アニメな日々、漫画な月日

アニメ、漫画の感想・考察

「あだち充作品」と「おおかみこどもの雨と雪」の共通項〜行間を読む事を楽しむという事〜

この記事は

「おおかみこどもの雨と雪」の記事です。
ネタバレありますのでご注意下さいませ。

はじめに

遅まきながら「おおかみこどもの雨と雪」を見て参りました。
いや〜、評判通り物凄い映画。
うっかりとネタバレ(最後どうなるかという結末)をネットで見てしまったにも関わらず、十二分に楽しめました。
寧ろ"知っていたから"こそ楽しめたかもしれません。

で、色々と書きたい衝動に駆られたわけですよ。
沢山の情報を巨大な銀幕から送り続けられて、胸いっぱいの感情を享受し、それを形にしたいという想いに突き動かされそうになったのですが…。

ちと止めときます。
公開からかなりの月日が経ち、多くのブロガーさんがネットに感想やら考察やらを挙げられていて、それを少し読んだだけで満足しちゃったから、というのが理由の一つ。
でも、もっと大きいのは、「僕個人の思い」を形にする事にあまり意義が無いかなと考えてしまったからです。

何故そう思ったのかを中心に書いてみます。

喪失感を味わっている。

鑑賞して、日にちが経ち。
未だに、この作品の鑑賞後に覚えた気持ちが頭の中に残っているんですよね。
語彙の少ない自分には、この気持ちを文に出来ないのがもどかしいのですけれども…。
何ていうのかな。
ぽっかりと胸に穴が開いたような虚無感ていうのかな。
決して悪い意味では無くて、「大切なものが無くなってしまった」感じに近いかもしれない。
僕はこういう感情をよく長編漫画を読み終わった時などに感じます。

10巻以上に跨る壮大な物語を心から楽しみ、夢中になって読み耽って、遂には最終回まで読み切ってしまった後の気持ち。
「あぁ〜終わっちゃったよ」という空しさとちょっとした達成感。
何となく切ない気持ちになる。

で、特に僕はあだち充先生の作品を読むと、このような感情をより強く持ちます。

今回の「おおかみこども」を見終わった今も、あだち作品を読み終わった時に感じる気持ちに近い。
という事で、ちょっと大きく話を逸らして、あだち作品について考えてみます。

あだち充先生の作品の楽しみ方

さて。僕は、あだち充先生の作品は、行間を読む事を楽しむものだと思っております。
行間を読むってよく聞きますよね。
具体的にはどういう行為かというと、辞書からそのまま引用させて頂くと以下のようになるようです。

文章に文字では書かれていない筆者の真意や意向を感じとる。 (コトバンクより)

「行間」何て言うくらいですから、本来は小説に於ける楽しみ方の一つかと思うのですが。
漫画に於いても、よく使われております。

では、筆者の真意や意向というのは、作品のどういう所に表れるのか。
最も大きいのは「作品が物語っているテーマ」ではないでしょうかね。
作品の根底に揺蕩うテーマやメッセージというのは、それはそのまま作者が作品を通じて読者に伝えたい事であると言えると考えます。

こういったメッセージは、時に登場人物に語らせたり、考えさせたりさせて伝えられる事も多く。
例えば、主人公の主義思想になっていたりもする。
キャラクターの台詞やモノローグになって、文字化されている事が多いんではないかなと。

前置きが長くなりましたが…。
あだち作品って、基本的にモノローグ(登場人物の心の中のひとりごと。独白。)が無い。
あるにはあるのですが、絵だけで表現されていたり、若しくはナレーション(画面に現れていない人が、内容・筋などについて解説すること)として表現されていたりする。
この場合、画面に現れているキャラ自らが解説しているので、正しくナレーションというよりかは、ナレーションとモノローグの中間的な表現とも言えるかもしれません。

更には、台詞も圧倒的に少ない。
本来台詞やモノローグがあってもおかしくないコマでも、キャラの表情しか描かれていないなんてことも多く。
恐らく、台詞やモノローグが無いコマの総数は、日本一なのではないかな。
このように、台詞やモノローグが少ないと、キャラクターが何を思っているのか、何を考えているのかが明白に伝わってこない。

だからこそ、"行間を読む"事が必要だったりすると思うのです。
キャラの感情が分かりやすく言葉で書かれていない為、キャラの心情やなんかを表情等から類推する事が求められる。
類推して、解釈して、答えを出して…楽しむ。
それが、あだち充先生の漫画を読む上で最大の楽しみだったりします。

