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2つのミステリー的観点から「氷菓」を評価してみる

この記事は

アニメ「氷菓」の考察記事です。
ネタバレありまくりですのでご注意下さいませ。

記事タイトルに関して

「評価する」なんて偉そうな事書きました。ごめんなさい。
ちがうんや。
ただ、ちょっとシャレを入れたかっただけなんや〜。
それだけなんや〜。つまんないと分かっていながら、ついついボケてみたくなるんです。
本当にすみません。

書き忘れてましたので追記。
記事の内容がなんだか「原作を読んでいるかのような感じ」になっちゃいましたが、僕は原作未読ですw
あくまでもアニメ「氷菓」に関する事ですので。よしなに。

2種類の伏線

推理物と言う観点から、最新の7話「正体見たり」を見てみました。
今回は推理アニメとして見た「氷菓」に関して書いてみたいと思います。
と、その前に、僕が思う「面白い推理ミステリとは何か」について書かせて頂きます。

以前「外天楼」の記事でも書いたのですが、面白いミステリとは「きっちりと伏線が張ってあって、それを拾い上げて推理を展開させる事で真相に気付けるもの」であると思っております。
ミステリにとって伏線って滅茶苦茶重要な要素で、初読(初見)でも気づかなくても、真相を知ってから後、繰り返し見返す事で気付けて、より真相に驚けるモノであるんだと思うのです。

で、改めて伏線の種類について記しておきます。
僕は伏線には2種類あるんじゃないかと考えています。

①予め先の展開の為に仕込んでおくモノ
②過去の何でも無い出来事を「伏線」として活かしてしまったモノ

②については「バクマン。」で語られていたようなものです。
(何のことか分からない方は、「バクマン。」を読んでみて下さいませw)

さて。
ミステリというのは、基本的に最初から最後まできっちりとプロットを練り上げた上で書かれるものだと思っています。
作品を書き始める前から、ラストの重要な部分。トリックなり犯人なり動機なりという核心部分が既に作られている。
だから、それに読者が気付けるような伏線を前もって用意できるし、実際そうやって張られていると思うのです。

「面白いミステリには、後付となる②の伏線は無い!」
これが僕の自論です。

勿論例外はありますけれどね。
でも、そういうのは大概僕はミステリとしては見ていません。
ミステリ的な何かと言う扱い。
これは多分僕が根っからの本格趣向だから…なのかもしれません。
そんな僕の偏向趣味は横に置いときまして…。

これをもとに今回「氷菓」を見てみたのです。

7話に張られた伏線

結論から先に申しますと、しっかりと伏線が張られた僕の好きなミステリなんですよね。

大抵の事は奉太郎が推理シーンで言ってますけれど、ざっと伏線を上げてみますと…。

〇奉太郎が見かけた人影
〇両側の窓を開けないと影が出来ない・見えないという事実
〇善名姉妹のクセ(モノに名前を書く)
〇梨絵の浴衣は子供が一人で着れるという事実(帯がイミテーションの為)
〇雨が降った事とお祭りがあったという事(太鼓の音)
〇怪談の最中嘉代の声が聞こえてこなかった事
〇里志の台詞「両手に花でも一輪余ったよ」という事(怪談に参加した女性は3人だったという事)と上記の声の件で、怪談参加メンバーが確定する事
 (ついでに嘉代が怪談の際梨絵が何を言ったのか知らなかった事もそうですね)
〇ラジオ体操
〇旅館の状態

こんなとこ?まだありそうですが。
わずか20分弱。推理シーンを抜かせばもっと短い時間に、本当に多くの伏線が仕込まれていました。
レッドヘリング(偽の手がかり)も特になく、皆真相に直結している手掛かりで有る為、非常に分かりやすいです。
ここまでくると「推理」の必要性もあまり無いと感じる程、伏線だけで事件の全容が見えそうですがw

いや〜実に丁寧。
ミステリとしても実に僕好みの作品なんですね。

奉太郎は安楽椅子探偵

さて。
この「氷菓」。ミステリはミステリでもどんなタイプなのか。
更に細分化して考えてみます。

殺人を中心とした刑事事件を扱った所謂「殺人ミステリ」ではありませんね。
そういった血腥くも無く、犯罪性の無い日常生活の中のちょっとした謎をメインとしたミステリです。

また、探偵役である奉太郎の推理過程(推理の仕方)からもタイプ別出来ます。
この作品。僕は一種の「安楽椅子探偵(アームチェア・ディテクティブ)小説」でもあるんじゃないかと思うのです。

安楽椅子探偵と言うのは、探偵役が事件現場に訪れて捜査する事なく、伝聞のデータだけで事件の真相を解き明かすタイプの小説です。
最も有名なのはアガサ・クリスティが生み出した「ミス・マープル シリーズ」じゃないかな。
2004年にNHKで放送されたアニメ「アガサ・クリスティーの名探偵ポワロとマープル」を見ていた人にはお馴染みでしょうか。
あ〜そうそう。一昨年大ヒットしTVドラマ化やら、遂には映画にもなるらしい「謎解きはディナーのあとで」もこれですね。

