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アニメな日々、漫画な月日

アニメ、漫画の感想・考察

「バケモノの子」 感想

この記事は

「バケモノの子」の感想記事です。
ネタバレありますのでご注意下さいませ。

はじめに

面白かったと思います。
分かり易いテーマを分かり易い筆致でストレートに訴えられていましたので。
ただ、予想に反してパワーが足りなかった。
予告編で感じていたグッと湧き出てくるような圧倒的なパワーが本編からは得られなかったんです。

感想

9歳の男の子・蓮の胸に空いた穴。
多くの出会いによってそれが埋まっていくまでの物語。
簡単に纏めるとこんな感じで、王道と呼んで差支えない物語。

この映画、大きく2つに分けられますよね。
どういう分け方でも良いのですが、個人的に一番しっくり来るのが前半の「少年・九太編」と後半の「青年・蓮編」ですね。
九太も蓮も同一人物ですけれど、敢えて名前を使い分けたいんです。

先ずは「少年・九太編」。
概要は、渋天街での熊徹らとの日々ですね。

両親の離婚で父が去って、突然の事故で母も亡くした。
僅か9歳の子が激しい喪失感に苛まされるのは当然のように思います。
そんな状態で、熊徹という熊のバケモノと出会ったことで始まる物語。
前半は、九太がどれだけ熊徹らを大切な存在として認めて行ったのか、そのプロセスを描く為のもの。

傍目から見ていても、この2人は良い関係とは感じられませんでした。
九太は子供らしい生意気盛りな上に、対する熊徹も反抗期の中学生みたいな性格。
相手の話は聞かないわ、すぐに切れるわ。
いがみ合ってるシーンが殆ど。
でもそんな関係も少しずつ形を変えていき、九太が「相手を理解する」業を身に着け始めました。
僕には、熊徹の動きを真似る事で、心身ともに成長を始めた様に映りました。
熊徹もそれに呼応するかのごとく、反抗期からの脱却に入ったのかな。
時の移ろいと共に、2人の成長が見て取れたんです。

喧嘩ばかりだった関係でしたが、喧嘩すら出来ない状態だったことを想えば…。
本音を晒しあえる仲の家族がいなかった時を想えば…。
九太にとって熊徹がどれほど掛け替えのない存在となったのかは容易に想像つきます。


続いて後半の「青年・蓮編」。
青年期となり、ひょんなことから久々に人間界に戻った蓮は、そこで1人の少女・楓と出会ってます。
楓の存在は、「蓮を人に"戻す"」水先案内人の役目を負った子だったのかなと。

少年期を渋天街で過ごした蓮は、学が足りていなかった。
この先、人の世界に復帰するには、どうしても必要になって来ちゃう部分(流石に大学行くレベルの知識までは必須とは言えないんですが)。
これを分かり易く補う為に、彼女が登場したのではないかと思ったんです。
ようは、この先に待つ渋天街との別れのフラグですよね。
渋天街で生きて行くには必要の無い知識を、楓を師匠とする事で求めた訳ですから、蓮はどこかで人間界に戻りたいという欲求があったのでしょうね。
大学進学まで考え、父とも再会を果たした。

着実に蓮として再び生きて行く下地を整えていく過程が綴られていました。


こうして少しずつ、人間界への復帰が描かれ始めた蓮。
最後の一押しは、「ifとの決別」でした。
いよいよ心の穴を埋める儀式ですね。

物語が青年期に入って蓮の"影"としてもう1人の「バケモノの子」がクローズアップされます。
初登場時から、お前どう見ても人間やんけとツッコミを堪えて来た一郎彦君です。
育ての父である猪王山を尊敬し、彼のようなバケモノになりたがっていた一郎彦。
自分が人間であるとは知らず、しかし、父とは違う己の容姿にコンプレックスを抱え、幼少期から少しずつ心の闇を蓄積してしまった少年。
さりげなく、九太が9歳の頃からコンプレックスの確かな証左である念動力を使えたという布石がありましたし、主人公が克服すべくハードルの描写としては十分に感じたかな。
まあ、境遇の似た九太が成り得たifの姿をしたのが彼でした。

一郎彦を倒す事が、蓮が自らの心の闇を退ける証左となります。
非常に分かり易い構図です。
更に分かり易さを重ねてきたのが熊徹の付喪神化でしたね。
心にある剣というのが、どういうものかは想像で補うしかないんですが…。
個人的な信念とか「絶対に曲げられない己」みたいな意味合いで捉えました。
そういう抽象的な概念を剣という物に例え、剣に姿を変えた熊徹が、スーッと蓮の心の穴の中に入って、塞いでいく。

とても丁寧な分かり易い物語で、蓮の心が埋まっていく様子が描かれていました。

「蓮」と「九太」が1つになる

そうそう、個人的に良かったと思えたのが、「蓮」と「九太」が1つになるように見えた2つのシーンですね。
蓮は、人間界(渋谷)と渋天街で、名前を使い分けていました。
「使い分けていた」というとちょっと語弊があるんですが、事実そのように映ったんですからこの表現で容赦下さい。
剣と本。
2つのアイテムを効果的に使っていた。

