女特有の特徴がある訳でも無い。

それなのに一番気に入ったのは、原作での私服姿にやられたから。
やはり殊更ファッショナブルという訳では無かったのですが、やたら似合っていて。
コミックスが手元に無い上に(買ってはいない為)、ネット上で画像も拾えなかったので、提示できないのが口惜しい。

ただこれって、まんまと久米田先生の思惑に嵌っているというか。
現実でも女性の私服姿にクラっと傾く事って男ならば一度や二度はある筈。
(女性でも「センスのいい服を着た男」を見れば、そういう事あると思う。)
服装が非常に似合っていると感じた場合、その女性自体の魅力がマシマシになる事って一般的な感覚ではないかな。

普段簡素な着物姿がメインの「じょしらく」。
これが好きという方もいらっしゃるでしょうけれど、やはりどう見ても「女性本来の魅力にプラスになっている」とは僕の感覚では思えず。
マイナスとまでは言わなくても、プラマイゼロって感じ。
だから余計に私服姿の破壊力が凄かった。
その上「似合っている」と感じた為、手寅株がストップ高という訳ですよ。

あ。ちなみに次点は木胡桃。分かりやすくてすみません…。
声が好き過ぎた…。

何故本名を設定していないのか?

で、僕はこの作品「女の子の可愛さを楽しむ為」には一つ難点があると思っていて。
それは当の女の子たちの名前ですね。

防波亭手寅
蕪羅亭魔梨威
波浪浮亭木胡桃
空琉美遊亭丸京
暗落亭苦来

傍から見ると一昔もふた昔も前の暴走族がこぞって使いそうな漢字の羅列にしか見えない所がwww
正直、この御世辞にも可愛らしいとは言えない高座名しか判明していないのが、難点と言えないかなと。

勿論キャラクターの内面を表しているという意味では、意味のある名前ではあるんですよね。
木胡桃なんか特に。
彼女の高座名は平たく書けば↓ですよね
「ハローキティの着ぐるみ」

これ結構深いネーミングだと思っていて。
ハローキティは「カワイイ」と誰もが感じるサンリオを代表するマスコットキャラクターです。
成人女性でも広いファン層がいて、女性ならば多くの方が好きだと誰しもが考えられるほどの人気キャラ。
ネタ元通り、木胡桃も他のメンバーに可愛がられていますよね。
女性に可愛がられるという点で、本歌取りとなっている。

久米田先生らしいのは、そこに腹黒さを仕込んでいる点でしょうか。
ハローキティはハローキティでも、それは「ホンモノ」では無く「着ぐるみ」なんですよという事を言っている。
カワイイ見た目とは異なる可能性を持った「内面」(中の人)がいるという暗示。

カワイイ見た目を着飾っているという事を表現しているように取れて、木胡桃はそういう面を持っている事も先日の3話で描かれていた事は記憶に新しいかと存じます。
彼女の名前を分析(という程の事では無いけれど)するだけで、見事に「名は体を表す」を地で行っている事が窺えて、素晴らしいネーミングに思えます。

でもね。
可愛らしさを楽しむという点に於いてはマイナス要素でしかない。
魔梨威と苦来くらいかな。音で聞く分にはマイナスにならないのは。
逆に丸京が一番酷いかなw

名前というのも、割かし可愛さという部分に寄与する面がありますよね。
僕自身そういう事があるので、そう思っているのですけれども。
そう言った意味では、可愛さがほぼ無い高座名ではプラスにならない。
何故に本名が設定されていないのか?

先程僕はこの作品に関してこう推測しました。
「台詞(言い回しなど)やキャラの性格から可愛さを感じたりせずに、単純に見た目の可愛さだけで楽しんでほしいと考えているのかも」と。
名前から受ける可愛らしさというのは、見た目とは違った部分から生じています。
性格では無いけれども、台詞に関係していると考えても差し障りない事かな。

これを基にさらに推論を展開してみると、本名を設定していないのは「見た目以外の可愛さに着目されたくない」という意思の表れなんじゃないかなと考える訳で。
ただし、「テトちゃん」、「キグちゃん」等作中で使われている愛称がそこそこ可愛らしいので、全然見当違いの事かもしれません。

それにしても、彼女らの本名の件からも「差し障りの無い会話」になるよう徹底しているように感じますし、自虐でもギャグでも無くて、実際マジなのかもしれないと感じました。

おわりに

女性キャラの可愛さをどう描くかに焦点を当てて書いてみました。
次も同じ話題で、今度は山田尚子監督の演出に照らし合わせて記事にしてみようかと思ってます。