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感情移入を巧みに利用した「魔法少女まどか★マギカ」の凄さ

この記事は

「魔法少女まどか★マギカ」のどこかで読んだことあるような既視感たっぷりの考察記事ですw
過去に自分で似たような事書いているから…かな?

感情移入

感情移入とは何か…。
例の如く文明の利器に頼るところのwikipediaから抜粋させて頂きますと、そこではこう書かれていました。

感情移入(かんじょういにゅう)とは心の内で他の人物と自分自身を融合させることにより、その対象と同一の経験・世界観を感じると共に、自身も同様のタイプの人間に近似していこうとすること。
好意を抱いている有名人などが行っていたという事がきっかけで自身も同等の物品を入手してみたり、同様のファッションをしてみたり、振る舞いが対象と似てくるというのは、感情移入を行っているということが目に見える形で示されているということである。

大衆文化の作品は消費者が主人公に感情移入できるかどうかが評価を左右すると言われている

とはいえ、wikipediaは誰もが編集できるものであるので、もうちょっと他の確実性の高いものも引用してみますとgoo辞書より。

自分の感情や精神を他の人や自然、芸術作品などに投射することで、それらと自分との融合を感じる意識作用。

となり、やはり似たような回答を得ることが出来ます。
どんな人であれ、少なからずこの作用を働かせて作品を楽しまれていると思います。

ただそこには個々人で大きな差がある訳で。
三次元の実在人物と同等かそれ以上の愛情を特定キャラに注ぐ方もいれば、もっとドライに・それでも自分と重ねて視聴している方だっている。

作品差だって勿論あって。
然程感情移入しなくても楽しめる作品だってあるし、逆に感情移入しまくっても面白いと思えない作品だってある。
(感情移入しないで楽しんでいる作品はWJ連載の「めだかボックス」ですかね。)

さて、この感情移入。
僕個人は凄く重要視しています。
やはり感情移入出来る方が楽しめると思っています。勿論作品ジャンルにもよるんですけれどね。
で、振り返ってみると「魔法少女まどか★マギカ」という作品は、実にこれのコントロールが巧みであったなと。
というか、僕が勝手に術中…というか作劇手法を想像して、ドツボに嵌ってしまったなと思い当りましたので、今回はそういう記事です。

キャラクターに感情移入するという事

という事で、僕は基本的に作中の誰かに感情移入して作品を楽しんでおります。
あるいは主人公であったり、あるいはヒロインであったり、脇役や悪人の時もある。
一作品一キャラという原則なども無くて、回によっても変わったりする。

こういう超浮気性というか、移り気の多さを持って「感情移入している」とまで言えるのかどうかすら分からなくなりますが、僕としてはそのつもりなのです。

例えば…「あの日見た花の名前を僕はまだ知らない。」。
この作品の場合、僕は特定の個人というよりも超平和バスターズの「めんまに会いたい」という気持ちに強く共感致しました。

動機はどうであれ、亡くなった大切な人にもう一度会いたいと思う事って、凄く分かるのですね。
亡くなった祖父母や叔父に会いたい。
夢にまで見るし、想像するとそれだけで目頭が熱くなるくらい、切望している。
なにか後悔があるとか、会って何かしたいという訳では無いのですが、兎も角理屈で無くて「会いたい」のです。

だから、そういう展開になる事を切望していましたし、実際にそうなった最終回は脱兎の如く目を泣き腫らしました。
一瞬だったとはいえ、バスターズの皆とめんまが"再会"したシーンには、感動を禁じ得なかったのです。

あまりにも泣かそう泣かそうとしていた作劇に辟易してしまったという"否定派"(敢えてこういう断定的な書き方をします)の意見も分かるんですけれどね。
(作品全体的に)全く感動を覚えなかったという意見も同様に。
これは「感情移入」以前の好みの問題ですから。

と、話を戻しまして…。
やはり何らかに感情移入してみると感動も一入というか。
作品を見た時に覚える感情に大きく影響してくると思うのです。

逆に感情移入を意識的にしない事もある

ここまでは、喜怒哀楽でいう「喜」や「楽」などの「正の感情」が昂ぶられる作品を視聴している時の場合です。
これとは逆に「怒」や「哀」など「負の感情」を刺激される作品に関しては、僕は意識的に感情移入する事をセーブしています。

その代表的なモノが悲しみの感情ですね。
キャラクターが作中で死んじゃったりすると超凹むんですよ。僕って人間は…。
特に感情移入なんてしてたりすると、もう物凄く鬱になるw
2、3日くらい余裕で凹み続けますね。

これは僕自身が「死」というものを徹底的に忌避しているからでもあるのですが…。
それをうだうだ書いたら、つまらない記事が更に目も当てられない位になるので割愛。

さて。この手の意識的にセーブするジャンルは、もう見るからにキャラが死ぬことが決まりきっている作品ですね。
ミステリーやサスペンス等。

最近では「Fate/Zero」とか。
最初からキャラが死ぬこと前提としか思えない物語でしたし、あの虚淵さんの関わっている作品です。
人が死なないわけがない。
しかも結構残虐な死が描かれる…。
さすがに僕も学習します。
「まどマギ」時は読み方さえ知らなかった虚淵さんの作風を少しは学んだのです。

だからキャラ…特に女性や子供・老人等の特に「死んでほしくないキャラ」…には過度に感情移入しないようにしながら見ております。
それでもキャラが死んじゃったら、凹む事は避けられないのですがw
死ぬかどうか知りませんが、アイリが死んじゃったら、間違いなく凹む自信がありますもの。

