Mangaism

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「鬱病への理解の難しさ」と「多田万里の理解の難しさ」は似ている気がするという話

この記事は

「ゴールデンタイム」の記事なんだと思いたい。
ネタバレありますのでご注意下さいませ。

鬱病が理解されない

ちょっとおかしな方向の話をしますが。
鬱病の理解ってこの国では悲しい事に全然広まっていないように感じます。
こう書きつつなんですが、僕だって分かってない。
やはり自分が罹った事の無い病気なので、どれだけ辛いのか。どういう症状なのか。
親が罹患してるので、目で見て知ってはいても、理解は出来てません。

脳が委縮する「脳の病気」であり、他には「心の病気」とか「精神の病気」とかとも言われてますけれど、実際の所どうなんでしょうね。
(脳が委縮するという点で認知症と同症状なので、この見極めは医者でも難しいらしいです。これを知ってるだけでも、どれだけ恐ろしい病気なのか多少は理解も出来る気がするんです)
専門医ですら「何故なるのか」「どうやって治すのか」明確に確立出来てない事だから、素人である僕らが理解出来ないのも仕方ないのかもしれません。
それにしても「甘え」とか聞くと腹立たしいんですけれどね。
少なくとも「歴とした病気である」という最低限の認識だけは持ってもらいたい。
絶対に苦しいんだから。
なってみないことには分からない辛さがあり、「自殺を決意しちゃうほど辛い病気」なのは間違いないんだから。

話をガラッと変えて。
「ゴールデンタイム」の展開に毎度毎度翻弄されていて、多分僕は楽しめてないと思う。
ぶっちゃけると、登場人物たちのいきなりの喜怒哀楽表現が理解出来なくて、その度に「何故?」「なんで?」となっている。
大体そういう引きをわざと作って、その次の回で「どうしてそういう行動に至ったのか」が説明されて、ようやく「成程」となる訳ですが…。

それでも1つだけ理解できない事があります。
多田万里の事。

多田万里が理解出来ない

記憶喪失になった多田万里。
記憶を失う前の亡霊万里と記憶を失った後の多田万里がいて…。
この時点でうっすらと頭の上に「?マーク」が浮かんでしまうのですが…。

ややこしい事にこの亡霊万里と多田万里が入れ替わる(?)事があって。
その度に多田万里が発狂して、遁走したり。
ここばかりは本当に良く分からない。
終いには「多田万里は消えていなくなる」と言いだしたので、いよいよ理解が及ばなくなったんです。

でも、そうですね。
白状すると「理解の放棄」です。
自分自身の経験や知識の不足、作品への理解度から判別出来てない事を棚に上げて「分からないからダメ」と身勝手な烙印を押してしまっていた。
これは反省します。何度か「理解出来ない」とツイッターに投稿しちゃったんで。

もしかしたら記憶喪失の人というのは多田万里と似たような心理状態になるのかもしれない。
記憶を取り戻す事で、今の人格を失うんではないかという恐怖。
実際にそういう事があるかどうかは重要では無くて、「そういった恐怖心を多田万里が持ち得るかどうか」が重要で。
この解釈は間違っているでしょうけれど、でも、何らかの「記憶を取り戻す事」に対する恐怖を多田万里が持っている事は多分正しい。

こういうのは、作品をちゃんと理解しようとして視聴しているか、若しくは、自分の経験や体験が無いと分からない事。
目に見えない頭の中の事なので。
と、ここまで考えてふと「鬱病への理解の難しさ」と「多田万里の理解の難しさ」は似ているような気がするなと思ったんです。
「作品の理解」という点に目を瞑れば(瞑っちゃいけないんだけれど)、どちらも「実体験が無いと他人には理解しがたい」事かなと。

理解を困難にしているという点で、鬱病の場合(鬱病に限らず他の多くの精神疾患にも言える事ですが)「一見するとなんでもない」ように見える日があるというのもあります。
風邪のように分かりやすい症状って少ないんですよね。
熱がある訳でも無い、咳・鼻水も無い、体が痛むわけでも嘔吐を繰り返すという訳でも無い。
これら様々な症状が出る人もいるようですけれど、「全ての罹患者が等しく同じ症状に苦しんでいる」訳でも無いのがこの病気の特徴。
また、常に鬱状態かというと、そういう訳でも無い。
健常者のように普段通り仕事や家事をこなせる日だってある。
周りから見て「健常者と変わらない」状態の時があるんです。
だから、理解が不十分な人からすると「甘えてるだけ」という考えに至りやすいのかなと。

多田万里も同じ。
彼の周りの友達が気づかなかったように、普段の彼はどこにでもいそうな普通の青年。
記憶喪失の件も自分から進んで喧伝してませんから、一見すると「記憶喪失すら無い、一般的かつ平穏・健康な日々を過ごしてきた大学生」にしか見えない。
けれど、"入れ替わる"と突然前ぶりなく発狂するから、「ん?」となるんですよね。

もっと多田万里の気持ちになって、「どうして発狂してしまうのか」考えるべきでした。
鬱病への世間の理解が乏しいと嘆く前に、自分も「分からない・知らない症状への理解」を深めなければ…ですね。

終わりに

でも、「鬱病は病気である」という事だけは早々に認知してもらいたいです。
「身体を休めなければいけない病気」であり、「本人は決して好き好んで休んでいる訳では無い」という事を。
皆生活があるんですから。
甘えなどで仕事や学校を休める訳無いんです。
休んでいる事実に苦しみつつも、治療の為に休んでいる。

そうそう。
無理をして病気のまま頑張り続ける事は、僕は反対です。
休んでられない事情から泣く泣くというのは分かります。うちの親がそうですから。
でも、間違いなく悪化するし、良くなることは決してないので、「頑張って」休んでほしい。
そういう周りの気持ちを当人達には知ってもらいたいです。(特にうちの親に分かって欲しい)

すみません。
何の記事だコレ。

ところで多田万里は作中で「多田万里」とフルネームで呼ばれる事が多いキャラです。
毎回誰かしらが彼の名をフルネームで呼んでます。
通常他人の名前を呼び掛ける時って苗字だけとか名前だけ。あるいはあだ名で呼びますよね。
多田万里も「万里」と呼ばれる事も多く、普通に呼ばれてもいるんですけれど、同程度にフルネームで呼ばれてもいる。

フルネームは、一意とは言えませんけれど、高い確度で1個人のみを指し示す呼び方です。
1つのグループに於いて、名前が一緒とか苗字が一緒は珍しくもなんともないけれど、姓名共に一緒というのはなかなか居ない。
「多田万里」と多くのキャラに呼ばせる事で「多田万里とは誰なのか」を問い掛け続けていたのかなと。

記憶を失くす前の多田万里が「多田万里」なのか。
もしくは記憶を失くした後の今の多田万里が「多田万里」であるのか。
多田万里自身分かってない事への問い掛け。
どちらも間違いなく「多田万里」なんだよというオチが来る事を願って。
筆を置きます。