アニメな日々、漫画な月日

アニメ、漫画の感想・考察

金田一少年、コナン、燈馬 3人の高校生名探偵のスタンスの違いに関する考察

この記事は

僕の好きな3大ミステリコミックに関する考察記事です。
誰得か?俺得ですw(いつも以上の自己満記事)

はじめに。

週刊少年漫画史上に本格ミステリというジャンルを築き上げた「金田一少年の事件簿」誕生から20年。
その間、本当に多くの漫画が生まれては消えていきました。
やはり難しいジャンルなのか、人気が定着し長期連載にまで到った作品は少なく、"成功例"は少ない。
中でも、取り分け人気が爆発したのが「名探偵コナン」ですね。
アニメ人気も凄いけれども、全盛期では初版200万部超を果たすなど、漫画史に残る傑作になったと言えるかと思います。

そして、僕が大好きな「Q.E.D.-証明終了-」。
こちらも隔月連載とはいえ、10年以上の大ベテラン。
ミステリ好きで、読んだこと無い人は絶対に損をしている名作です。

これらミステリ漫画の共通点と言えば、やはり主人公の年齢でしょうか。
「金田一少年の事件簿」の金田一 一
「名探偵コナン」の江戸川コナン(工藤新一)
「Q.E.D.-証明終了-」の燈馬想
彼らみんな高校2年生であります。(燈馬は作中でこっそり高1から進級してたりしますが)
高校生名探偵の彼ら。

高校生と言っても、精神はまだまだ未熟な部分がありますし、人間形成も半ば。
だからという訳では無いですが、彼らの"正義感"、"主義主張"にも個性が出ている気がします。

やっている事は3人とも同じなのですよ。
事件発生を受けて、推理をして、犯人を言い当てて解決に導く。
しかし、それを行う動機などの面はそれぞれ違っている。

今回はそんな3人の高校生名探偵のスタンスの違いに関して考察してみようかと思います。

金田一 一の場合

彼が、事件解決に乗り出す理由。
それはきっと祖父である金田一耕助の尊厳を守る為なのでしょう。
これはハジメの名台詞の一つである「ジッチャンの名にかけて!」から窺えると思います。

祖父の築き上げた名誉を自分の愚行で穢したくない。
そういう強い意志から、巻き込まれた事件には自ら率先して関わっていく。
そしてその類稀なる推理力で謎を解く。

だから、ハジメには謎に対する興味や関心というのがあまり無いんだと思うのです。
目の前に提示されれば、それがクイズなどのお気楽系ならば楽しんで解くし、殺人など犯罪に用いられたトリック解明の時は真摯に向き合う。
その程度のモノであって、事件の謎自体にはあまり関心が無いんじゃないかなと思う。

彼のスタンスは兎に角「罪を憎んで人を憎まず」なんですよね。
それを全力で体現している。
兎に角人間が好きなんでしょう。性善説論者なのかもしれない。
そして高校生らしく、「どんな苛烈な状況下でも諦めなければ絶対に光が射す」という、酸いも甘いも知る大人からすれば「甘い」と断言されかねない希望をも抱いている。

だから、殺人を犯した者の動機を聞くと、感情移入しちゃうのでしょうね。
同情しちゃうんだと思う。
と同時に「罪を憎み」、「性善説論者」であり「人生に希望を持っている」から、そんな犯人に同情しつつも他に方法が無かったのかと諭しに入る。

犯人からすれば勿論それ(殺人)しかなかったから実行した訳で、ハジメの説教は聞くに堪えないものに違いない。
けれども、本気で自分の事を考えてくれていると伝わるものがあるのでしょうね。
ハジメの言葉に救われる者もいる。

「どんなにどん底でも、どんな暗闇の中を生きてても、やり直しのきかない人生はないんだ!!」
「秘宝島殺人事件」で犯人に言った台詞です。
ここから「人生に希望を持っている」事が窺えます。

また、「異人館ホテル殺人事件」では、ハジメは友人である佐木竜太を殺されてしまいます。
真犯人の正体に迫ったからという非常に身勝手な理由であり、ハジメは犯人に対して怒りを覚える訳です。
それでも、そんな心境であるにも関わらず、犯人の気持ちを思い遣れる。
「どんなに悪い状況になっても、最悪の道を避けるだけの選択の余地は残っていると思うんだ」
という台詞が言える。
最悪の道=殺人を回避できたはずだと諭す。
根っからの悪人なんていないという考えを持っているんじゃないかと思われる部分ですね。
佐木の件を許している事から、人を憎んではいない事も知れる。

ハジメのこうした部分は一部からは「説教臭い」と言われてはいますし、そうじゃない!と僕が否定する事は出来ません。
実際犯人からすればハジメの言葉は「戯言」であり、「何も知らないから言える事」なのだと思う。
「説教臭い」という批判は的を射ているとも言えます。

