アニメな日々、漫画な月日

アニメ、漫画の感想・考察

「名探偵コナン」の死体の目が閉じられる表現は過度な自主規制だと思うんだ

この記事は

アニメ「名探偵コナン」に関する記事です。
昔ボツにしたネタなんだけれど、他にネタが無くて(笑

はじめに

自主規制もやり過ぎると逆効果な事ってあるんじゃないかなと思うんですね。
アニメ「名探偵コナン」を見ていても、それは感じます。
以前どこかで同じような事書いた気もしますが…。

「コナン」に関する短い記事を一つ。

「コナン」に於ける「死体の目に関する規制」

TVアニメ「名探偵コナン」の死体の目が閉じられるようになりました。
といっても、最近の話では無くて、wikipediaによれば2000年以降みたいですね。
かなり前からなんですが。
原作では、目を見開いて死んでいる被害者が、アニメになると目が閉じられるようになったのです。
正直、滅茶苦茶違和感があります。

実際の死体(事件に巻き込まれた被害者の遺体)の目が開いたままなのか。閉じてしまうのか。
それは分かりません。
あくまでもフィクションの描写上の話ですけれど、目が閉じていると違和感を覚えるのです。

何より大きいのは全く怖くない。
寝ているだけのようにも見えるから、怖さを微塵も感じないのです。

これって、とってもダメな事なんじゃないかなと。
死体は怖いモノ。
そういう認識を子供に植え付ける事って、凄く大事だと思うのです。

死体を怖いと思える事の大切さ

規制って色々ありますけれど、「コナン」に於ける「死体の目に関する規制」は、制作内部による自主規制なんだと思います。
BPO等から注意勧告されたという事実も無いですし、何より再放送では、オリジナルのまま放送しています。
(当初はTVアニメでも、遺体の目は開いていました。)

局レベルや、それ以上のレベルでの規制ならば、再放送時に映像に加工があって然るべきだと思いますし、それが無い時点で「コナン」制作チームレベルでの自主規制なのかなと。
また、映画では今でも「目は開いたまま」なので、この規制はTVシリーズ限定だという事が分かります。

では、どういった理由で自主規制を掛けているのか?
と考えると「暴力・残虐描写」の規制の一種なんでしょうね。

「暴力・残虐描写の規制」は、子供が影響されて真似しない様にという意味合いが最も濃い規制だと思うのですが、この点に関しては逆効果な気がしないでもありません。

僕個人の考えですけれど、死体が怖いって思えば、相手を傷つけるような行為をしないよう気を付ける気がするのです。
暴力を振るえば、最悪人は亡くなってしまいます。
そうすると、「怖い」死体となってしまう。
それは嫌だから、暴力を振るわないようになる…。
そんな感じです。

いや、勿論こんな単純な絵に描いた様なちゃっちい論理?が通用すれば、情操教育も楽なんでしょうけれども。
更には、これとは逆に「怖い死体を見たい」とか思ってしまうと困るのですけれど。

んで。この死体=恐怖という概念は、何も僕だけが持っている感覚では無いんだと思うんですね。
広く一般に普遍的な感覚の一つだと思っている訳です。
いや、だって、ホラーとかミステリとか。
人が死ぬ作品って、怖いじゃないですか。

余談。ミステリが怖く作られる訳

ミステリが怖く感じるように作られる理由って何かなと。
1つは、正体の分からない殺人鬼に対する怯えですかね。
何時・誰が殺されるか分からない緊張感と恐怖が生まれ、そういった作中の事件関係者の感情を描くと、自然に作品全体が怖く見えるようになってしまう。

初期の原作やドラマ版(特に初代の堂本版)の「金田一少年」が、まさにこれだったかな。
こういった殺人鬼への恐怖の表れとして、死体が"使われていた"ように見えます。
見るも無残な死体が、更なる恐怖心を駆り立て、死体自体を恐怖の対象にしている…。

もう1つは、ホラーやお化け屋敷なんかと同じで、死体をお化けとかそういう類のモノとして利用しちゃっている場合。
たまにありますよね、2時間サスペンスとか見てると。
死体発見までの過程をわざと緊迫感溢れる演出にして、唐突にドーンと死体を画面に出して、視聴者を驚かせるように作られたシーン。

なんだか文字に起こすと非常に(亡骸に対して)無礼・失礼極まりない表現ですけれど、こう言う表現がされるのも、死体に恐怖心を誰しもが持っているからだと思っているんです。


これらはあくまでも僕の頭の中の妄想に過ぎませんが、しかし、確実に言えることもあります。
悲鳴ですね。
これがある限り、僕は「死体は怖い」という認識は誰しもが持っていると考えるのです。

悲鳴を上げるという意味

死体を見つけると、蘭や探偵団は悲鳴を上げます。
目尻に涙を溜めて、顔を引き攣らせ、精一杯叫んでいます。

…最近はたまに死体を発見しても悲鳴の一つも挙げなくなっている事も…ありますが……。
それは…まあ…慣れって事で…。
慣れってやっぱり怖いよね…。

兎も角、悲鳴を上げるんですよ。死体を見つけちゃうと。
で、悲鳴というのは、どういう時出るかと言えば

1 悲しんで鳴くこと。また、その声。
2 苦痛・恐怖などのために声をあげること。また、その声。

この2パターンがありますよね。

前者は、親しい方が亡くなった場合でしょうか。
親しくなくとも、予め死を予兆出来ていて、それを目の当たりにした場合にも出ますかね。
この時に出る悲鳴には、一切恐怖心は無いと考えます。
「死への恐怖心」…「親しい人を唐突に奪われた恐怖」は感じることはありますが、ご遺体そのものへの恐怖というものは無いはず。

「コナン」をはじめ、多くのミステリで使われる悲鳴は、絶対的に後者が多いですよね。
死体を発見して、恐怖の為声を上げる。
この恐怖は、殺人者へ向けてなのか、はたまた死体に向けてなのかは断言できない事ですが、それ故に死体へ向けての恐怖も混ざっているという解釈が可能かなと。

なんだか脱線しまくった感が否めませんけれど、兎に角誰しも死体に怖いという感情を少なからず持ち合わせていると思う訳です。

結び

話を元に戻して…。
この感情を大切に育む…というとなんか変ですけれど、持ち続けて貰う事は大事なんじゃなかろうかと。
別に「コナン」だけで、この感情を左右されるとは言いませんけれども、子供も見てる番組である以上は、子供の為に規制を加えるのでは無くて、敢えて原作のまま作って欲しいのです。

最近思うのは過度な規制は、逆効果なんでは無かろうかという事です。
人間って好奇心の塊だから、規制されればされるほど気になっちゃうものですしね。

この「コナン」に於ける死体表現の規制は、僕にとっては「過度な規制」に該当する気が致します。