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アニメ、漫画の感想・考察

「DRAGON BALL」 孫悟空は何故筋斗雲に乗れるのか?

この記事は

「DRAGON BALL」の考察記事です。
ネタバレありますのでご注意下さいませ。

はじめに

悟空が筋斗雲に乗れる事。
不思議だと思う方がおかしいですね(笑
でも、仕方ないんです。
ふと、「何で乗れるんだろう?」と考えてしまったのですから。
この事について深い意図は無かったんではないかと推測しています。
でも、敢えて深く考えてみますw
で、作品を語る上で何気に凄く重要な事だったんではないかという結論に至りました。

筋斗雲

さらっと筋斗雲についてお浚いをしておきます。
カリン様の下で修業していた若かりし頃の亀仙人が貰い受け、その後悟空へと渡った初代筋斗雲。
「心の清らかな者」しか乗る事が出来ず、スケベ仙人になり下がった(笑)亀仙人は、この時点で乗れなくなっていました。
「美し過ぎる事も罪」らしいブルマも同様に乗れずに、悟空以外にはチチ、アラレ、ウパ、悟飯、悟天等筋斗雲に乗れるのは極一部でした。

カリン様が保有している不思議な雲。
清らかな者しか乗りこなせない。
それが筋斗雲ですね。

ジングル村の村長が言うには、昔は乗れるものが多く、良く見かけたらしいですけれど、悟空の少年期には殆ど見られなくなってしまったらいいですね。
それ程、心の清いよいこが少なくなってしまったようです。
そんな筋斗雲に子供の頃から乗れる悟空。
悟空の心は清らかなんだという証となっています。

元気玉

少し視点を変えます。
元気玉。
アニメの印象って恐いものですね。
改めて元気玉に着目して原作を読み返してみたのですけれど、原作とアニメでは設定が異なるんですね。

基本的な事は省いて、異なる部分だけ抜き出してみます。
先ずは原作の設定。
悪の気が無ければ跳ね返す事が出来、実際悟飯はクリリンの放った元気玉を跳ね返してベジータに当てています。
また、セル曰く「その気になれば元気玉さえたぶん出来るだろう……」(其之三百六十四)。
ただし、セルが実際に元気玉を使ったという描写はありませんでした。

アニメの場合。
上記原作の設定はそのままに、これを独自に膨らませたんでしょうね。
劇場版第10作「ドラゴンボールZ 極限バトル!!三大超サイヤ人」では、合体13号に向け悟空は元気玉を作成。
その際無我夢中になって超サイヤ人化し、元気玉のエネルギーを吸収して合体13号を倒すのですが…。
この時作中では「悪の心が混じる超サイヤ人の状態では、元気玉は作れない」と説明。
通常なら消えてしまうというのです。
だから、悟空が元気玉を吸収出来たのは奇蹟(悟空自身も何故出来たのか「オラわかんねぇ」とw)となっていました。

つまりは、悪の心を持った者は元気玉を作れないという設定ですね。
僕はこの設定を引き摺っていて、公式解釈…原作からある解釈かと勘違いしてました。
違ったwww
原作にはそこまでの描写は無いらしいですね。

ちなみにゲームでは、セルが実際に元気玉を使ったり、超サイヤ人状態でも元気玉を作れたりという事がある…らしいです。
僕はゲームは「ファイナルバウト」で止まってるので、この辺はwikipediaの知識です。

このアニメ版の設定だけを見てみると、やはり悟空は清らかな心を持っているという点が強調されております。

超サイヤ人ゴッド

更にアニメ版について見てみますと、「GT」のクライマックスでは悟空は神龍と一体となってどこかへと消えていってしまいます。

神様が作った「神の使い」とも言える神龍と一体となった悟空は、もう神格化してると言えそうです。

また、今年公開された「神と神」でも「超サイヤ人ゴッド」に変身。
「神様」と一口に言っても、再生や善行を司る良い神様ばかりではありませんよね。
件の「神と神」でも、破壊神であるビルスが登場しており、神=善人とは言えない。
けれど、「超サイヤ人ゴッド」は

正しい心を持った6人のサイヤ人が手を携え、その正しい心の光を1人に注ぎ込んで変身した「正義のサイヤ人」

という設定。
やはり、悟空の心の清らかさを表現しています。

神様からのスカウト

原作に話を戻しますと、悟空は神様から「神にならんか」と直接スカウトを受けています。
「あんな退屈なトコにずっと居たら死んじゃうよ」と拒否。
神様をして「後継者はお前以外に居ない」と言わしめる悟空は、神様から見ても「神に適した心を有している」のでしょうね。

