Mangaism

アニメ、漫画の感想や考察を書いてます

「DRAGON BALL」から動物型地球人が何故消えたのか考える

この記事は

「DRAGON BALL」妄想記事です。
ネタバレありますのでご注意下さいませ。

はじめに

ちょっとググると質問サイトを中心に同様の疑問にぶち当たります。
何故中盤から動物型地球人が居なくなったのか?
これに明確な答えはありませんし(鳥山先生自体が答えていないから。多分w)、考察する事も難しい。

が、確かに気になりましたので、ちょいと考えてみました。
探せば僕がこれから書こうと思っている内容そのものを記したブログなりに行きあたりそうですが、面倒なのと、それを見つけてしまうと記事が書けなくなってしまうので探していません(笑)
御了承下さいませw

という訳で、先ずは実際どのエピソードから出て来なくなったのかと思い、ざっとコミックスを見返してみました。
全ページ全コマ詳細に見たわけではありませんので、間違っている可能性が高いですが、それでも僕が見た限り其之百八十六が最後でした。

この回は、第23回天下一武道会編の終盤。
ピッコロ(マジュニア)の正体が観客にバレた回ですね。

逃げ惑う観衆の中に多数の動物型地球人が確認できます。
僕が探したうちでは、これが最後でした。(ちょっと嘘入ってます。これについては後述します)
以降動物型地球人は姿を消し、人間型地球人のみになっていきます。

地球人の構成

さて。
では、この「DRAGON BALL」の世界の地球には、どういった人々がいるのか。
改めて振り返ってみます。
DRAGON BALL大全集第4巻より、次の様に定義されております。

先ずは、一般的な人間型地球人ですね。
ブルマ一家やサタン一家等々、地球上で最も多いのがこの人間型と言う設定です。

続いて件の動物型地球人。
プーアル、ウーロン、国王などがこれに当たります。

主な地球人はこの2種類になるようですが、他にもモンスター型地球人というものがいたりしますw
ピラフやミイラくん(占いババの館の戦士)などがそうで、これは極少数。

この他、宇宙人(サイヤ人等)との混血等々、実に様々な人種が存在しています。
ギラン等喋る怪獣もこの「その他」の分類に入ります。
ちなみに。
天津飯が宇宙人・三つ目人の子孫で、先祖返りした特異な地球人だというのは有名ですか?
DBファンからすれば常識だと思いますが、そうでは無い方にとってはあまり知られていないのかなとかちょっと思いましたが、今回の件とは無関係なので端に寄せといて…。

てなわけで、地球人は主に3つの種族で構成されていて、元々少ないモンスター型が作中で見られなくなったのは特に問題無いとして、何故動物型が居なくなってしまったのか?
2つほど僕の意見を述べていきます。

作品の世界観が変わったから。

アニメで考えると分かり易いのですが、ピッコロとの戦いまで(「DRAGON BALL」)とベジータ編以降(「DRAGON BALL Z」)では結構別物になっていると考えます。

前者は冒険活劇の色合いが濃くて、ギャグ色も結構強めです。
例えば。
変身後のランチにライフルでガンガン撃たれて、体中に穴が空いてるのに「イテテ」で済んじゃう。
もうギャグ漫画の世界ですよね、この辺。
穴空いてるのに絆創膏貼っとけば治るんですからw

後半は完全なバトル漫画。
ギャグも色を潜めて、シリアス成分が(若干)増しています。
ランチがいなくなってしまったのも、実はこれが原因なのかもしれませんね。
体中に穴を開けて「いて〜」というギャグが出来なくなったからw(そんな訳無い)

この違いって、そうですね。
ペンギン村を作中に出せるかどうかで変わってくるんじゃないでしょうか。
鳥山先生は動物型人間を出すのが好きなのか(この辺の詳細は後述)、「Dr.SLUMP」にも終始出て来ていました。
完全なギャグ漫画であったこの作品の主たるキャラ達を登場させても違和感が無かったのが前半の頃。
先述したランチ絡みのギャグも「Dr.SLUMP」に通じるところがありますし、登場するキャラ達(動物型地球人)を見ても同一世界観であると言われると納得せざるを得ない。
(完全に余談ですが、「DRAGON BALL」にペンギン村を出せたのは、あの時点までで明確な死が描かれなかったからだと思います。
直前にブルー小隊が全滅してるなど厳密には描かれていなかった訳では無いですが、どこかギャグっぽい処理がされていたりしてシリアスさは皆無でしたので)

