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卵かけご飯に魅せられて… 「銀の匙 Silver Spoon」第1話

この記事は

「銀の匙 Silver Spoon」第1話の記事です。
ネタバレありますのでご注意下さいませ。

はじめに

「銀の匙 Silver Spoon」の第1話を観ました。
原作は1巻だけ既読なのですが、1巻通して感じた作品の方向性をたったのアニメ1話で表現されていた気がします。

あくまで僕が原作から感じたことを書いてみます。
農業とは無縁の生活をしていると、食事を摂れる事の有難味とか動植物の命の重みとか…。
そういうのを感じるような事って少ないです。
色々な動物や植物の命の上に、生かされているという実感が無いというか。

この漫画は、そんな僕みたいな人間に色々な事を訴えている気がしたんですね。
三大欲である食にスポットを当てて、命の尊さだったり、家畜への感謝だったリ、自然の大切さだったリを謳っている気がしました。
また、北海道という広大な大地を舞台にする事で、より人間のちっぽけさというのかな。
自然が無ければ生きていけないんだよという事を教えられているような気分にもなったのです。
主人公の八軒の目線で見た時の僕の勝手な解釈。

で、アニメ第1話。
基本的には、原作準拠でしたから「1巻通して感じた作品の方向性をたったのアニメ1話で表現されていた」というのは、大袈裟なんですけれどね。
取り敢えず八軒君目線で考えてみました。

TKGが美味そう

普段食卓に並んでいる料理。
その食材を考えてみます。

野菜、果実、穀物等。
「生きている時の姿」を見慣れている食材です。
「調理されている様子」も見慣れています。

魚、貝。魚介類。
これまた普段「生きている時の姿」も「調理されている様子」も見慣れています。
生きている時の姿のまんま締められて、捌かれていく様子は、家庭でもTVでも店先でも見慣れた風景。
魚の首が包丁で切られた姿を見て、ショックで青ざめるという人は少ないと思うんです。

牛、豚、鶏。食肉。
「生きている時の姿」は、TVでも動物園でもお馴染み。
鶏に至っては、小学校で飼っている事も多いかと思います。
だけれど、「調理されている様子」は、決して「見慣れている光景」とは言えない。
少なくとも僕は見たことがまだ無いです。
既に加工され、スーパーに並んでいる状態からの調理の光景は見慣れていても、そこに至るまでの過程は見たことが無いんです。

1話でもあったように、目の前で鶏が首を刎ねられる光景は…想像しただけで見たくないと思っちゃいます。
目を背けたい光景です。
目撃したら青ざめる事必至。失神は…どうでしょ。絶対しないとは言い切れないかもです。
普段鶏を食しているのに、非常に勝手な事ですけれど。

個人的には、やっぱり食用家畜の生死を見せられるのが一番きつい。
こういう残酷にも思えるけれど、人間が生きていく上では当然の行為を先ずは畳みかけるように描く事で、「生きる上での厳しさ」というとちょっと語弊があるかもですが、そういう過酷な面を見せていました。

八軒の場合、その「過酷さ」の代表格が鶏卵でしたね。
まあ、これは人によって受け止め方に大きな差があると思います。
卵がどこから生み出されているかなんて、流石に誰でも知っている事ですしね。
直接目撃するのと、話で聞くだけではインパクトも違うでしょうけれど、それにしても八軒のリアクションは大袈裟に見えても仕方ない部分。

僕自身「いくらなんでも拒絶しすぎでしょ」と思った派ですが、ここは「八軒のリアクションは正しい」と思える事が肝要な気もするんです。
「う〇ちと同じ肛門を通った物(鶏卵)なんか食べたくない。汚い〜〜〜〜。」とどれだけ思えるか…。
八軒目線での解釈なので、僕も一旦こういう気持ちになります。

で、クライマックス。
そんな"汚い"鶏卵を生のままご飯の上に落とした卵かけごはんが滅茶苦茶美味そうなんですよ。

此処の作画が超絶気合いが入っているように見えて、「このアニメすげえ」と本気で思ったんです。
下手な料理漫画より全然美味そうに見えた。
卵黄や卵白が輝いていて、とろっとろで、尚且つ程よい弾力が卵黄から見て取れて…。
それを純白のご飯とかき混ぜて、黄金色の卵かけご飯となる。

まだ抵抗のある八軒も、その魅力に負けたのか、意を決して箸でかき込むと「美味い」を連呼する。
いくら彼でも卵かけご飯を食べたのが初めてという訳では無かったと思います。
日本の定番の朝食メニューですしね。
だから純粋に卵かけご飯の味に感動したというよりかは、もっと色々な感情が綯交ぜになった上での「美味い」だったんだと思うんですね。

労働後の食事の美味しさ。
大勢の人間と食卓を囲む際に感じる美味しさ。
勿論新鮮な鶏卵そのものの美味しさもあったと思います。

「汚い」と避けていた物でも、大切な食材であり、尊い命でもある。
美味しく頂くのは最低限のお礼というのは人間のエゴなのかもしれない。
けれど、人間の勝手な言い訳でも何でも、無碍にするよりかは良いんじゃないかなとも思いますし、そういう事を表現されていたのかもと解釈。
卵かけご飯を食べるというだけのアクションに、この作品のやりたい事の縮図が現れていたんじゃないかなと。
大自然の共存共栄とかとかさ。

でもね。そんな理屈めいた事関係無しに、「美味そうな物が目の前にあったら、食べるよね」と訴えかけてくる卵かけご飯の作画が素晴らしかった。
あんだけ拒否ってた八軒が思わず食べちゃうのも頷けるだけの説得力がありました。

色と光、動画での表現。
漫画ではなかなか表現しきれない事をやれるのがアニメの強み。
そんな強みが最大限に活かされていたシーンであり、しかも、今作にとってテーマ的にも重要なシーンであったと思うんです。

終わりに

今日は記事書く予定は全く以て無かったんですけれどねw
思わず書いてしまった。
卵かけご飯、久々に食べたくなりました。

365日たまごかけごはんの本

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