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アニメ、漫画の感想・考察

「DRAGON BALL GT」が描き切った悟空達の弱さと成長

この記事は

「DRAGON BALL GT」の考察記事です。
ネタバレありますのでご注意下さいませ。

はじめに

「DRAGON BALL GT」。
東映動画(当時)が、「DB」シリーズを終わらせたくない一心で制作されたオリジナルアニメーション。
「誰も知らない悟空の物語」として、毎週毎週ワクワクしながら見ていました。
それこそ、大好きな野球中継を憎むくらい、楽しんでいた。
(当時ゴールデンで巨人戦の中継は当然の事であり、中継の為に放送休止が何度もあった。)

でもね、結末だけはどうしても受け入れられなかったのです。
原作では皆笑顔で手を振りながらの大団円。
このラストカットはイメージカットではあるものの、でも間違ったイメージなどでは無い。
誰一人「死んだまま」終わった訳では無く、僕としてはこの終わり方がとても好きでした。

それなのに、「GT」…原作最終回後の物語では、違ってしまった。
ピッコロが死んでしまい、更には悟空までも神龍と一つになってどこかへと去って行ってしまった…。
100年後の悟空Jrとベジータの子孫が天下一武道会で対戦しているシーンを挟むという演出もあって、「悟空達のドラマは完全に完結した」という結末は仕方なかったとしても、やはり死んだまま終わりにはして欲しく無かったのです。

そう言う訳で、結末が納得いかない為か、本放送で見たきりでDVDも見れていなかったりします。
(「DRAGON BOX」を買ったまま、未視聴という意味で…)
この僕の感想ですが、ざっとネットを徘徊していると「少数派」なんだと分かりました。
「悟空とクリリンのやりとりに感動した」という意見を中心に、多くの人には受け入れられているんですね。
自分の価値観の貧しさを痛い程思い知りましたね。
もっと視野を広げ、考え方を柔軟にしないといけません。

という事で反省して、今回は「GT」の良さについて書いていきます。

敵キャラに関して(1)パワー

このアニメシリーズ。最も素晴らしい部分は、やはり敵キャラに関してでは無いでしょうか。
とんでもなく敵キャラを生み出す事が困難なシリーズである事は間違いないんですよね。
なんたって、ドンドン敵を強く見せないといけないから。

強く見せる方法というのも、限度があります。
例えば、惑星の破壊。
ベジータ編の頃のベジータには恐らく出来なかった事で、当時のベジータには大猿化した上での惑星支配というのが精一杯だったと思われます。
アニメでは、ナッパが惑星を破壊しているシーンがあった気もしますが、それは見なかった事にすると…ですが(汗
あと、アラレちゃんをカウントするとおかしい事になるので、彼女(とその周辺の人達)も無視します。

続くフリーザになって漸くと言っては変ですが、「惑星なんて簡単に破壊できる」レベルになります。

これは一般常識から見ると、大概です。
現在の地球人がどんな兵器を以てしても恐らく出来ない事(出来たとしては、普通はしないですが)を、個人の力のみで行うというのですから。
「強さの見せ方」としては「惑星破壊」は分かりやすい一方、これ以上の描写がなかなか難しい「強さの見せ方の上限」でもあったと考えます。

以降セル、ブウと続きますが、「銀河破壊」とか、そういう表現が出なくなったのは当然のことだったようにも思うのです。
そこで原作「DB」では、強さの見せ方を別のアプローチで表現する事になっていくのですが、それは別記事で既に書かせて頂きました。
参考:パワーインフレの扱い方から見直すバトル漫画(前編) DBを構成した2つの要素に関する考察

「GT」では、どうなったのか。
まず、主人公である悟空に「枷」を与えました。
「小さくして、悟空を弱くしよう」作戦ですね。
でも、瞬間移動が使えなくなっただけで、強さが変わらなかったのはご愛嬌w
「強くなり過ぎてしまった悟空の成長を描くために、子供にした」と公式ではアナウンスされてはいましたが*1、あからさまに弱く見せることは出来なかったのでしょうね。

とはいえ、一応は「悟空を弱く見せる」事にして、あとは敵キャラを用意すればいい。
悟空を「弱くした」ので、ブウと同等かそれ以下の敵も作りやすくなった。
そうしてベビーが登場。

恐らくですが、ベビー単体ならば悟空以外でも容易に倒せたんじゃないかな。
ベジータならば確実に倒せていたと思うし、(修行をしていなかった)悟飯でも倒せていたと思う。
けれどそれがならなかったのは、ベビーがこれまでの敵に無い「寄生」という特殊能力を持っていたから。

これによって超サイヤ人3でも敵わないパワーを得て、それを倒すべく超4の登場となっていくわけですが…。
この辺のパワー談義は、本稿の趣旨とは異なる為、この辺で終わらせて頂きます。

