読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

アニメな日々、漫画な月日

アニメ、漫画の感想・考察

「ものの歩」と「クロガネ」に見る「努力と挫折の物語」が高める主人公への感情移入度

この記事は

ものの歩」考察記事です。
ネタバレありますのでご注意下さいませ。

はじめに

週刊少年ジャンプ」2015年42号より始まった「ものの歩」。
作者は「クロガネ」の池沢春人先生。

剣道漫画から将棋漫画へ。
池沢春人先生の2作品の主人公像を比較しつつ、個人的に「ものの歩」の主人公・信歩の方が感情移入出来る理由について書いてみます。

感情移入出来るか否かは、キャラクターの背景や動機など総合的に判断して、理解・納得が出来るか否かです。
この考えを元に、2作品の主人公を見てみます。
尚、第1話の描写のみに限定しています。

「クロガネ」の主人公ヒロト

「クロガネ」の主人公ヒロトは、特別な"眼"の持ち主でした。
ヒーローに憧れる彼は、しかし、運動神経が悪く、どんなスポーツに挑戦しても上手くいく事は無く、優れた動体視力も宝の持ち腐れとなっていました。
高校に入り、幽霊のさゆりから剣道を薦められたヒロトは、剣道にのめり込んで行くというストーリー。

ヒーローに憧れ、努力をするも叶わず、挫折しかけている。
そこに希望が射して、這い上がっていく。
王道のプロットですし、主人公に感情移入しやすい入り方であると思います。
実際、ヒロトは十分に努力したと回想してますし、敵わないと知りながらも人助けにいく勇気も持っている。
"ヒーローの資質"を持ち、かつ、「自分に適した道」に出会った事で才能を開花させるというのも納得出来るものです。

一定の感情移入は出来るのですが、ついつい疑問を差し挟んでしまうのです。
本当に剣道以外の道は無かったの?
と。

運動神経がゼロで、見えるけれど体が動かない。
だから、どのスポーツもダメだった。

桜一刀流は、力で劣る女性の為に生まれた剣術故、力や速さを必要とせず、相手の動きを利用するというもの。
ヒロトの眼は、相手の動きを追える為、故に活躍出来るとされています。

調べてみますと、剣道は力をあまり必要としない武道とも言われていますし、運動神経が悪くとも続けられるらしいです。
個人の見解であって、色々な意見はあるでしょうけれど、そう仰っている剣道家がいるのは事実。
だから、理屈は通りそうです。
剣道が適していたのは事実として受け取れます。

しかし、他のスポーツがダメだった理由にはなっていないんですよね。
例えば、卓球。
ヒロト自身、卓球をやっていたと言っています。
卓球は何故諦めちゃったんでしょう。

こちらもまた、運動神経を然程必要としないとなっています。
大きな力も必要ありません。
その分反射神経は必要ですが、それは剣道だって、他のスポーツだって同じ。
反射神経が悪くとも、他の部分で補えば(プロとして食っていこうとか考えなければ)やっていけるんじゃないかな。
それこそヒロトの眼があれば、訓練次第でどうにでもなる気がするのです。
そう。ヒロトの眼は、卓球に向いてるんですよね。

球速は、時速換算で120キロ程。(トッププレーヤーの平均)
野球の球速がマックス160キロ台なので、数字だけを安易に比較してしまえばそれ程速くないと思われがちですが、球の飛び交う距離を考慮すると大違い。
狭い卓球台を挟んだ時の体感速度は、全てのスポーツの中でもトップクラスなんじゃないでしょうか。

反射神経と動体視力がモノを言う世界。
ヒロトは反射神経が鈍くとも、眼がある以上、彼に適したスポーツと言えそうです。

1話に於ける喧嘩にしても、さゆりの助力があって成し得たモノ。
同じように、さゆりが「黄金の継承者」候補を探して彷徨う幽霊で、ヒロトの眼に才能を見出し、卓球の道に引きずるとしても成り立ってしまいます。
こうしても、最初はさゆりが力添えをして、"物語の緒戦"を飾った事でしょう。

所謂"巻き込まれ型"の主人公(つばめを助けに入ったのは、ヒロト自身の意志だが)であるヒロトですが、「巻き込まれた先」の必然性が少々弱いんですよね。
しかも、「巻き込まれた先」である剣道にしても、ヒロトに合わせて作られた可能性があります。
桜一刀流の設定は、ヒロトの設定から逆算して作られているかの如く相性が良すぎるのです。
(桜一刀流の設定ありきで、ヒロトの性格設定が作られた可能性もあり、どちらにしても、相互作用してる関係性と推測出来ます)


