アニメな日々、漫画な月日

アニメ、漫画の感想・考察

確立した絵柄を変える事の難しさと凄さ 「絶対可憐チルドレン」

この記事は

「絶対可憐チルドレン」の記事だったりします。
ロリコン違う。

漫画の絵柄の変遷

漫画って長期連載とかしていると、途中で幾度となく絵柄が変わったりします。
原因は色々あって、或いは漫画家の画力が上がるケースだったり。
或いは、意識して絵柄(又は画風とでも云うのかな)を変えていたり。
たま〜に、「あれ?下手になった???」って思うケースも中にはあるのが不思議だったりするのですが…。
基本的には、漫画家さんの技量が成せる業という事で。
ああ、そうそう。絵(キャラ)に慣れるというのもあるみたいですね。
キャラの描き方を完全にものにしたから、自然と変わるというケース。

特殊なケースでいえば、そうですね。
「週刊少年ジャンプ」で1996年に連載されていた「ドルヒラ」でしょうか。
ある意味超有名な作品だと思うのですが。
僅か14話。平たく言えば打ち切られてしまった作品なのですが、たったの14回の間に絵柄が劇的に変わった事で有名で。
当時は中学生だったので、正直殆ど記憶に無いのですが、それでも「作者変わったの?」って思った事は今でも覚えております。

参考までに画像を拝借して掲載。↓

画像元:「新ねがすぱ」さん(2chが大元みたいですね)
なんですかね。個人的には1話の絵柄の方が好きですね。
これは「絵がこなれてきて、上手くなった」というよりも「画風を変えた」と見た方が良いのかもですね。
画風どころか作者が変わったって言って良いレベルだとは思うのですが…。
絵が劇的に変わった原因が分からないので、一応特殊ケースという事で。


んで、ケースの1。
絵が上達した場合は、特にキャリアの浅い漫画家さんにはほぼ必ずといって良い程当て嵌まるケースなんじゃないでしょうか。
自然と変わっていくもので、この変遷を愉しみつつ長期漫画を読むのって結構面白いですよね。

このケースの代表作…という訳ではありませんけれど、パッと思いつくところでは「CITY HUNTER」。
既に「キャッツ・アイ」で長期連載を果たしていた北条先生。
連載2作目となる「CITY HUNTER」も1巻から絵が確立されていて。
それなのに、連載していくうちにグングン絵が変わっていきました。
これはコミックスの表紙を見るだけで一目瞭然です。
先ずは1巻。

で、12巻。

最後に26巻。

絵がドンドン上手くなっています!!
これは画風を変えたというより、同じ方向性のままより繊細に進化していったという感じでしょうかね。
途中で成龍っぽいのが混じっている気もしますが、気のせいという事で。

このケースの場合、何度も書くようですが、殆どの作家さんに見られるケースですね。
よほど最初から上手くない限り、ドンドン上手くなっていく様を見られます。
描けば描くほど絵も上達するという当たり前の事が漫画という「分かりやすく・変遷が追いやすい」形で残る為、非常に面白い部分でもあります。

問題はケース2の方ですね。

確立された絵柄を変える事の難しさ

ケース2。僕が知る限り、代表的な作家さんというと、鳥山先生と和月先生ですね。
前者は有名で分かりやすい。
「Dr.スランプ」では、ギャグマンという事で丸っこい線を意識して描かれていて、「DRAGON BALL」中盤頃からバトルへ完全シフトした事を受け、角ばったゴツイ感じの線に変えられていた。
これは、作品に合った絵柄を追求した結果なのかなと。

後者の場合は、拘りというのかな。
和月先生の代表作「るろうに剣心-明治剣客浪漫譚-」の頃のお話で。
確かコミックスに書かれていた事だと思うのですが…。
頭身や目の大きさ等。
色々と模索し、少しずつですが変化を付けて描かれていたようです。
和月先生の場合、この「るろ剣」の連載ではケース1も当て嵌まっている為、なかなかに「違い」を見出すのが困難なのですけれど。
僕自身、この違いを見分けられては居なかったり(汗
ただ、「京都編」と「人誅編」で比較すれば分かりやすいのかもです。
同じ「京都編」でも前半と後編では微妙に違いますし、「人誅編」は更に変わっている(気がする)。
良し悪しこそ分かりませんし、これは好みの問題ですが…。
僕自身は、京都編終盤の頃の絵柄が一番好みですね。
頭身とかバランスが一番好きというか。最も格好良く剣心が描かれていたと思うので。

それはさておきまして。
このケース2。問題という訳では無いですが、なかなかに難しい事なんだと思うのですよ。
一度確立した絵柄を変える事って、かなり大変でしょうから。

