アニメな日々、漫画な月日

アニメ、漫画の感想・考察

ギャグ漫画からコメディアニメになった「日常」のお話

この記事は

あらゐけいいち先生の「日常」考察記事です。
ネタバレありますのでご注意下さいませ。

「ギャグ」と「コメディ」とは?

「ギャグ」と「コメディ」。
この2つのジャンルの違いはどこにあるのでしょうか?
僕は、どこに重点が置かれているのかで変わってくると思っています。

笑いに比重が置かれている作品はギャグ。
ストーリーが中心の作品はコメディ。
そういう風に分けていて、調べたらwikipediaにも似たような事が書かれていましたので、これは世間一般的な感覚と思っても良いのかもしれません。
(wikipediaの該当ページを編纂した人と僕、2人だけの感覚では無いはずw無いと思いたい)

とすると、あらゐけいいち先生原作の「日常」という作品は実に特異な作品であったと思います。
タイトル通り、原作はギャグ漫画。アニメになるとコメディアニメになっていたのですから。
今回は、どうしてそう思うのかのお話。
尚、この記事は以前僕が運営していたアニメ感想ブログの記事を主体に全面的に書き直しを行ったものです。
はい。ネタ切れですwww

原作の「日常」

僕がこの漫画を買い始めた切欠は、やはり京アニでした。
「京都アニメーションでアニメ化される」という事を知り、実際に放送が始まる半年程前にコミックスを購入。
読んでみたのですが…。
正直言うと戸惑いました。

ギャグというジャンルって人を選ぶ最たるものであると僕は思うのですね。
笑いが全てと言っても過言でない作品なので、これが肌に合わないと全く楽しむ術を失くしてしまうというか。
他に楽しみを見出す事が困難なジャンル…と言ってもいいかもしれません。

「日常」のギャグって、僕にとっては笑いどころがどこにあるのかイマイチ判別出来ない作品でした。
ただ、面白いと思えたエピソードもありましたし、キャラが可愛いと思ってしまった為、戸惑いつつも続刊を買い揃えたわけですが…。

それでも「この作品はいくら京アニでも当たらない」と思ってしまったのです。

嵌る人は凄く嵌るけれど、万人受けしない。そういうタイプの笑いに満ちたギャグ漫画。
それが僕の原作「日常」に対する感想でした。

この原作漫画。
誰がどういう観方をしてもギャグ漫画であると僕は思うのです。

アニメの「日常」

さて。
となると、当然アニメになってもギャグアニメの筈。
嘗て京アニは「らき☆すた」を手掛けてましたし、その前には名作「フルメタふもっふ」も作っていた。
(下請けとして)「クレしん」にも関わっていたので、ギャグアニメもお手の物。

どう料理されるのかワクワクしていたら…。
提供されたのは、ギャグなんかでは無くコメディでしたw

これには驚きました。
中華料理を頼んだはずが、韓国料理が出て来たような感じで。
似てるけど、違うよと。(中華と韓国料理って実際似てるのかどうかは置いといて下さい。良く知りませんw)
でも、コメディの「日常」って滅茶苦茶面白かったんですよねw

ではでは。
そもそも何故僕はアニメ「日常」を「コメディ」だと思っているのか。
それは、「東雲なののドラマ」が描かれていたからです。

アニメ「日常」。前半は明らかになのが学校に通う事になるまでを描いた物語が、作品全体に流れていました。
原作では最初から高校生であったなのが、どうやって高校に通うのか。
原作から改変してまで、そのようなドラマを作り出していたのです。

京アニが巧みなのは、原作のギャグだけのエピソードをそのまま使って、ちょっと感動できるドラマ風に再構成していた点なのですが…。
そこを語るには原作を読み返して、アニメDVDをレンタルして見返す必要がある為、カットさせて下さいw

ま、まぁ、そこは横に置いときまして。
兎も角。
アニメ「日常」は、なの達のドラマを描き切ったコメディアニメでした。
中心にギャグでは無くドラマがあったと思うのです。

