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アニメ、漫画の感想・考察

地球を救うのは悟空の罪滅ぼし!?孫家の経済事情から見直す「DRAGON BALL」

この記事は

「DRAGON BALL」の考察記事です。
ネタバレありますのでご注意下さいませ。

サイヤ人の仕事

悟空はニートです。
誰でも知ってるもう有名な事実ですねw

純粋サイヤ人は本当に働かないそうです。
ブルマもベジータの事で嘆いてましたよね。(其之四百二十六より)

そもそも戦闘民族であるサイヤ人は、働かないのでしょう。
いや、それは語弊がありますね。
戦う事が仕事であったとした方が正しいですね。

仕事とは何ぞや?と考えますと、哲学的な思想などを排除すれば、単純明快に生きる為です。
就活の面接で「仕事とは何だと思いますか?」的な質問は最早定番で、その答えとして上記のように答えると苦笑いされはしますけれど、でも本質ですよね。
お金が無いと生活出来ない世の中なんですから、当然そうなります。

さて、その仕事。生きる事が即ち戦う事である。
それがサイヤ人の本能なのですよね。
他の惑星に侵略を仕掛けては、物資や金品を巻き上げて、それを糧に命を繋いでいた。

彼らが装備していたスカウターに関しても、元々はツフル人の技術だったという設定。
それをサイヤ人が奪い、フリーザ一味の配下に置かれてしまった事で、フリーザ軍の標準装備品にまでなっていった訳で。
戦闘民族であるところのサイヤ人は、多種族の命を奪う事で、自らの命を保っていたんですよね。

んで、悟空の話に戻ります。
悟空はそもそもこの「サイヤ人の仕事」とは縁遠い存在です。真逆にいると言っても問題無い。
地球落下時の衝撃で頭にデッカイたんこぶを作ったお陰で、この仕事をせずに済みました。
換言すれば、たんこぶが出来た赤ん坊時代に既にニートになることが確定した訳ですね(笑

「他人の金品を奪うという仕事」を避ける"良い子"に育ち、その目的(金品強奪)の行為であるところの戦闘にだけ興味関心を持ったのです。

ブルマと結婚した後のベジータも似たようなものなのでしょう。
家族を持ち、命の尊さを知らず知らずのうちに知り、愛情というモノを知ってしまった。
だから、無暗に「仕事」をしなくなり、更には高い目標(悟空超え)を得たことで、より戦闘行為そのものに魅入られて行った。
ベジータもまた「働かない」事には、合理的な説明が付けられるかと思います。
ブルマも嘆いていますけれど、ベジータが「サイヤ人の仕事」をされると悲しみますからね。
バビディに操られた(自分から操られた)ベジータが、武闘会会場の人間を虐殺した時なんか、まさにって感じです。

結論としては、サイヤ人は働かない事に越した事は無いのです。

どうやって生活をしているのか

とはいえ、働かないと食っていけないというのは事実。
ベジータ家では、その点どうなっているかというと、完全にブルマにおんぶにだっこです。
世界有数の大企業であるカプセル・コーポレーション2代目(多分)社長であるブルマが、莫大なお金を稼いでいるから、リッチな生活を送れています。
まあ、あそこはブリーフ博士が社長の時代から超が付くほどの富豪でしたので、ブルマが働かなくても何の問題も無さ気ですけれども。

んじゃあ、孫家はどうなのか?
これがこの記事の焦点です。

どうやって生活しているのか。
先ず考えられるのは、狩りですね。
悟空は子供時代から、これ一本で生き抜いてきた事が其之一でも描かれています。
これは成長しても変わらない事なのでしょう。

悟空らの生家があるパオズ山は、動物・恐竜・魚介類に菌類(キノコ)や山菜の類等々。
食べていくだけには困らない"食糧"が多くありそうです。
実際アニメ「Z」第1話などで、悟空が狩りをしているシーンというのは多々描かれています。