しかしですね、こうしたハジメのスタンスを知り、ハジメに感情移入すればこうした事もあまり思わなくなるんじゃないかなと思うのです。

江戸川コナン(工藤新一)の場合

コナンの場合は、先ずは「名探偵コナン」という作品そのもののスタンスを明確にすることが必要だと考えます。
この作品。
「本格ミステリ」と言うと、実は違いますよね。
作者の青山先生自身が「殺人ラブコメ」と言っているように、「本格」ミステリでは無い。
また、漫画的な要素がふんだんに入れ込んである以上は、この作品は何処まで行っても「漫画」。
「少年漫画」なんですよね。

「金田一」や「Q.E.D.」は、「本格ミステリ」。
つまりは小説を漫画に落とし込んだ作品なので、どちらかというと「小説」に近い。
(ここで言う「近い」というのは、作品のスタンス的にという意味です)
「本格ミステリ」というと元来は「小説」なのですから、やはりこれらも「小説」になる。

でも、「コナン」はそうでは無くて「漫画」…もっというと「少年漫画」なのです。
これは非常に大きな事だと考えます。
何故大事なのか。それは後述。

さて、この事を念頭に置いてコナン君の事件に対するスタンスを見てみます。
すると彼の場合はハジメとは異なるんです。

謎に対する興味が半端ない。
元々はコナンは「推理オタク」なんですよね。
著名なミステリ作家である父・優作のコレクションを読み漁って育ったコナン=新一(以下面倒なので「コナン」で統一します)は、生粋のシャーロキアン(ホームズマニア)であり、推理オタクである。

だから、謎に溢れた事件に遭遇すると血が騒いでしまう。
ワクワクしてしまう。
時には同じ高校生探偵の服部平次と謎解き勝負までしてしまうのはその為。

こうした事から、やはりこの事を槍玉に挙げられ「人が死ぬのを楽しんでいる・喜んでいる」と揶揄される事もあります。
でも、これは違うのですよ。

ここで最初に提示した「コナンという作品は少年漫画である」という定義が活きる訳です。
少年漫画と言えば、勧善懲悪のバトル漫画。という事でバトル漫画に例えると分かりやすいと思います。

コナンたち探偵や警察を「正義」とすると、真犯人達は「悪」な訳です。
で、バトル漫画で言う「敵の強さ」という概念が、この作品では「謎の難解さ」に当たるのではないでしょうか。

「DB」の悟空が敵が強ければ強い程ワクワクするように、コナンもまた謎が難解であればあるほどワクワクする。
殺人=人の生死を扱っている以上、確かに不謹慎かもしれない。
でも、この作品は少年漫画である以上、この主人公である正義側の心理は致し方の無い事だと思うのです。

それに、被害者が増えればコナンは当然怒ります。
不甲斐無い自分自身に、犯罪を止められなかった事にイラつく。
作品としても事件を未然に防ぐエピソードを盛り込んだりして、コナンのスタンスが悪く見られない様、上手い事バランスを取っているように感じます。

江戸川コナンは「正義のヒーロー」である。
このスタンスは大事なんじゃないかな。

あ、そうそう。
先程は勧善懲悪のバトル漫画とし、犯人を「悪」と見做しちゃいましたが、これは誤りですね。
謎に対するスタンスは↑の通りだと思っているのですが、犯罪や犯人に対するスタンスはハジメと同じだと思います。
コナンもまた、ハジメ程では無いにしろ、罪を憎んで人を憎まずという部分があると思います。
でも、そこは「少年漫画」。
あまり犯人に肩入れするような事は無いのですが。

犯人を自殺させてしまう事

さて。
ハジメとコナン。
ファンの間でこの両者の関係に関してしばしば言われているのが「犯人の自殺」に関してではないかな。
僕自身たまに見かけるのですが。

発端は「名探偵コナン」第15、16巻収蔵の「名家連続変死事件」時のコナンの台詞。
「犯人を推理で追いつめて、みすみす自殺させちまう探偵は…殺人者とかわんねーよ…」

これですね。
初期から中期までの「金田一」といえば真犯人の自殺は、一種のテンプレートとなっていました。
これをして、ネットを中心に「コナンから金田一への挑戦状」等と囃し立てられていた時期がありました。

コナン自身、過去に一人だけ自殺を許してしまっている為、自戒の念を込めた台詞だったと取れるのですが、これを読んだ人々が面白半分な捉え方をしたのでしょうねw
また、「金田一」の方でも犯人の自殺が止まったというのも、これに輪をかけたのかもしれません。

実際この台詞の裏の意図などは知る由もありません。
ただ、これも両作品のスタンスの違いなのでしょうね。

「金田一」はハジメの活躍というよりも「犯人のドラマ」に重きが置かれています。
実際その部分は非常に大切に練り込んでいると天樹先生はインタビューなどで答えられています。
だから、「自殺する事」まで含めて1つの「ドラマ」というか。
自殺するほどの思いだったと。
ハジメの説得以上に、犯人の心情を重要視しすぎてしまったからの事だったんじゃないかなと。

