アニメな日々、漫画な月日

アニメ、漫画の感想・考察

5分アニメから学んだ作品から物語性を見い出す事の大切さ

この記事は

自論を連ねただけの記事です。
リンク先の記事の解釈は僕個人のものです*1

はじめに

5分アニメは基本的に見ない様にしているんです。
理由は色々あるんですが、最も大きなものは「物語性が期待できないから」。
僅か5分。OPとか削れば実質は更に短くて2〜3分程でしょうか。
そんな短い時間で、しかも1クールで物語性を入れ込む事は困難だという決めつけ・先入観があって、見ない様にしていました。

そんな折、見始めた「あいうら」。
本当に一瞬で終わってしまう中、やはり自分にはそういった物が見い出せなかった。
けれど、それは作品どうこうではなくて、僕自身の問題なのだと改めて気づかせてくれる切欠にもなりました。

物語性とは

そもそも物語性とは何ぞやというお話。
非常に曖昧で、抽象的なイメージしか持てない、ふわふわした言葉です。
そこに明確な定義や、明瞭な意味があるのかすら不明に思える。
辞書には載ってないんですよね。少なくとも僕が調べた範囲では無かった。

ただ、次のようなエントリーには出会いました。

「物語性とゲーム性」 一切余計さん

詳しい事はリンク先の記事を参照頂きたいのですが、一文で纏めると以下のようになります。
抜粋させて頂きます。

物語性とは、必然性のことであり、ゲーム性とは、偶然性(不確実性)のことである。

シナリオ作成の視点から見れば、大変納得いくお話でした。
個人的な趣味で言えば、ガチガチなまでの必然性は必要でも無く、多少の偶然性が入れ込んでいても良いとも思うのですが、作劇上の観点から言えば、物語性の意味合いとしては正しい気がするのです。

で、これを基本に物語性というのを改めて見つめてみると、そこにキャラクターが居て、話にオチが用意されている時点で、それ即ち「物語性が存在する」と言えると思うのです。

物語性の薄いジャンルと言えば、真っ先にギャグとかコメディとかが思い浮かびます。
4コマ漫画もそうかな。
そこで、例えとして4コマ漫画を取り上げてみます。

起承転結が骨組みとされる4コマ漫画。
現在は必ずしもこの概念が取り込まれている訳ではありませんが、あくまでこの概念を基本とすれば、結であるオチを目指して、登場人物の言動全てが計算されて作られていきます。
オチに至る必然性の連続が、起承転までの3コマにあって、綺麗に4コマ目の結にオチる。

オチというのは、何も笑いを取る為の物の事だけではありません。
「落とし所」という言葉が作品を語る上で使われるように、話の決着点という意味合いがオチという言葉にはある筈ですし、となるとジャンルに関係無く当て嵌める事が可能な解釈では無いかなと思うのですね。
起承転結は、4コマ漫画に限らず取り込まれてきた概念だからという見方も出来ますし。

少し視点を変え、キャラクターに焦点を当てます。
物語に登場するキャラクターは必ず何かしらの背景を持っています。
性格、性別、誕生日や好み、家族構成に略歴。エトセトラエトセトラ…。
そういった奥行き(ドラマ)を持たせられており、それが話に様々な作用を与えている。

そんなキャラクターが複数用意されれば必然物語は生まれ、作品に「物語性」が出来上がります。
必然性が無くともキャラクターさえいれば、物語性というのは作品に含まれるとも思うのですね。

物語性とは、必然性の連続であったり、キャラクター同士が生み出す物。
そういう解釈をします。

目から鱗な記事との出会い

閑話休題。
「あいうら」の話に戻ります。
所謂日常モノのアニメ。
このジャンルもやはり「物語性が薄い」と評されてしまう部類に入りそうですし、僕自身そんなに期待していなかった作品です。

先日、この作品に纏わるエントリーに出会いました。

「あいうら 彼女の視線の向こう」 戦略的撤退さん

1話を主に演出面から考察されている記事で、僕はこの記事を読んで途轍もない衝撃を受けたのです。
「え?終わり?」位の感想しか持てなかった自分とは違い、短い時間の中から実に多くの事を汲み取っていらっしゃっていたからです。

彼女はどういうふうに世界を見ているのだろうか、彼女はなにを考えているのだろうか、と。
(中略)
私たちがこれからアニメで見るのは彼女たちのなんでもないけど、幸せな日常だ。それを私たちがどう感じるのか。

彼女との共感を止められてしまったからには、それをどう受け取るのかは純粋に私たちに託された。

そんな世界はあり得ないと拒絶するか

刺激のない世界でつまらないと思うか

笑顔に囲まれた彼女を笑顔で見守るか

それをどう受け取るのも自由なのだ。

エントリーの中の一節です。
仰る通りだなと。
非常に素晴らしい考え方です。

物語性というのは、どんな作品にもあると考えています。
けれど、それを見い出せないと、作品のせいにしがちです。
でも、それは大きな間違いなんですよね。

物語性というモノは、作品から享受するものだけでは無い。
僕ら自身が考えて見付けるべきものなのでもないでしょうか。

「あいうら」にも、キャラクターが居て、動いて、喋っている。
そこに物語性が無い訳が無い。
ただ、見い出せなかっただけであり、その辺を見い出せている方は間違いなく存在している。
そういう事を改めて思い知ったのです。

自分には無い感性を持った感想を探す利点

物語性がある事を謳った作品。そう評価されている作品は世の中に一杯あります。
そういった作品群は、制作側がそういった面を強調してくれているだけに過ぎないのではないか?
逆に、物語性を前面に出してこない作品群は簡単に「物語性の薄い作品」と評されてはいないだろうか?

物語性を見い出せずに、諦める事は自由です。
しかし、諦めずに他人の意見に頼るのもまた手なんでは無いかなと思うんです。

「じょしらく」第三十八日目(第5巻収録)に

読者の天才的な解釈ですげーと言われる漫画家

というギャグがあります。
これ、当時はあるあると思って笑いましたけれど、これはこれで素晴らしい事ではないのかなと。
天才的な解釈をする読者も凄いですが、それを可能とする作品も同じくらい凄い事ではないか。

人の感性は十人十色。
自分では見い出せなかった事も、他の人ならば見い出してくれている可能性があって。
そういうのは、正しいとか間違っているとか関係無く、共感さえ出来れば素晴らしい事なのではないでしょうか。

ネットという便利なものがあります。
有効に活用して、「天才的な解釈をする読者」を探し、そこから物語性を探ってみるのもアリなのではないか。
僕はそう思います。
勿論、そういった意見・見解を受け入れずに、やはり「物語性は無い」と結論付けることもまた自由ではあります。
が、それでも作品のせいにしてはいけないのではないでしょうか。

自分には無い感性を持った人を探す事。
それを受け入れ、自分の糧にする事は、とっても大切なんではないかな。

まとめ

たった5分と言えど、どんな作品にも物語性は存在する。
それを認識出来るかどうかは、作品では無くそれを受け止める僕らの責任。

今回「あいうら」から認識できなかった自分は、もっともっと感性を磨くべきなのかもしれません。
多くの作品に触れていかねばならないのかもしれない。

勢いに任せて暴論をぶちまけているだけかもしれないですね。
ただ、「あいうら」や素晴らしいエントリーのお陰で、5分アニメに対する偏見を取り除かせてもらった事が嬉しかったのです。

駄文失礼いたしました。

*1:記事作者さんの「言いたい事」とは違う可能性があります。