渋天街に住む九太にとっての象徴は剣でした。
幼い頃から熊徹に叩きこまれた剣の腕。
熊徹との絆を感じる九太にとって掛け替えのないアイテムとなっていました。

一方、渋谷での蓮は、本が大切なモノ。
彼に知識を与えてくれるモノであり、楓との出会いを作った物でもあり。
決戦前に楓に託している事からも、本が大切なアイテムであったことが窺えます。

九太にとっての象徴を蓮として受け取り、蓮にとっての象徴を九太として受け取る。
この行為が「蓮」と「九太」が1つに重なることを描いていたのかなという解釈。


一郎彦との渋谷決戦。
楓の前で蓮として戦う彼は、この状態で九太の象徴である剣になった熊徹を受け入れました。
人間界で蓮として熊徹の剣を胸にしまったのは大変に意義が有る様に思ったのです。

騒動終結後、渋天街に戻った九太は、そこで渋天街に呼ばれた楓と会います。
九太として、蓮の象徴である本を楓から受け取っていた。

2人の人物が最後の最後で1人に纏まったかのような。
フュージョンしちゃったような。
そういう錯覚を覚え、凄く良い演出だなと感じました。

剣を捨て人間界に生きる事を選んだ=蓮として生きる道を選んだ。
けれど、心には剣(熊徹)という九太をしっかりと宿している。
蓮が父に「何も分かってないのに」と怒っていましたけれど、しっかりと過去を肯定し大切にしまい、その上で前を向いて生きて行く様が見て取れたんです。

パワー不足と感じた個人的な理由

でも、いまいちパワーが不足していたなと感じずにはいられない。

楓の存在は、蓮が蓮として生きる道を選択する重要なファクターになってはいると理解してるんですが、彼女の登場に唐突感を否めなかったんです。
熊徹との絆も分かるんです。
分かるんですが、心に訴えてくるような。
感動で涙を流すようなパワーは無かったんです。

見ていて、感情に訴えて来る力が足りていない様に思えてしまった。
どこか淡々としていたというか。

スケール感とかはでっかいんだけれど、描いている事は酷く現実的だからというのもあるかもしれません。
1人の少年の成長物語として捉えれば、スケール感は必ずしも必要ではありませんから。
「サマーウォーズ」のような世界的な危機とか「おおかみこどもの雨と雪」のような切ない親子の別れのように物語のスケール感とテーマの大きさが一致していなかったというか。

まあ、僕の結論としては1つですね。
描きたいテーマに対して、上映時間が圧倒的なまでに足りなかった!!!!!!

やってることって「おおかみこども」と近しいと思うのですよ。
前作はしかし、上映時間が短いとは感じなかったんです。

蓮の父が「子供の(体感)時間と大人のそれは違う」的な事を言ってました。
僕はこれ何となく分かるんです。

子供にとっての1年と大人の1年では、実時間は同じでも体感上は全然違いますよね。
大人の1年なんてあっという間。
毎日毎日ルーティンな日々。
代わり映えのしない日々を無為に過ごすだけ。
(そうじゃ無い大人が世の中で成功するんです。僕と違ってw)

子供の1年といったら、劇的に変わります。
身体的にも精神的にも大きく成長する可能性を秘めている。
進学によって学校が変われば、環境も大きく変わるし、行動範囲も比して広がるでしょう。
1年が濃く・長く感じれる年代。

子供にとっては1年なんて遠い昔のことでも、大人にとっては昨日のように感じる。
基本大人目線だった「おおかみこども」が数年間の出来事を2時間弱で語られていても短くは感じませんでした。
しっかりと花の半生に感情移入出来たんです。
母である花を主人公として作品を捉えたら、十分な長さだったんですよね。

今回は主に子供の蓮目線。
子供目線で子供の成長を早回しの如く2時間で纏められてしまうと、物足りなく思えちゃう。
子供の時間では、もっともっと色々あったでしょうし、その色々の積み重ねを追体験する事で、熊徹との(物理的な)別れも違った風に映った筈です。

楓との勉強の日々は、これはもう全く時間が足りてなかった。
熊徹と九太との関係がメインでしょうから、致し方ない部分ですが、蓮と楓の絆の描写は本当に必要最低限に纏められちゃってましたから。
ここを厚く出来ていたのならば、楓の存在の唐突感は無かった気がします。

もしTVシリーズとして、12話ほどの長尺で描かれていたら、また全然違った感想を持てたんじゃないかな。
また、敢えて青年編を切って、少年・九太編だけで彼の孤独感を埋めるような構成になっていたら、それはそれでまた違った面白さがあったようにも感じました。

終わりに

長編映画として必要なシーンをきっちりと押さえて、丁寧かつしっかりと纏まっていたことは否定しません。
キャラの感情も追いやすいですし。
ただどこか物足りなさもあって、それが僕の中で「パワーが足りなかった」という表現に落ち着いたのかなと。