「コナン」は逆。
コナン自身が正義と思う事に反する事は先ず描かない。
「犯人を自殺させる事」がコナンにとって「悪」なので、犯人は自殺しない。
「金田一」と違い 主役 > 犯人 という事なのだと思います。

「金田一」で自殺が無くなったのは、関連書籍ではハジメの成長と説明されていますね。
と思ったのですが、どれを見てもそんな事書かれていないwwwどこかで読んだはずなのですが…。
ま、まぁいいや。。。

えと、この辺も作品のスタンスで説明が出来そうかなと思いましたので。

燈馬想の場合

最後に燈馬君に関して。
一番知名度が低いと思われるので、一応彼の設定を。
毎度おなじみwikipediaから抜粋させて頂きます。

日本某所にある、私立咲坂高校に通っている少年。
MITの数学科をわずか15歳で首席卒業しながら、大学の所有する研究機関への道を自ら辞した過去を持つ。
その才能ゆえに、人と違った生き方をしてしまったため、自らの人生に疑問を抱いて大学卒業後、現在の学校に再編入した。
基本的に人間の感情の機微には疎く、加えて善意でしたことが周囲から曲解され悪意になって自分に跳ね返ってきたために、人との付き合い方に難点を持ち、それがコンプレックスとなっている一面を持つ。

という事で、飛び級で超一流大学を卒業し、それなのに日本で高校生をしている天才にして変わり者。
それが燈馬君なのです。
研究者という事で、彼は自身を「探偵」だなどとは露にも思っていません。
これはハジメ(は微妙w)やコナンと決定的に異なる点ですね。

だから、燈馬は自ら進んで事件の解明に乗り出す事はありません。
勿論研究者であるからして、提示された謎には興味を抱く事もありますし、

完璧主義者であり、「(論理的な)理不尽」を見過ごすことは決してなく、厳しく指摘を入れていく。
(同wikipediaより)

という性格ゆえに、自ら解明に乗り出すケースもあるにはある。
でも、基本的には無関心。

パートナーである可奈にケツをひっぱたかれて、仕方なしに動くことが殆どです。
(最近はそういう事もなくなってきていますが)

という訳で、事件の謎には興味が基本的に無く、また、人間自体にもその経歴からあまり関心を寄せない。
その為、3人の中では最もタンパクに映るかもしれません。

基本的に毎回可奈に乗せられて事件に関わり、卓越した論理的思考力を以て謎を解き明かす。
それで終わり。
犯人の動機を聞いて、何か言ったり行動を起こしたりはしないのです。

第42巻に以下のようなセリフがありました。
「ご健闘を」
推理で追いつめた犯人が「最強の弁護士軍団を揃えて、裁判に勝ってみせる」と言った時のリアクションです。

ハジメならばどう言うでしょう。
罪を認めることを真摯に説くかもしれない。
コナンならば「バーロー、そんな事させねぇよ」とヒーローのような事を言うのかも。
でも、燈馬君は違う。
人に関心が無いから、突き放す。
犯人の逮捕後の事まで考えないというか。
論理的に「それは不可能だ」という判断からの台詞なのかもしれない。
余談ですが、ハジメやコナンのような役割は、この作品ではヒロイン(可奈)が担っていたりしますw

以上のように、主役である燈馬がこのようなスタンスであるから、この漫画は徹底的に論理(ロジック)を追求した本格ミステリなのです。
本格推理パズルとした方が相応しいかも。

と、ここで締めるとあまりにも作品を知らない方からの燈馬君の心象が悪くなる気がしますw
そうじゃないですよという事で、最後にまたしてもwikipediaより抜粋。

他人への感情はドライに見えるが、可奈の父親の幸太郎からお年玉をもらったりした際には、困惑したような表情を浮かべたのちに恩返しのような形で事件解決に協力するなど、本質的には人嫌いではない様子である。

この漫画は、卓越したロジックによる推理劇を柱としつつも、燈馬想という「未成熟な少年」の成長を描いた物語でもあるという事ですね。
人間に自分から関わるようになっていっている事が見て取れるから。

燈馬君のスタイルは、少しずつですが確実に変化しているのかもしれません。
ここがハジメやコナンと最も異なる部分かな。

まとめ。

長くなりましたが、以上のように同じ推理コミックでも、主人公の事件や謎に対するスタイルによって大きく印象が異なって見えるんじゃないかと思うのです。
事件の謎等のミステリ部分だけを見るのではなく、こういったキャラクターの心情にも目を配ると、また面白い読み方が出来るような気がします。

今月3作品とも新刊が発売されたので、あまりにも嬉しくなって書きました。
最後まで駄文に付き合って頂き、誠にありがとうございました。