ヒロトの眼は、スポーツ選手にとっては途轍もなく有意義な"能力"です。
運動神経がゼロというだけで、今までどのスポーツでもダメだったとするには、強すぎる能力なんです。

「散々足掻いたけれどダメだった」という努力と挫折の跡がしっかりと見えれば見えるほど、その後の展開に大きなカタルシスが生まれ、同時に感情移入も大きなものとなるのですが。
ヒロトの場合は、他のスポーツでもやれたのではという疑念が大きく、この「挫折の跡」が弱く映ってしまいます。

ものの歩」の主人公信歩

物語の構造というのか、入り方は「クロガネ」と全く同じです。
信歩もヒロト同様の"巻き込まれ型"の主人公。
同じように挫折を経験し、将棋に出会う事で物語が始まるというのは、やはり「クロガネ」と酷似しています。

ヒロトと信歩の大きな違いは、「何をやって来たか」です。
ヒロトは、ヒーローに憧れ、ヒーローになるべく努力を重ねてきた。
運動神経がダメながらも、果敢に様々なスポーツにチャレンジして、「自身の限界」を定めてしまっていた。

ヒロトが多くの道に手を伸ばしてもがいていたのならば、信歩は逆に一点集中型。
「勉強しかやってこなかった」人間。
こういうところにも彼の不器用さ・要領の悪さ・視野の狭さが見て取れます。
人一倍勉強してきたという自負があるからこそ、結果が伴わず、挫けかけていました。

要領が悪く、目の前の問題から目を反らせられない性分。
話を振られてもすぐに答えられないのも、頭の回転が遅い訳では無く、「色々と考え込みすぎてしまう」から。
要領が良ければ、考え込むタイプでも、饒舌になるのでしょうけれど、彼はそうではないですから。
将棋のように「応えるまで相手が待ってくれる」のは、日常生活ではそうそうにありませんしね。

信歩のような性格は、漫画的誇張があまり無く、とても自然です。
ひどく一般的と言っても過言ではないはずですし、一点集中型の思考力というのも、特段漫画的能力ではありませんよね。

確かに将棋に出会ったのは偶然であり、将棋しか無かったとは言えません。
チェスや囲碁などでも問題無かったでしょう。
けれど、「勉強しかやってこなかった」彼が、たまたま自身の性分に合ったモノに出会った最初が将棋であっただけ。

とはいえ、第1話で描かれたストーリー、信歩のバックボーンなど全てが彼の性格を表現していて、「将棋しかなかった」と思わせられる確かな説得力がありました。
「勉強だけの半生」という点が、他のモノではダメだったと邪推する余地を無くしていて、有り触れた自然な性格描写が納得感を喚起させ、感情移入を高まらせてくれる。


手を広げたのにダメだったという描写は、「他の道での成功の可能性」を想像させます。
逆に一点集中型にし、かつ、「手を広げられなかった」性格付けをすることで、その想像を読者にさせない。
そうして、主人公の「努力と挫折の跡」をくっきりと刻む事が出来ている。
骨子を同じくしながら、ほんの少しのことで主人公への感情移入を飛躍的に高めている好例なんじゃないでしょうか。
あくまで僕個人の主観ではありますが。

終わりに

とはいえ、努力の跡を魅せるって難しいですよね。
特にスポーツを題材にしていると。

1つの競技をやってきたけどダメだったとしても、ではなぜ他のスポーツに挑戦しなかったんだと言えちゃいますし。
多くの競技に手を出したけどダメだったとしても、上で書いたような「いちゃもん」を言えちゃう。

最初から剣道一筋できたけれど、眼という才能を活かせずに、努力しても全然進歩しなくて挫折。
そこへ、さゆりが桜一刀流を伝授すべく現れて、才能を開花させていく…って感じならば、良かった…のか???

所詮は好み。
やはり「クロガネ」の読み方は、穿ち過ぎだと自分でも思います。
それでも、「ものの歩」1話読んだ時の納得感は凄まじかったんですよね。
とても練られた設定だ、凄いな〜と。

作品として、どちらの方が素晴らしい・上だなどと言う気は毛頭御座いませんが、こと1話に於ける主人公への感情移入度としては、「ものの歩」の方が良かったと思います。