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「1/11 じゅういちぶんのいち」 最終章に仕掛けられた叙述トリックの効果

この記事は

「1/11 じゅういちぶんのいち」の記事です。
ネタバレありますのでご注意下さいませ。

はじめに

実写映画化も果たした「1/11 じゅういちぶんのいち」が「ジャンプSQ.」での連載を終えました。
実に不思議で異色なサッカー漫画でした。
主人公・安藤ソラの周辺人物にスポットを当て、彼らのドラマを描きながら、彼ら視点でソラを描いていくという構図。
だから、必ずしもサッカー選手ばかりに光が当てられる訳では無くて、スポーツ記者とかクラスメイトの女の子とか、そういう人物も話の主役になるんです。
その為「サッカー漫画」というよりかは「人間ドラマ」、「青春劇」としての趣の方が強い作品でありました。

1/11じゅういちぶんのいち 1 (ジャンプコミックス)

1/11じゅういちぶんのいち 1 (ジャンプコミックス)

直向きにサッカーに打ち込むソラに影響される老若男女・様々な事情を抱える人々のどこまでもポジティブに・強く生きるんだという姿に毎回感銘を受けましたね。
読後感の爽やかな青春劇だからこそ、毎月楽しみに読んでいました。

さて、そんな異色のサッカー漫画が最終回を迎えた訳です。
全9巻という短さ。
非常に寂しい。
寂しいけれど、実に今作らしい最後だったので、満足感も高かった。

何故、こうも満足出来たのか?
考えてみました。

高速人生

前振りはありました。
凄まじい速さで作中時間が経過していた事です。

基本的に1エピソード1〜3話で構成されている本作。
毎回ソラの周辺の1人物がエピソードの主人公に選ばれて、その主人公を中心に展開されています。
クラスメイト、チームメイト、クラブオーナーに番記者、安藤の家族・親戚まで。
本当に様々な人を主人公に据えなければならないので、時間を止めておくよりは進めた方がやりやすいというのがあったのかもしれませんね。

1エピソード毎に時間が跳躍していました。(基本進んでいたのですが、時折戻る場合もあったかな)
ソラが高校生のエピソードが終わったら、次は日本のクラブにプロとして入団していて。
次には日本代表にまでなって、更に次のエピソードでは海外へ移籍していたり。
「おいおい、これ時間の進め方速すぎじゃないの?」と心配していたら、あっさりとソラが引退後の時代になったりと。
引退しちゃった時は流石に驚きましたもの。
「引退しちゃってるよ。えええええええええええ。どうすんのこれぇぇぇぇ」って感じで。

実写映画公開時期にニュースサイト「ゴルゴ31」さんのコメントで「もうすぐ最終回」的な事が書かれていましたので、コミックスやインタビュー等では予め告知があったのかもしれません。
それを知っていた方からすると、引退にも驚く事は無かったのかもですが、僕は「SQ.」での連載だけを追っていたニワカ。
まさか、引退しちゃうとは思っても居なくて。
いよいよサッカー漫画とは違ってきちゃうんではとハラハラしたものです。

最終回まで読み終わってみると、全てに納得。
「安藤ソラ」という人生を完遂させる物語だったのだと。

ネタバレとなりますが、最後ソラが死んじゃうんですよね。
歳を召し、病気で亡くなってしまう。
ジャイアンみたいなガキ大将の台詞だけで死の事は描かれて、最後の最後までソラ視点が入らない。
ソラの登場も、最終回なのに最後の数ページのみ。
天国で四季(ソラの人生に最も影響を与えた女の子)と再会して、「天国でも楽しくサッカーをしてる」事を想わせるようなカットで以て結ばれている。
このラストカットは、第1話と同じ構図でした。

主人公の死は悲しいものです。
でも、作中時間の経過スピードから見ると、必然だったとも言える。
一貫してソラの人生を外から見せられて、彼の最期を"看取れて"、だからこその満足感がありました。

ただ疑問もあったんです。
最終エピソードの主人公が何故、安藤とは縁もゆかりも無い小学生の男の子だったのか。

最終章に仕掛けられた叙述トリック

最終章のあらましを簡単に振り返ってみます。

CLの一戦をTVで観戦する1人の少年。
少年の目は、「安藤」にくぎ付けとなっています。
そう。最終章は安藤を目標にした少年の物語。

煽り文は「全てはここから始まった―」。
最終章にして最初の地点の物語なのかなと想像が膨らみます。

とある公園でサッカーを楽しむ少年達。
しかし、1人だけ皆よりへたっぴな剛志君は、ジャイアンみたいなガキ大将達から仲間外れにされてしまいます。
サッカーをしたいのにサッカーに混ぜて貰えず、打ちひしがれる剛志の下に、その様子を遠巻きに見ていた老人が近寄ります。

「…また あそこへ戻りたいか」

皆がサッカーを楽しむ河川敷のフィールドを指差し、剛志に問う老人。
疑問に思いつつも、軽快なリフティングを魅せる老人の腕(足と言うべきか?)を信頼し、剛志はコーチを依頼する。