しかし、後半でペンギン村が出てきたらどうでしょう?
既に一度登場しているので、言う程の違和は感じないかもですが、それでも「なんか違う」と思うような気もします。
死と言う概念の無いギャグ漫画のキャラクターを(DBで生き返られるとはいえ)死と隣り合わせのバトル漫画にぶち込むとオカシイですよね。

こう考えるとアニメで言う無印時代とZ時代には大きな違いがある。
鳥山先生がそんな世界観に動物型人間はそぐわないと感じて、極端に登場を失くした…のかもしれない。

作画を楽にする為

もう一つの意見は、上でもちょっと触れた「動物型人間が作品に登場する理由」に関係しています。
鳥山先生が好きなのかと先程は書きましたが、実のところは「作画を楽にする為」らしいです。
(「DRAGON BALL冒険スペシャル」のインタビューより)

バトルシーンがいつも荒野だったり、超サイヤ人の髪が金色(黒では無い)だったり、何故か禿頭の戦士が多いのも全て同じ理由w
先日「禿げばかりの戦闘シーン」と書かれたナッパ戦の画像を見かけて、つい吹き出しましたもの。
見事に悟飯以外(ピッコロ、クリリン、天津飯、ナッパ、チャオズ(帽子被ってました))禿頭で、その時までそんな事に気づきもしなかったのでw

まぁ、それはさておきまして…。
この「作画を楽にする」というのは、鳥山先生の漫画を見るうえでは欠かせない要素だと思います。
これが僕が考える二つ目の理由ですね。

動物型人間が出て来なくなったベジータ編以降、それまでと比べても地球人の登場するシーンというのが激減します。
それまでは天下一武道会で戦ったり、地球人であるレッドリボン軍と戦ったりで、地球人が描かれるシーンも多かった。
けれどもベジータ編以降、上にも書いたように戦いの主な舞台が荒野になったり、戦う相手も異星人や人造人間になったりで、地球人が描かれるシーン自体が減少したのです。

今回ざっと見返してみて気付いたのですが、後期のモブ地球人は、初期に比べて極限まで簡略化して描かれているように見えました。
遠目から沢山の人を映したようなカットが多く、モブの顔まで子細に描かれる事自体稀になっているように感じました。

鳥山先生の中では人の顔より動物の顔の方が描きやすいという事なのでしょうが(「楽をするため」という事は、そういう事だと考えます。)*1、こうなってくると様子が変わってくるのではないでしょうか。
わざわざ群衆の中に動物を描くよりも、人の顔を適当に描いた方が楽…だったんじゃないかなと。

極端な話、丸描いてそこに点で目を表現すれば人の顔に見えますからねw
流石にプロなので、どんなコマでももっときちんと描かれていますが、それでもピッコロ戦までのモブに比べるとずっと簡略化して描かれている。
さっと描く分には、動物よりも人間の方が描きやすかったからなのかもです。
本来背景やモブなんかはアシスタントの仕事なのですが、鳥山先生のアシは歴代でも2人しか確認できていません。
なので、自身で全て描いていたんじゃないかと思われますが、真相は不明です。

終わりに

繰り返しますが、答えは分かりません。
が、こうやって考えてみるのも、また楽しいものですね。

ところで、質問サイトの中には「絶滅したのでは?」というものもありました。
ですが、これだけははっきりと否定できます。
絶滅はしてませんw
ウーロンたちが居るからという意味では無いですよ。

僕はこの記事の頭に、「動物型地球人が出て来たのはマジュニア戦が最後」と書きました。
が、これは嘘でした。ごめんなさい。
記事を書きながら、コミックスを読み返していて偶然見つけたのですが、其之四百三十一にも出て来てたのを見つけました。
第25回天下一武道会の予選参加者の一人にライオンさんがいますねw

この事より、セルなどの襲撃で全滅してしまった(その後DBで生き返れなかった)という訳では無いという事で。

*1:「人間だけだと顔を描き分けるのが大変だから」が真実みたいです。