もう一つ。僕がアニメ版がコメディだと考える理由を挙げます。

ギャグの特性

と、その話に入る前に、先ずはこれについて書かせて下さい。
「ギャグ作品特有の特性」についてです。

鳥山先生の代表作「Dr.SLUMP」を引き合いに出してみます。
この漫画で度々メタ的使われ方をされていたギャグがあります。
千兵衛が良く言っていたような気がするのですが「ギャグ漫画で良かった」というやつです。

高い所から落っこちても、アラレにぶっ飛ばされても、何をされても決して死なない。
包帯巻いたりする程度の大けがで済んでしまう。
「ギャグ漫画じゃ無かったら死んでたぞ」なんてセリフは、色々なギャグ漫画で見かけると思います。

このようにギャグ作品と言うのは、基本的な物理法則や一般常識。
時には作品の世界観すら無視してしまう事も往々にしてあります。
全て「笑いの為」都合よく展開する事が出来る。
これがギャグ作品の特性だと僕は考えます。

だから。
先程の例で言うと、千兵衛がどんな大けがをしたとしても、次の回にはあっさり治っていたりする。
ページが変わるだけで治る場合だってある。
普通ならば有り得ないのですが、「ギャグ」だからアリになっている。

同じく「Dr.SLUMP」の1つのエピソードで、千兵衛だけが歳を取ってお爺さんになるという話があります。
「ギャグ漫画」でなければ、以降ずっと千兵衛はお爺さんのままのはず。
でも、「ギャグ漫画」だから、千兵衛は次の回では元の年齢に戻っているのです。
その事については当然何の説明もありません。当たり前ですが。

こうしてみると、「千兵衛がお爺さんになった話」が作品世界で無かった事にされたのかと言うと、そうではありません。
ちゃんと「過去にあった出来事」として作品内で息づいていたりします。
その時使った発明品が、後のエピソードで出てきたりするので。

実に不可思議な「ギャグ作品だから有り得る(許される)事」で、僕はこれを「不連続な物語」と捉えています。
1話1話は独立していて、繋がってはいない。
しかし、過去の話が無かった事になる訳では無く、作品世界上では一つの連続した物語として認識されている。

ギャグの部分だけ無かった事にされる…とも考えられるかもですね。

ギャグの特性を破っていたアニメ版

アニメ第10話。
この中で、遅刻したゆっこをおちょくる麻衣のエピソードがありました。
教室に入ろうとするゆっこに、麻衣が仕掛けた数々のトラップが襲い来るというお話。
このトラップの中に、教室上部の窓ガラスがステンドグラスに変えられているというのがありました。
これがこのエピソードのギャグだった訳ですが、普通のギャグならば、これは次には無かった事になります。

同第12話。
ステンドグラスのままでしたwww

僕がギャグアニメでは無いなと思った決定的な瞬間でした。
とはいえですね。原作を見返してみると、微妙な感じに。
上のステンドグラスのお話が、第3巻収録の「日常の42」。
で、同巻収録の「日常の46」でも、窓ガラスはステンドグラスのままでした。
この2話が「少年エース」掲載時に、同じ号に載っていたのなら(可能性はあると思うのです)納得なのですが、そうでは無いと↑の僕の考えが弱まるw
ただ、原作でもその後は普通の窓ガラスに戻っていましたが…。

また、アニメに於いてもこの後ステンドグラスがどうなったのか覚えていませんw
若しかしたら普通の窓ガラスに戻っていたのかもしれません。
戻っていたとしても、それは見かねた学校側が元に戻した…と思ってほしいな。

こう実際に書いてみますと、色々と無理のある説ですね…。
自分で言うのもなんですが。

えと。
ギャグ作品のギャグを無かった事にせずに、次へと引き継ぐ。
これって「不連続な物語」では無く「連続した物語」と言えるんじゃないでしょうか。
そんな訳で、僕はアニメ「日常」はコメディアニメだったと思います。

2クールと言う長丁場となったアニメ版。
飽きる事無く最後まで楽しめたのは、コメディにしてくれたからだと思っています。