でも、これって言うのは、決して答えが一つではないのですよね。
只でさえ作品の感想・解釈なんていうのは、人それぞれなのに、より細分化されるというか。
あくまでも個人の類推であるからして、読んだ人それぞれの「答え」がある。

これって、現実での会話でもそうですよね。
他人の本心というのは、やっぱり分からないもの。
で、どうするかというと、それまでの会話の流れだったり、その人の所作や言葉遣い。口調や声、そして表情等から、複合的に考えて相手の気持ちを類推する。
これまた推測に過ぎないので、それが誤っている事だってある訳で。

一般的な作品以上に自由でいて、現実の感覚に近い作劇手法ではないかと思っております。
無限の解釈が出来て、それぞれ好きな解釈が可能。
だからこそ、未だに多くのファンを抱えているのかなと。

「行間を読む事を楽しむアニメ映画」

僕が「おおかみこども」から感じたのは、まさしくこれなんですよね。
やはり、あだち作品同様モノローグが少なかった今作。
(数えていた訳では無いので、間違っているのかもですが、僕は少なかったように感じました。)
また、台詞も必要最小限なもので、簡潔であったように感じました。

象徴的なシーンはいくつかあります。
韮崎のお爺さんに何故いつも笑うのかと問われた花が、それには答えずただただ大笑いしたシーン。
ラスト、雨を引き留めようと必死に呼びかける花。雨は一度は振り返るも、何も言わずに山へと去っていくシーン。
そうそう。花の畑だけ荒らされなかった理由についても、いちいち説明されていませんでした。(これは、説明不要なほど分かりやすいシーンでしたが)
台詞にして、いちいち説明してもおかしくない場面で、悉くその説明(台詞)を省いている。

で、それでも最低限必要な事はナレーションにしているんですよね。
雨が「過去を振り返っている」という立場で(主に)花のその時の感情を「代弁」している。
とはいえ、あくまでも「代弁」なので、必要以上な事はやはり語られていない。

細田監督が最も言いたかったメッセージは、きちっと作品に盛り込まれていたと思うのです。
ただ、その伝達方法は言葉では無くて、絵に最大限委ねられていた。
モノローグを減らして、台詞で全てを語らせるような事はせず、キャラの表情や、仕草など絵で「語らせていた」。
そういう風に感じました。

監督のメッセージを正しく解釈しようとすることも可能ですけれど、でも、それは必ずしもする必要もなくて。
言葉で明示されていないから、個々人自由に受け取っても良いんじゃないかなと。
どんなメッセージを感じ取っても良いし、テーマが何だったのかも決めても良い。

例えば、キャラの誰に感情移入するかでも、作品の表情が大きく変わってくるんですよね。
花に感情移入すれば、彼(おおかみおとこ)への愛情を感じ、そんな彼との間に授かった2人の子供達への深い愛情に感動するのでしょう。子育てがテーマに思えるのかもしれない。
雨に感情移入すれば、オオカミと女の子の間に揺れる乙女心を悩ます思春期の淡い恋(?)物語に浸れる。
雪に感情移入すれば、まるで人間の男の巣立ち(独り立ち)までを描いた作品として映る。
メイン3人の誰に感情移入するかでも、作品の見え方(テーマ)は大きく異なる。
だからこそ、これ程多くの人に支持されているんじゃないかな。
それぞれ好きな視点で物語を解釈する事が出来るから。

「僕個人の思い」を形にする事にあまり意義が無いと書いたのは、その為です。
多くの解釈が出来るように作られていて、各々感じた事が答えなのだから、わざわざ「僕の答え」は提示する必要もないかなと。
うん、ごめんなさい。
ちょっと強がりです。
素晴らしい考察がいっぱい上がっていて、それら全てに目を通して被らないように書く自信が無かったから書かなかっただけですw

えっと。
台詞が少なく、その為、一つ一つの台詞に凄く重みがあったというか。
心に残ったのは事実ですね。
また、絵で勝負しているように感じたのも本当であり、表情から色々な事を読み取れることのできる作品でもあったと思います。
「行間を読む事を楽しむアニメ映画」。
これが僕のたった一つの偽らざる感想。

もう一度くらい見に行きたい作品ではあります。
本当に素晴らしい映画でした。


余談ですが、僕は花に感情移入して見ていたかもしれません。
有り得んほど、幼い雨と雪が可愛いと思ってしまったから(笑)
生まれて初めて「子供欲しい」と思ってしまったという…(汗
なんだかなー…。