コーチを始めるにあたり、剛志に名前を聞く老人。
その名にどこか思い入れがあるのか、良い名だなと呟く老人と剛志の特訓がこうして始まった…。

という内容。

上にも書いちゃいましたが、実はこの老人こそがソラでした。
しかし、前編を読んだ時点では、剛志とソラの間には接点が無いように見えるんですよね。
多少こじつけでソラとの接点を作るとしたら、少年の名前が「佐藤剛志」だった事くらい。
四季の旧姓であり、ソラが呼び続けた「ツヨシ」を名前に持っているという点だけ。
老人になったソラは、しかし、だからこそこの少年を気に掛けていたのですが‥。

折角だから、もっとソラに近い人物を主人公に持ってきても面白かったと思ったのです。
例えば、ソラの孫とかね。
ソラに憧れ、ソラの息子(孫から見れば実父)を誇りとし、自らもプロで活躍する孫視点で、祖父であるソラを描くというのは、最後の締めとしてはそれはそれで相応しかった気がしてなりません。

でも、そうじゃなかった。
最後の主人公は、ソラとはちょっとした間の師弟関係を結んだだけの少年でした。
何故、剛志だったのか?

剛志だった意味は、最終章に仕掛けられたトリックが大きな意味を持ってきたのかなと。
剛志が憧れていた「安藤選手」が実はソラの事では無くて、ソラの孫だったという事実は、最後のトリックでした。
読者を騙す叙述トリックが仕込まれていたんですよね。

▼叙述トリックとは
ミステリ小説において、文章上の仕掛けによって読者のミスリードを誘う手法。
具体的には、登場人物の性別や国籍、事件の発生した時間や場所などを示す記述を意図的に伏せることで、読者の先入観を利用し、誤った解釈を与えることで、読後の衝撃をもたらすテクニックのこと。

少年の憧れがソラならば、ソラが現役時代のエピソードとなります。
つまりは時間が巻き戻った「過去のお話」と捉える事が出来ます。
実際最終章前編を読んでる時は、そうだと思っていました。
剛志少年を指導していた老人がソラだなんて、これっぽっちも考えなかったんです。

最終章後編の終盤になって実は老人がソラだったという事が判明し、ここで漸く最終章の時代がいつなのか分かる訳です。

先程画像を2点載せましたが、このトリックに関する重要な点。
ソラとソラの孫は、とっても顔が似ています。
違いと言えば、左目の下にある泣きぼくろの有無でしょうか。

ソラにはほくろがあって、孫には無い。
画像が荒くて分かり辛いかもですが、1枚目は孫です。
わざとほくろが見えない構図で描かれています。

2枚目は老人になったソラ。
目元が描かれていないんですが、ここは一貫していました。
この老人、顔が描かれて無いんです。

キャラの顔が描かれていない時はどんな場合かといえば、
・話に関係の無いモブの時
或いは
・顔を隠したい事情がある時
ですね。
前編では「老人=ソラ」の方程式が無い為、前者の場合かと思っていたのですが、実は後者。
「ほくろを描かなくても良い」という利点を生かして、敢えて顔を描いてなかったのではないでしょうか。
(主人公の老け顔を見せたくなかったという理由もありそうですが)

1枚目の孫をソラと読者に思い込ませ、老人をソラでは無いと誤認させる叙述トリック。
編集者の煽り文もこの読者の誤認を補強しています。
ここからも意図的にトリックが仕込まれていたんだという事が窺えます。

このトリックの効果は凄まじかったです。
叙述トリックというのは、敢えて読者を意図した方向にミスリードする点にあるので、答えが分かった時の衝撃って大きくなる傾向があります。

剛志を教えていた老人がソラだったという事実には、滅茶苦茶驚かされました。
接点が薄いと感じていたソラと剛志の間には、しかし、今までの人物たちに負けない位の強い関係性があったと分かったからです。

そういえばソラが監督とかコーチをしてたという経歴は描かれませんでした。
あれほどの選手だったのですから、一度くらいプロチームの指揮を取っていたとしても不思議じゃないのに。
だからか剛志が作中で唯一と言って良い「ソラに直接指導してもらった人物」になった。

ソラから技術を学び、簡単には挫けない精神を授けられた。
「サッカーの神様に選ばれなかった」という理由でサッカーを諦める必要は無い。
「自分でサッカーを選ぶんだ」という心。
一度は断念しかけた自分自身を立ち直らせた精神を次代の少年へと受け継がせる。

何の職業にも当て嵌まる事ですけれど、やっぱり「自分に憧れて、同じ職業を目指してくれる子供達」というのは、嬉しいものです。
自分の孫に憧れ、自身の精神論を植え付け、サッカーを続けてくれる少年を育めたことは、ソラにとっても誇らしかったんではないか。
ソラに影響された人物として、なるほど、剛志は最後に相応しい逸材だったのかもしれません。

まとめ

前編の時点で老人の正体を明かしていた場合は、どうだったのでしょうか。
いつもの事ですが、そういうifを考える事自体無粋で意味を持たない。
最終章としては、今と然程変わらず納得出来るものになっていたかもしれません。

ただ、個人的には今ほどの充足感は得られてなかったのではないかと考えます。
叙述トリックの効果はそれ程大きなものでした。

1話と最終章を重ねた展開にする事で、ソラと剛志を重ねあわせ、ソラと四季が重なる。
とても満たされる最終回であり、素晴らしい漫画でありました。