読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

アニメな日々、漫画な月日

アニメ、漫画の感想・考察

「とある魔術の禁書目録」 劇場版ヒロイン・アリサの存在から考える魔術と超能力の関係性

この記事は

「とある魔術の禁書目録」に関する記事です。
劇場版のネタバレありますのでご注意下さいませ。

はじめに

先日2度目の鑑賞をしてきた「禁書目録」。
その映画で出て来るヒロイン・アリサから思った事を綴ってみます。

という訳で、この記事は映画「エンデュミオンの奇蹟」のネタバレを含んでおります。
また、僕は原作未読です。
アニメ2期までの知識のみ(しかも2期はTVで視聴したのみで、BDは買ったものの、まだ未視聴という体たらく)で書いております。
御了承下さい。

アリサの存在から幻想殺しについて考える

アリサは結局どういう存在だったのか。
少し考えました。

きっと物語上の解釈としては「奇蹟の存在だった」という解釈をするのが最も正しいかと思います。
それ以上の意味もそれ以外の意図も無いと解するべきかなと。
ただ、「とある魔術の禁書目録」という作品の作劇上の観点から考えてみると、奇蹟の一言では済ますべきでは無いのかなとも思うのです。

彼女の件で最も大切なのは、「上条当麻の右手・幻想殺しで消えなかった点」ですね。
これは作中でも語られていて、だからこそ、アリサは「幻などの類では無く、実在した人物であった」=「奇蹟の存在であった」と結論付けられておりました。

そもそも幻想殺し<イマジン・ブレイカー>とは何ぞやという話です。
お馴染みのwikipediaさんに頼ります。

右手で触れた異能の力を打ち消す能力。
それが異能の力であれば、超能力・魔術問わず打ち消すことができる。

「異能の力」というのがポイントなのかなと。
本作には(少なくともアニメ2期までには)超能力と魔術以外の「異能の力」が出てきてませんので、これ以外の力に対して効果の程は不明です。
んで、僕は今回「幻想殺しは、超能力と魔術にしか効かない」と考えてみました。

その理由の前に、アリサはどういった存在か、今一度考察。
といっても、良く分からないんですよね。
シャットアウラが持っていた鉱石(?)の力なのかもしれませんし、シャットアウラが秘めていた力なのかもしれません。
若しくは、本当にただの奇蹟だったのかもしれません。(繰り返しますが、「奇蹟だった」が正解だとは思いつつ書いてます。)
コレといった決め手となる描写が見出せなかったので、答えもまた出せないのです。

一つ確かな事は、魔術でも無ければ超能力でも無いという事ですね。
どちらでも無い、第三の異能の力と考えていいのかもしれません。

これを以て、「幻想殺しは、超能力と魔術にしか効かない」と思ったのです。
もう少し、幻想殺しに関して考えます。

魔術と超能力の根源は同じではないか

上条さんの幻想殺し。
上に書いた僕の考えが仮に正しいとした場合。
何故、超能力と魔術にしか効かないのかという疑問が出てきます。

「他の異能の力が出て来ないから?」
これは、アリサの存在を「第三の異能の力」と見做せば、クリアできます。

この疑問に対する答えとして、もっとシンプルに、魔術も超能力も根源は一緒と見做せないのかな?と。
科学サイドのトップっぽい逆さまの人・アレイスター=クロウリー。
元々魔術師です。

魔術師のアレイスターが、「物に頼らず魔術を操る存在」を作ろうと画策。
生まれたのが「超能力者」なんではないかなと思ったのです。

もうね、魔術師でも超能力者でも無い自分からしたら、どっちも同じようなものにしか思えないんですよね。
そうでなくとも、「超能力」が「科学の産物」と言われても、そうですねとは言い難いというかw
「そういう話」だから、納得してはいますけれど、理解はしていない。
どちらも不可思議な力には違いない訳で、同じだと言われたら納得してしまう位。

あくまでアニメを見た限りのイメージなのですけれど、魔術って「魔法陣」や「象徴武器」等、魔術を行使する上で道具が必要だったり、呪文詠唱や身振り等々が入ったりします。
つまりは、魔術を行使するには、必ず何らかの道具が必要となってくるように見えます。
呪文も魔道書などを読んで、勉強する必要がありますから。

で、超能力は、この「物」を頭の中に最初からインプットしちゃいましょうという事なのではと思ったのです。
個人の頭の中に「魔法陣や魔道書を入れちゃいましょう」というイメージ。
頭の中にある「魔道書を読む」事が「演算」という行為に置き換えられて、学園都市の学生達は教わっているのかなと考えました。
この「魔道書のインプット」を行う過程で、科学が使用されているから「科学的に作り出された能力」となっている…。

超能力も元々は魔術であるとすれば、色々と納得できる部分もあります。
例えば、超能力者に魔術が使えないという制限。

超能力者になったという事は、頭の中に魔道書(のような魔術を行使する上で必要なナニか)が既にあるという事で。
この状態で魔術を使用すれば、2つの魔術的な力が干渉し合って、術者に多大なる負荷が掛かる…と考えても不思議では無い気が致します。

それ以外でも「アレイスターが科学サイドのトップに居る理由」も「上条さんの右手が魔術にも超能力にも効く理由」も説明がつく。

幻想殺しが魔術と超能力にしか効かないのではと仮定すると、浮かび上がる当然の疑問。
その答えとして「魔術も超能力も元々同じ異能の力」とする。
そうすると、この作品の構造も割と綺麗に収斂する気が致します。

終わりに

wikipediaでチラッと見えた「幻想殺しの正体」という部分。
読んでしまいましたが、正直ちんぷんかんぷんでした(笑
原作読んでない人間が読んでも、まあ、分かりませんよねw
ただ、その中に「神上」とか「神浄」とかいう単語が目に付きました。

上条さんの右手は、神の物なのかもしれませんね(笑
天使が居るくらいです。神様だって当然いるんでしょうから。

そもそも「魔術」って悪魔の力というイメージがあります。
そんな悪魔の力である魔術を打ち消す力として、神の力「幻想殺し」があるのかなって。

魔術の力で何かを企んでいるアレイスターさん。
超能力は、そんな計画の途上の産物に過ぎない気がします。

幻想殺しでも破れない力でも模索してるんでしょうか?
それとも、もっと大きな事を望んでいるのか?
この辺は想像すら出来ませんけれど、これに対抗し得る唯一無二の存在が幻想殺しとなるのかもしれませんし、ならないかもしれません。

うん。これ以上恥を晒すのは止めときます。

アリサの存在。
彼女の事は奇蹟の一言で終わらすだけでは無く、何故作られたのか作劇上の観点から見てみると色々面白いのかもしれません。
上条さんの幻想殺しでは消えない理由を考え、幻想殺しとは何なのかを追求してみれば…。
此処に書いた事は全て戯言ですけれど、考える事って楽しいものですね。