なんせ、地球の神様になるにはほんの僅かでも悪の心があってはならないのですから。

悟空の性格を成り立たせている重要な要素

筋斗雲に乗れることから始まり、神様からのスカウト、元気玉の設定や超サイヤ人ゴッド等々。
兎に角振り返って見てみると、「悟空が心の底から清らかである」事を浮き彫りにする設定が次々と提示されてるんですよね。

これが何を意味しているのかと考えてみました。
すると、悟空の性格を成り立たせている重要な要素になっているのかなと。

悟空が戦い続ける理由は、ただ一つ。
強い敵との戦いを楽しむ為です。
仲間の為とか地球を守る為にも戦うんですけれど、それは切欠というか。
強い敵の登場にワクワクし、全力でその相手との戦いを愉しみ、相手を超える事を目標とする。
相手に勝つ為ではなく、相手に負けない為に戦う。
だから、相手に止めを刺す事に拘らないし、それどころか見逃そうとすらします。
超サイヤ人という悪の心が混じった状態でさえ、大切な親友であるクリリンを殺めたフリーザをも見逃そうとしましたしね。

戦う事が大好きで、非常に無邪気純真無垢だから、悪を憎み切れず見逃す事もする。
まあ、矛盾しちゃう性格設定です。

好戦的な性格というのは、どちらかと言えば野蛮であり、清らかさとは真逆に位置する性格です。
決して相容れない要素であり、少なくとも僅かながらに悪の心が混じっている筈。
ようするに悟空の性格って成立しないんですよ。普通であるならば。

ただ単にセリフで「あいつは何て清らかな心を持ってるんだ」とキャラに言わせてみたり、無邪気を絵に描いた様な行動をキャラに取らせるだけでは説得力って生まれない。
それだけでは矛盾を解消しにくいんです。

でも、筋斗雲という道具を用いる事で、説得力を生んでいるのかなって。
神様からのスカウトというのは駄目押しですよね。
事前に神様の悪の部分であるピッコロ大魔王を見せているので、神様が「僅かな悪の心を排除したどこまでも清らかな心の持ち主」であると描写出来ているので、余計に。

「西遊記」にあやかって悟空を筋斗雲に乗せただけなのかもしれませんけれど、筋斗雲に乗れる条件付けが絶妙なんですよね。
いやいや、当時も特に意味も無く付けられただけかもしれませんけれど、この「清い心の持ち主にしか乗れない」という設定のお陰で、悟空の「清らかで純真だけれど好戦的」という性格が成立できているんじゃないでしょうか。

まとめ

ベジータの数々の名言の中でも、五指に入るんではないかと思われる名言中の名言があります。
あのプライドの高いベジータが、遂には悟空を認めた際の台詞。
全て抜き出してみます。


カカロット…
すごいヤツだよ
おまえは…

…あの
魔人ブウは オレには
とてもかなう相手じゃなかった…

あいつと
戦えるのは
おまえだけだ…

…なんとなく
わかった気がする……

…なぜ
天才であるはずのオレが おまえに
かなわないのか…

守りたいものがあるからだと思っていた…

守りたいという強い心が 得体の知れない
力を生み出しているのだと………
たしかに それもあるかもしれないが それは今のオレも おなじことだ…

…オレは オレの思いどおりにするために…
楽しみのために…
敵を殺すために…
そしてプライドのために戦ってきた…

だが…
…あいつはちがう…
勝つために戦うんじゃない
ぜったい負けないために 限界を極め続け戦うんだ…!
…だから 相手の命を絶つことに こだわりはしない…

…あいつはついに このオレを殺しは しなかった

…まるで
今のオレが ほんのすこしだけ
人の心を持つようになるのが
わかっていたかのように…

…アタマにくるぜ…!

戦いが大好きで やさしいサイヤ人なんてよ…!!

…………


この台詞が活きて来るのは、大本を正せば「筋斗雲に乗れるから」なんですよね。
戦いが大好きで、優しい。
そんな一見矛盾する2つの性質を同居させた悟空を形成する性格を成立させる説得力を生んだ筋斗雲の設定。
ベジータの台詞にも説得力を生み、これを名言にせしめた。

悟空が悟空であるために。
筋斗雲に乗れる事はとっても重要だった気がします。