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アニメ、漫画の感想・考察

「ARIA」 ネオ・ヴェネツィアという舞台設定の巧みさ

この記事は

「ARIA」の記事です。
ネタバレありますのでご注意下さいませ。

はじめに

なんか現実に疲れてきたので「ARIA」を読み返してます(笑
やっぱり癒されます。
アニメ版のBGMとか掛けながら読むと、威力倍増。
疲れも吹っ飛びますね。

そんな訳で、簡単にではありますが、「ARIA」の記事を。
改めて読み返してみると、ネオ・ヴェネツィアという舞台設定の巧みさを思い知らされました。

灯里の行動原理

今作の代名詞の1つとなっているのが「未来系ヒーリングコミック」というもの。
公式サイドで癒しを謳っていた訳で、読むだけで心からホッとできる優しくもほっこりした物語で綴られている訳です。
そんな癒しの物語は、主人公の灯里の性格あってこそですよね。
何よりも純真な女の子。また好奇心も旺盛で、どんな些細な事からも素敵な点を見出せる。
そんな彼女の目線で綴られているから、普段の何気ない日常がとっても素晴らしくも儚い「素敵な日々」として描かれている。
だから、別に「現代日本」を舞台にしても「癒し度」としては別段大きな違いは無かったかもしれません。
灯里が居る限りどんな舞台であれ、一定の癒しは保証されている気がします。

けれど、ネオ・ヴェネツィアという舞台自体が、灯里の性格を補強していて、癒し度を何倍にも高めているんだと思うんです。

そもそも、灯里ちゃんは何故ネオ・ヴェネツィアへ行ったのでしょうか。
ウンディーネになる為…ですけれど、もっと根本的な事。
地球を飛び出してまで、アクアに1人で行った動機は何なのか…。
「AQUA」第1話で彼女自身が解説してました。
本編から抜粋します。

「私…地球(マンホーム)出身でして街はどこも美観化と合理化が進んでいてスッキリしたもんです」
「買い物も仕事もこことは違って全部家でできるし便利ですよ」
「でも…そのスッキリして便利な街の姿が物足りなく感じてしまうんですよねー」

灯里の行動原理ですね。
なんとなくですが、この考えが作品の根幹に最初から存在していたんじゃないかなと思うんです。
ここから逆算してみると、何故ネオ・ヴェネツィアという架空の未来都市が舞台になったのかが見えてくる気がするんです。

何故未来に設定されているのか?

先ず、何故未来に設定されているのか?
現在のヴェネツィアじゃダメだったの?という問い。
「ダメ」って事は無かったと思うのです。
でも、当時はまだ「女性のゴンドリエーレ(男性名詞)」って実在してなかったりと、フィクションにしてもハードルがあった。
飛び越えるのは容易なハードルですけれど、でも、敢えて避けたのかなって。
この考えを裏付ける根拠は無いので、ここら辺は置いときまして…。
でも、未来に設定したのは、意味があったと思うんですよ。

現在でも人の暮らしって便利になってますよね。
家電製品が日進月歩で進化していたり、交通機関が発達し、町中の整備も進んでいったり。
こんなこと日本に住んでいるからこそ言える事なのかもですけれど、人々の暮らしって"楽に"なってきている。
けれど、まだまだ地域格差はあって、例えば現代日本の便利な暮らしって、ワールドワイドで見ると「恵まれている」方に含まれます。
日本国内だけでも都市部とそうじゃない地域とでの格差もある。
地球規模でどこに暮らしても、同レベルの生活を送れている訳ではありませんよね。

もしも現代を舞台とした場合。
その中で、灯里の言う「スッキリして便利な街の姿」にうんうんと頷ける人って選別されちゃうんですよね。
自分自身の生活レベル(生活環境)と比して、納得出来る人とそうじゃない人に分けられてしまいます。
誰もが灯里の言葉に共感出来る訳では無くなっちゃう。
だから、現代よりも未来の方がより適しているのかなと。