奉太郎もまた、過去の出来事の謎を追及したり、現場に居合わせない・捜査しない状況でデータと情報を駆使して推理をしています。
今回も旅館を捜査出来ていましたが、肝心の七号室(現場検証)は見れませんでしたしね。
(見る必要も無かったのですがw)
やはり僕はこの作品は「青春ミステリ」でもあり、かつ、「安楽椅子探偵小説」でもあると思っています。

だから何?と思われるかもですが…。
えと。
「安楽椅子探偵小説」って作劇上の特性によって、大きな欠陥もあると僕は思っています。
いや。この種類の小説全てに当て嵌まる訳では無いですが…。
その欠陥とは何かについて次に書いていきます。

安楽椅子探偵の欠陥

推理というのは、様々な情報や出来事。
容疑者達の言動等から推理に必要な材料を集め、展開構築し、一つの尤もらしい仮定を作り上げること…。
だと思います。

言うなれば「机上の空論」なんですよね。

所詮は探偵役が頭の中に描いた絵空事であって、真実かどうかは分からない。
これを真実として読者に納得させるには、証拠や証人、真犯人の告白(自白)なんかが必要で、だからこそミステリにはこれが用意されている。

また、推理する上で必要な情報を探偵役自らが集めているというのも、この「机上の空論」を「真実」せしめている一因になっているんじゃないでしょうか。
伝聞というのは、どうしても話し手の考えなど余計な雑念が入ってしまったり、途中で変容してしまったりしますので。

ようするにですね…。
「安楽椅子探偵小説」の欠点って、探偵役の推理が読者に「机上の空論」だと思われてしまう事ですね。
探偵役が実際に事件を見ていないので、「推理」が余計に「空想」染みてしまうというか。

先程このジャンルの一例として「謎解きはディナーのあとで」を挙げました。
これも面白い作品で…。
何が面白いかと言うと、探偵役の語る「推理」はあくまでも「机上の空論」として終わらせている点ですね。
それが真実かどうかの部分は、わざとオミットされていて描かれていない。
推理に基づく捜査をして、証拠(証人)を上げて犯人を逮捕するという仮定が無い。
(当然推理ショーなるものも無い)
純粋に推理を楽しめる作りになっているのです。

「欠陥」という書き方はしましたが、観方を変えれば、この上ない武器にもなるんですよね。
余計なドラマが無いので、探偵役と読者が推理勝負を出来るというか。
それなのにドラマ版は中途半端にドラマ部分を追加してしまった故に、一部から「机上の空論だ」と袋叩きにあってましたがw

さてさて。話が逸れました。
「氷菓」に戻ります。
グダグダっと書いてきましたが、では、この「氷菓」は「安楽椅子探偵小説」特有の「欠陥」を持っているかというと、僕はNOだと言いたいです。

理由は簡単。
探偵役である奉太郎が「真実」を求めていないからです。
いや。ちょっと違うかな。
えるが真実を求めていないから…ですね。

えるは別に「本当にあった事(真実)」を知りたい訳では無いんですよね。
これまで3つのエピソードが描かれてきました。
最初のエピソードはちょっと横に置いときまして、今回と前回の短編。
奉太郎の推理が真実かどうかの裏打ちが実は全くありません。

物的証拠も無いし、証人もいない。犯人(笑)の自白も無い。

全て奉太郎が、集められた情報から推測した「机上の空論」である。
でも、それで終わっていても文句は無いんですよね。

一つはこの作品が「日常の些細な謎を扱っている」から。
本気になって是が非でも真実を明らかにする必要性を感じないのです。
奉太郎が語る「多分そうだったんだろうな」という程度の「事実」があれば十分なんですよね。

もう一つが重要で、先程も書きましたように奉太郎やえるがそれを望んでいないから。
奉太郎は常に考えています。
「千反田を満足させられる説明」を考え出す事を。
えるも目を輝かせて言いますよね。
「私、気になります」と。好奇心から。

えるが満足しさえすれば、それが真実で無くても構わないんですよね。
象徴的なのが第1話。
奉太郎は自身が作った「偽の真実」をさもそれが「真実」であるかのように、えるに推理しました。
それに対してえるは疑いもせずに納得。
この話はそれで終わったのです。

以上より、この作品は「真実」を求めていないのです。
ただ一つ例外もありますが。
それが先程避けていた最初のエピソード「関谷純」に纏わる一連の謎。
今の所これだけは例外で。

本来ならば、奉太郎がえるの家で語った推理で終わっても良かったのですよね。
「真実」と大きく違った訳でも無かったですし。
ただ、えるが納得しなかった。
だから、このエピソードだけ「真実」が必要になり、そこで証人として糸魚川教諭が出て来て「真実」が語られた。

きっちりと「真実」が提示されたから、やはりこのエピソードに於いても欠陥は克服できています。


面白いミステリというのは、伏線をきっちりと張られた作品であると考えます。
また、面白い安楽椅子探偵小説は、この特殊な作劇上に於ける欠陥をきちんと処理して、克服出来ている事だと思います。
どちらの観点から見ても「氷菓」は素晴らしいんじゃないかなと僕は思います。