余談ですが、「金田一少年の事件簿」は卑怯だと思いますねw
僕は堂本版金田一からこの作品に入ったので、佐木竜太には原作派以上に感情移入していました。
彼はドラマ版ではレギュラーだったのですから。
ミステリーでも、レギュラーは死なないだろうという思い込みがあったのです。

でも原作では僅か2度しか出演していないんですよね。(霊魂としての出演は除くw)
初登場の「学園七不思議殺人事件」と殺害されてしまった「異人館ホテル殺人事件」のみ。
だからはじめとも大して仲良く無かった訳で。
死ぬ可能性は、ドラマ版が無ければ十分にあった。
当時は「はじめの友達ですら死ぬことがある」という事を提示する為…という事もあったらしいですが、まんまとこれに嵌ってしまったのです。

その後、佐木人気が異常に高まったり、またトリックにも使えるという事で「佐木2号」として「復活」を果たす訳ですが…。

とまぁ、余談はさておきまして。
基本的にはミステリーなどの作品では(死ぬことがまず無い主要キャラを除いて)キャラに感情移入する事はありません。

「まどマギ」の何が凄いのか

という事で漸く本稿に入ります。
先にも書きましたが、当時僕は虚淵さんの事を全く存じ上げておりませんでした。
その作品群にも触れていなかったのです。

それでもネットをやっていて、アニメを見るために事前に情報収集していればある程度の事は分かります。
曰く「残虐でダークな世界観の作品を好み、これまでの作品は全てそうなっている」というような事ですね。
普段の僕ならば、絶対に「感情移入をしないで見る作品」である事は間違いない。

ただ、これは「まどマギ」に関しては当て嵌まらないと思っていました。
だってさ、あの公式サイト見れば、誰だってそう思っちゃいますよ。
よっぽどの虚淵先生マニアでも無ければ、今回は例外なのではと考えちゃうんじゃないかな。

それくらい放送前の「まどマギ」の雰囲気はハートフルなものだったのです。
ピンクとかふんだんに使っちゃったりして、「ハートフル」という言葉そのものまで使う位w
日常ものなど「見てほっこり出来る」作品を好む僕が、絶対見ようと決意するくらいには、そういう雰囲気を放っていた。
「ひだまりスケッチ」の蒼樹先生の描くほんわかしたキャラクター達も、その想いを強くしてくれていましたし。

後で知ったのですが、虚淵先生自ら「テレビの前の皆様が温かく幸せな気持ちで一杯になってもらえるよう、精一杯頑張ります!」なんて発言もしていたのですね(笑

それでも実際に作品が始まると、「あれ?」という雰囲気にもなりました。
絶対裏があるという臭いがプンプンしたからですw
キュゥべえがクソ妖しかったのです。どう考えても黒幕臭がするほど、妖しかった。
どっかの詐欺師にしか思えない位に、キュゥべえの言葉には含みがあるとしか思えなかったのです。

また、そのキュゥべえと行動を共にするマミも十分に怪しかった。

それでも3話前半までは、何事もなく終わったのですよね。
だからここでホッとした。安心してしまった。
やっぱり今までの虚淵作品とは異質の「どこか暗さがあるけれどもアットホーミングな物語」であると。
それと同時にマミに物凄く感情移入してしまったのです。
すげぇ良い子じゃないかと。疑って申し訳なかったと土下座でもしようかと言う位には彼女に感情移入してしまった。

これがいけなかった…。
まんまと策謀に嵌ったのですよね。

そこからの展開はご存知の通り。
ダーク過ぎる展開が嫌と言う程待ち受けていました。

もうね、マミが死んでしまった時は言葉を失いましたもの。
殺され方が、また残虐極まりないエグイものでしたので余計に。
当時感想を書いていたのですが、他のブロガーさんの感想も読みたくない位のショックを受けました。

多分、3話前半までが前情報通りの「アットホーミングなアニメ」だったら、あそこまで凹まなかったと思うのです。
一度「やっぱり何かあるのでは」と思わせられた事が大きかったんですよね。
そこから「何も無い」と安心させてからの「死」。
一旦安心させといて、そこからいっきに突き落とす。
これにはしてやられました。

放送後、雑誌のインタビューで虚淵先生はこのようなコメントを残しているそうです。

『(さやかを)生き返らせてくれというオーダーにはそれこそ「わけがわからないよ」と答えるしかないんです。
「なぜ君たちはキャラクターに生き死ににこだわるんだい?」と訊き返したくなります。』

何を仰ると。
間違いなく虚淵先生はキャラクターの生き死にに拘る心理を理解していると思うのです。
それを理解した上で、このような大掛かりな仕掛けを施したのだと。
そう僕は思っています。

この作品の凄い点は、やはりシナリオにあると思っています。
4話以降の謎の見せ方やその回答の鮮やかさが群を抜いていたからこそ、今日の人気を得たと個人的には考えております。

でも、それ以上に凄かったのは、若しかしたらこの点なのかもしれません。
ブログでも何度も書いているのですが、ここまで書いておいて僕は「まどマギ」が嫌いです。
シナリオの秀逸さは凄いと思いますし、滅茶苦茶楽しんで視聴していたのも事実です。
その点は認めますが、やはり好きにはなれません。

同じ殺すでも、もっと穏やかな(殺害方法に穏やかもクソも無いですが)方法だってある筈。
何もあんな殺し方をする事は無かったと思うのですね。
マミを好きになってしまったから、好きにさせられたから、こういう強い感情を持っている訳ですが。

嫌いな作品ですが、このインパクトが強すぎて忘れることはきっと無いと思います。
感情移入と言うものを上手い事コントロールされて、キャラを好きにさせられたからこそ、記憶に深く刻まれてしまった。
こういう体験をしたのは僕だけなのかもですが、凄く巧みな作品であったと思うんです。


でも、も〜騙されないぞw