悟空を弱くしたという点は特筆すべき点ではありますが、まあ、「GT」でも、強さの見せ方に関しては原作に倣っているという事ですね。
本題は、敵の設定に関してです。

敵キャラに関して(2)従来の設定を巧みに用いている点

「GT」の主要な敵キャラをおさらいしておきます。
先ずはベビー。
僕はこいつが嫌いでしたw
寄生という卑怯な方法で悟空を追いつめて行ったので、なんか嫌いでした。
それはさておきまして。
このベビーは、ツフル人が作り出したミュータント(寄生型生物)として設定されていました。
ツフル人というのは、嘗てサイヤ人に滅ぼされた可哀相な人達ですね。
プラント星(後の惑星ベジータ)の先住民であり、高度な科学力を持つとされ、あのスカウターを作ったのもツフル人という設定になっています。(アニメでは。)
「Z」の時に作られた設定を活かして、新しいベビーという敵を作り出している訳です。

続いては、超17号。
ベビーが作り出した科学者ドクター・ミュー。
ロボットの彼が何故死んで地獄へと行けたのかは甚だ疑問ですが(魂があったのだろうか?w)、地獄でドクター・ゲロと出会います。
この2人の悪の科学者が、地獄で作り出したのが新17号。
地球で暮らす17号と合体する事で、17号が元々秘めていた潜在パワーを引き出すという設定が作られました。
この設定こそ「GT」初出ではあるものの、超17号もまた、嘗ての設定(キャラ)の再利用とも言えます。

最後が邪悪龍。
これは物語根幹であるドラゴンボールそのものが敵になったという設定。
願いを叶える度に、DBには負のエネルギーが蓄積され、本来ならばその負のエネルギーが消失するまで(100年間)使用をしてはならなかった…という新設定が作られました。
悟空達はそれを知らずに、約半世紀にも渡ってDBを濫用。
限界まで溜まった負のエネルギーが溢れて、邪悪龍が生み出されたという流れです。

「Z」までの間に計9回地球のDBが使われ、10個の願いが叶えられています。
このうちの7回で、それぞれ7匹の邪悪龍が生まれたという設定ですね。


と、ざっと振り返って分かる事は、既存の設定を応用して敵が作られているという共通項があるという事。
これが凄いと思うのですよね。
こうなった理由に関して、「パーフェクトファイル」では

新しい敵を創るより、以前からの流れの延長を大切にしたほうが物語として説得力がある

と解説されています。

当時のスタッフは恐らく「原作を壊さない様」腐心されていたのでしょうね。
アニメとはいえ、「原作の続編」としての立ち位置な以上は、ファンにそっぽを向かれない様に作られていたんじゃないかなと。

敵キャラは重要です。
もう一人の主人公と呼んでも過言では無い程、敵によって作品全体の色も変わってくると思います。
原作とは違う色の敵を創造する危険を冒すよりかは、過去の設定を流用して作り出した方が全体に馴染む…。
そういう考えで「GT」の敵キャラは生み出されたのかもしれません。

実際僕からしたら、素晴らしいアイディアのように思うのです。

精神的な成長と独立

このように考えてみると、僕は「GT」の結末を否定してはいけないんじゃないかと思う訳です。
邪悪龍を出した理由として、同「パーフェクトファイル」には以下のような記述もありました。

敵・邪悪龍を通じてドラゴンボールの存在意義を考える、というテーマもあった

後付のテーマなのかもしれません。
ですが、このテーマを元に
・邪悪龍の存在意義
・「悟空と神龍が一体となってどこかへ消えていく」
・100年後の悟空Jr.の元気な姿
なんかを考えると、非常に納得してしまう。

邪悪龍の存在によって「好きな願いを叶えて貰えるという都合の良いモノは、あってはならない」という事を知り。
悟空と共に去っていく描写で、DBに頼らず自分たちの力だけで生きていく事を誓ったのだと解釈が出来て。
そして、100年後も変わらず逞しく生き続けている悟空Jr.達を見せることで、その誓いが叶っているという結果を見せている。

悟空達は悪い意味でDBに依存し過ぎていたのかもしれません。
原作でも「DBさえあれば大丈夫」といった趣旨の発言を悟空がしていますし。
それだと何時まで経っても強くはなれない。
肉体的に強くなっても、精神的には弱いまま。

そんな心の拠り所と正面切って対決する様を描いたのが「邪悪龍編」であり、邪悪龍を倒す事で、精神的な成長と独立をも描いていて。
「悟空の成長」というのは、そういう事だったのかもしれませんね。

悟空が死んでしまったかのような描写は非常にショックでした。
しかし、こういう考えをすると、あのラストはとても感慨深い素晴らしいラストのようにも思えてきます。
原作で唯一解決されなかった「DBからの卒業」を描いて見せた訳ですから。

来年公開の新作映画が、ブウ編の後の物語だというのも改めて納得がいきます。
「GT」の後の物語では、悟空が居なくなってしまった事もそうですが、何より登場キャラの成長を描き切ってしまったのですから。
DBに依存するという唯一の弱さを克服し、キャラの成長的にも物語的にも完結させた「GT」。
これ以降の物語となると、それこそ100年後を舞台にする他無いでしょう。

「DB」という作品に真の意味で終わりを与えた「GT」。
あのラストを否定している僕は、やはり価値観が貧しいのだと再確認いたしました。

*1:「パーフェクトファイル」出典