そんな訳で、これは事実として捉えて何の問題も無い事だとします。

もう一つ、明確な事実があります。
悟空の妻チチの父である牛魔王の「財産」による支えです。

牛魔王の罪を考察

其之四百二十六「天下一武道会」は、面白い回です。
この回だけで、ベジータ、孫両家の経済事情が垣間見えるのですから。
ブルマとチチのセリフから、
「悟空もベジータも全く働かず(稼がず)、他の事で生活費用を賄っている」
事が窺えます。

んで、上記カットにあるように「牛魔王の財産」が孫家のそれに当たる訳ですね。

この「牛魔王の財産」が問題大ありなのは、「DB」ファンならば言わずもがなです。

ブリーフ博士のように自分で稼いだお金ならば問題無いです。
けれど、牛魔王の財産は、「自分で稼いだお金」ではあっても、その中身・方法が全然違います。
其之十一「フライパン山の牛魔王」のウーロンの力説を抜粋します。

「フライパン山はもともとは涼景山というしのぎやすいところだったのだが」
「10年ほど前に天から火の精がおちてきて燃える山となり気候もかわってしまったらしいぜ」

「とにかくムチャクチャおそろしいやつで悪魔の帝王とよばれているぐらいだぞ!!」

「あの山のてっぺんをみてみろ 城があるだろ あれが牛魔王の城でよ」
「その中にそこらじゅうから奪った金銀財宝がおいてあるもんだから いろんなやつがそれをねらってやってくるんだか牛魔王がみはってるからな…」

ウーロンがやたら詳しいのは、教科書に載っているかららしいです。
それなのに何故ブルマが知らなかったのかと言えば、考えられるのは2通りですか。
1つは、ブルマが忘れてしまった。若しくは興味が無く勉強してなかったから。
もう1つは、ウーロンが使っていた教科書とブルマの教科書が別のモノだったから。

可能性としては後者が高そうです。
先ず、事実としてウーロンが教科書を読む可能性があったのは「南部変身幼稚園」時代くらいでしょうか。
彼の経歴が定かでは無いので、はっきりとは断言できないですけれど、作中で言及されているのはココくらいですから。
小学校とかの概念は、動物型地球人には無いのかもしれません。
(作中の世界の教育機関に関しては、よく分かっていないので深く追求する事は避けます。)

んでですね、この幼稚園の時の教科書と仮定すると面白い事実が浮かび上がります。
南部変身幼稚園もフライパン山も、地球の南エリアに存在している点です。
という事は、牛魔王の「活動範囲」もまた、この南エリアに限定されそうです。
ウーロンの言う「そこらじゅうから」というのは、「南エリアの村々から」と解釈できるかもしれません。

これを真とするならば、ブルマが知らないのも道理。
ブルマは、西エリアにある西の都出身であり、このエリアで使っている教科書に載っていないという推測も立てられます。
同様に人里離れて暮らしている亀仙人の耳にまで牛魔王の悪行が入っているのも頷けます。
カメハウスもまた、南エリアに存在しているから。

以上の事から、牛魔王は、南エリアに住む人々から金品を巻き上げ、殺生を繰り返していたという事が推測できます。
南エリアと一口に言いましたけれど、これ滅茶苦茶広い範囲です。
なんせ地球を四分割したうちの一部ですから。
そんな広範囲を全て周っていたとは思えないですけれど、まあ、教科書に載るくらいですから。
本当に多くの命を犠牲にしてしまったのかもですよね。

こうしてサイヤ人ばりに他人の命で生きてきた牛魔王(とチチ)。
しかし、その金銀財宝も殆どは消し飛んでしまいました。
フライパン山の火を消す為に亀仙人が放ったかめはめ波で。
張り切り過ぎちゃった亀仙人の力で、城ごと跡形も無くなっちゃいましたw

んでも、ドラゴンボールを探して、焼け跡を歩くブルマ達のカットをよく見ると、それでもまだ残った財宝があるんですよね。
これらをかき集めて、お金に換えて、それでその後の生活を送ってきたと考えるのが筋な気がします。
チチも牛魔王も定職に就いていたとは思えないので。