上の灯里の台詞ですが、郵便屋さんの言葉を受けてのものでした。
その郵便屋さんがこう言ってます。

「星間旅行ができるご時世にわざわざ船でうんとこさとやんなきゃ始まらねえんだ…この街は」

灯里の台詞と合わせて考えれば、「ARIA」の時代の技術力の高さが窺えますよね。
アクア自体、火星をテラフォーミングして出来たという設定で、これも冒頭で解説があります。

現代に比べれば、とんでもなく生活環境が改善されているんだと容易に想像できます。
地球のどこに住んでいても「美観化と合理化が進んでいてスッキリ」しているんでしょうね。
僻地・田舎なんて言葉はとうに滅びた死語なのかもしれません。
住む場所に関係無く均一な生活水準を保たれた世界。
そういう推測が出来る情報が冒頭から示されているんです。

灯里の言葉に説得力が生まれますよね。
生活するのになんの苦も無く、ただ只管便利なだけの日常。
味気なくて、嫌気がさすかもな〜という気分にはなります。
灯里がそんな日常を捨ててでも、「不便」なアクアに単身移り住むのもなんだか納得出来ちゃうんですよね。

しかもこれが、「何気ない日常から素敵な点を見出す」という灯里の特技にも説得力を生んでいるのかなと。
味気ない楽ちんな日々を送っていたからこそ、僕等読者にしてみれば「なんでもない風景・日常」からでも素敵だと思える点を見出せている。
物語の時間を未来に設定しただけで、灯里というキャラクターの補間になっているのかなって。

何故ネオ・ヴェネツィアなのか?

続いて、では、何故ネオ・ヴェネツィアなのか?
これは時間軸を未来に設定してしまったが故なのかもしれないな〜と。

上述したように、非常に高度な文明を築いているっぽい作中の人間達。
実際に地球上では、「街はどこも美観化と合理化が進んでいてスッキリしたもん」らしいですし、地球上を舞台にすると意味が無くなります。
人間が生きていく上で最低限の苦労を味わえる場所では無いと意味が無い。
そうしないと灯里の行動原理と矛盾しちゃいますからね。

さて。
実在するイタリアのヴェネツィアですが、観光地としては最高ですけれど、実際に現地に住むとなるとかなり面倒な街です。
車が入れないんですよね。
縦横無尽に走る運河と細い路地、多数の橋で形成されていて、交通手段はもっぱら足か船。
船も大型のモノだと大運河しか通れないので、必然的に小型のモノとなって、スピードもそんなに出せない。
ゴンドラが今でも人々の足として機能している位、高度な文明を必要としない街なんです。
それこそ「ARIA」で出て来るような小型の浮遊バイク?みたいな乗り物でも出来ない限りは。

アックア・アルタ(高潮)、地盤沈下等々。
そもそも人間が住めなくなる危険性をも孕んでいて、大都市なんだけれど、暮らすには大変な街でもあって。
でも、非常に素敵な街でもある。

街として魅力いっぱいで、かつ、暮らしていくには大変な要素を多く孕んでいる。
世界広しと言えど、このような条件に適した街ってそうそう多くない気がします。
あとは天野先生の好みだったんじゃないかな???
この条件に一致する都市の中から、ヴェネツィアを選択された。

時間軸を未来に設定したので、ヴェネツィアを再現した街としてネオ・ヴェネツィアを作った…とかとか。
実際のヴェネツィアは近い将来完全に水没しちゃうとか言われてますしね…。
そんな残念な事にはなって欲しくないですけれど。

終わりに

えと。
実際の経緯は僕は知らないです。
公式ガイドブックとかに載ってるのかもですね…。
持ってないので分かりませんが…。

なんにせよ、ネオ・ヴェネツィアという設定が灯里の性格や行動原理の補間になっていて、癒しの効果を最高点まで高めてくれているのかもと思った次第です。
取り留めも無い文章になってしまってますが、そんな主張をしてみました。

今、朝の5時過ぎたので、そろそろ寝ます。
これ書きながらえんえんとアニメ版のBGM聞いてましたら、良い感じに眠くなってきましたのでw
ではでは、おやすみなさいませ。