絵の描き始めってよく「自分の絵を確立させなさい」的な言葉をよく見聞きします。(勿論絵を描かない僕自身は、言われた事はありませんけれど。)
絵を描かない僕ですが、多少趣味程度には描いていて、で、何となくですがこの言葉の言わんとしている事はおぼろげながら分かるんです。

何から描き始めるのか(顔なのか。顔だとしたら目からなのか、輪郭からなのか…とか)。
どんな画風なのか。(写実的なのか、抽象的なのか。はたまた漫画・アニメ風なのかとかとか)

なんていうのかな。
「見る人が見れば誰が書いた絵なのか一目で分かるようになる」。
自分の絵を確立させるってこういう事に近いのかなと思うのですね。

要するに絵そのものが個人を識別する一種の記号となるというか。
これは容易な事では無いし、描いて描いて描きまくって漸くモノにできるものであると思うのですね。

だから、それをまた自らの手で変える事って大変だと感じるのです。
鳥山先生も和月先生も、そんな困難にチャレンジしていたプロ中のプロと言えるのかもしれません。
もう一人。物凄い「プロ」が居て。
実は今回は、その事を書くのが趣旨だったりします。
ここまでが長すぎる前置きという事で。

椎名高志先生は天才

椎名先生というと、自身最大のヒット作「GS美神 極楽大作戦!!」で超有名です。
かつては「週刊少年サンデー」のコミックス最長作だったんですよね。
「GS美神」の他数作品が39巻で完結しており、サンデーはこれ以上の巻数は出せないんではないかとか思っていたら、えと。
そろそろ「名探偵コナン」が80巻に到達しようとしているから、時代って変わるものですねw
(先に「MAJOR」がこの「39巻の壁」を超えたのかも)

閑話休題。
とかく、39巻も出るくらい長期連載となった「GS美神」。
この作品で、椎名先生の絵柄は固まったと思うのですね。

特徴的なのは目ですね。
目が大きい。
最近のアニメも目が大きいですが、椎名先生の目も大きかった。
目に特徴のある絵柄で、この絵柄の時、子供などが描かれていると、どうも違和感があったというか。
子供っぽく見えなかったのですね。「目」が子供の低い頭身に合ってないかなと感じていました。

感覚を言葉で表すのって難しいのですが、えと。
目が大きいと、自然と顔もそれに見合った大きさになると思うのです。
すると、当然その顔の大きさに見合った頭身が必要になる。

大人の場合は、顔の大きさに見合った頭身で描けるので不自然にならないのだけれど、子供だと身長が足りず、結果やや頭が大きく見えるというか…。
いや。そこはプロ。
頭でっかちにならないようになってはいたのですけれど、それでも目が大きすぎるかなと感じていました。

そんな中、いくつかの連載を経て始まったのが、現在も連載中の「絶対可憐チルドレン」。
最初は短期連載で、後に本格連載。
小学生女児が主役のこの漫画で、この僕の違和感がより大きくなりました。

小学生に見えない小さな女性達。

そんな感じ。
なんだろう。
姿かたちは小学生のそれなんだけれど、どこか「大人の女性を無理矢理小さくした」感があって。
うん。
分かりやすく言うと「ロリっぽく無かった」という事ですね(笑
それが「絶チル」1巻の感想でした。

やがて連載も進み、少しずつ"変化"して、気づいたら激変していました。
目の描き方を変えたのでしょうか。
やや小さくして、線をはっきりと(濃く)させている。
目が可愛くなって、それだけで、全体もロリっぽくなったというか。

上が連載初期で、下が小学生編の終盤(15巻表紙)ですね。
こうして並べるだけで、全然違いが分かるんじゃないでしょうか。

これに伴って、全体的に絵柄が変わったんですよね。
「GS美神」の時は「戦う女性」が主人公の物語だから、どこか男っぽい線だったのが、「絶チル」になって丁寧な丸みを感じる(イメージです)線になったというか。

いや〜凄いな〜と。
紫穂良いな〜と。
なんで中学生にしちゃったのかな〜と。

この辺、鳥山先生と同じだったのかもです。
作風によって画風を大きく変える。
一度確立した絵柄を捨てて、大きく路線を変えて来た椎名先生。
変えることが難しい(と思われる)中、敢えて挑戦し、そして見事変えることが出来た凄い先生。

「絶チル」は僕にとってそういう作品だったりします。
で、何故今になってこんな記事書いているのかというと。
「THE UNLIMITED 兵部京介」の1話を見たからです(笑

リミット解除後の姿は正直やり過ぎだと思いつつ(笑
それでも、全体的には楽しく視聴出来ました。
オリジナルプロットによるこのアニメを最後まで楽しめるかもしれないと期待しつつ、こんな記事を書いてみました。