其之四百二十六でチチが言及している「お父(牛魔王)の財産」は、南エリアの人々から巻き上げた金銀財宝であると考えられるんじゃないでしょうか。

地球を救うという行為の持つ意味

こうして考えていくと、悟空も間接的に「牛魔王の悪行」の上で生活できたと言えそうです。
牛魔王が奪った沢山の命の上で、幸せな家庭を築けたと結論できる。

ここでまた、悟空とベジータを比較しつつ、今度は作品の本質であるバトル面について考えてみようと思います。
そこで、悟空とベジータが地球を救った回数を数えてみます。

先ずはベジータ。
元来悪役だった彼が、地球を救ったと言えることって、殆どありません。
ゼロとしても言い過ぎでは無いと思います。
ただ、ブウ編は、ベジータ抜きでは考えられなかったので、これをカウントし「1」とします。

悟空はどうでしょう。
ピッコロ大魔王で1回目。
ベジータを追い払った事で2回目。
ブウを倒して3回目。
セルも、ベジータと同様な考えで行けば、計4回地球を救った事になります。

この地球を救うという行為が、罪滅ぼしになるんじゃないかなという観点で書いていきます。

ベジータの場合は、分かりやすく「罪滅ぼし」ですね。
(一部の人々はDBの力で生き返ったとはいえ)多くの命を奪ってしまった罪の償いとして、多くの人命を救って見せた。
ブウ編は、最終的には地球がどうこうのスケールでは無くなりましたから。
全宇宙規模の危機にまで発展していて、ベジータが殺してきた沢山の星々の人ら全てに対する贖罪という意味合いにも取れるのかなと。
まあ、実際に贖罪成りえるのかはまた別問題ですけれども。

悟空の場合は、犯罪と呼べる行為は全くしていません。
なので、贖罪と言っても当て嵌まりそうも無いですけれど、牛魔王の件を考えると、そうでは無いのかなと。
悟空と牛魔王の関係が、ただの夫と岳父ならば問題ありません。
ようするに、悟空が自分の力だけでチチや悟飯・悟天を養い、生活を支えていたならば問題無かった。
けれど、そうではないですよね。
悟空は、働かない・稼がない夫であり、その生活費は全て牛魔王から出ています。
そんな牛魔王の財産は、全て他人の命を奪った事で得たものです。
それで生活していた悟空は、やっぱり(牛魔王の)罪を償う必要もあるのかなと思うのですね。

牛魔王が殺してしまった人に対する直接的な償いとは言えないので、殆ど無意味とも取れるのですが(これはベジータも同様)、それでも、沢山の人の命を救うという行為は、贖罪と見做しても良いのかもしれません。
被害者の子孫(血縁者)が、まだ地球で暮らしている可能性は大いにありますからね。

4回も救って見せたのです。
悟空の贖罪は、きっちりと果たされたとしてもいいのかな〜なんて思います。

その証拠になるかは分かりませんが、多くの人を殺してしまったはずの牛魔王が天国に行けてますから。
悟空の功績を讃えて、閻魔大王が良きに計らってくれたのかもしれません。
甘いと言えるかもですけれど。
若しかしたら、声が同じだからという親近感から天国行きを決めたのかもですが…。

まとめ

人が生活していく上で、多くの命を犠牲にするというのは、自然の摂理です。
これは人に限らず、全ての動植物に言える事。

ただ、それでも人が人を殺して、そのお陰で生活するとなると、話が違ってきます。
罪滅ぼしが必要になってきます。

牛魔王自身がなんらかの贖罪行為するというのが筋だとは思いますけれど、、牛魔王のお陰で生きた悟空が肩代わりしたとすれば、まあ、納得も出来るかなと思います。
こんな観点で作品を読み返すのは、「なんか違う」とは思いつつ、そんな事を考えてしまいました。