アニメな日々、漫画な月日

アニメ、漫画の感想・考察

京アニは原作を読み込んでいるから支持されているのではという私見

この記事は

京都アニメーションは原作を読み込んでいるから好かれているのではという考察記事です。
原作「涼宮ハルヒの憤慨」のネタバレがありますのでご注意下さいませ。

スタジオや監督で作品の良し悪しが決まるのかどうか?

漫画やラノベ、パソコンゲーム等々。
そういった分野の作品のアニメ化が発表される際、結構頻繁に聞かれるのが
「制作スタジオや監督へ対するガッカリ感」
だったりします。

僕はアニメを見る際、スタジオがどこかなんて殆ど気にしませんし、監督等スタッフに関しては門外漢甚だしいといいますか…。
全くもって知識も無いので、気に掛けることすら無いですが…。
やはり気にされる方は気にされるのでしょうね。

昔自分の好きな原作がアニメ化された際、その方にとって納得いかない出来だったのでしょうか。
それで、監督やスタジオを覚えて「彼らが作る作品は信用できない」等々のレッテルを貼っていらっしゃるのかな。

このスタジオや監督に対する「アニメ制作発表時に起こる」批判。
つい先日も「リトルバスターズ」の時に多く見かけました。

その際「何故京アニじゃないんだ」という意見も多く見ました。
僕はパソコンゲームをやりませんので「リトルバスターズ」が何かすら知らなかったのですが、このゲームを作ったメーカーの作品が、過去京アニによって何作もアニメになっているようで。

だからこの作品も「京アニに作って欲しい」と望むファンが多かったのかもですが、それだけでは無いのでしょうね。
恥ずかしながら、このKey原作アニメのただの1作も視聴したことが無いので、酷く見当外れな考えなのかもですが…。
先程の「自分の好きな原作がアニメ化された際、その方にとって納得いかない出来」という真逆の評価が多いから。
つまりは、京アニの作ったアニメが多くのファンにとって素晴らしい出来だったから、今回も京アニに作って欲しいという声が大きいのかなと。

そんな京都アニメーション。
僕はこのスタジオが原作ファンから好かれているのは、制作スタッフがその原作を深く理解した上で作っているからなのではと思っています。

「けいおん!」シリーズに見るアニメ化の巧みさ

京都アニメーション。
ここが支持される理由も当然一つな訳無いですよね。
単純に作画が綺麗だから…とか。よく動くから…とか。
他のスタジオへの評価にも見られるであろう事も当然のようにあると思います。
それこそ、京アニ好きな人の数だけ好きな理由があるんじゃないかな。当たり前ですがw

僕も最初は単純に画が綺麗だなと思いました。
「フルメタル・パニック?ふもっふ」の時ですね。
当時OP映像を見て度肝を抜かれた事は今でも鮮明に記憶しております。

当時僕は、深夜アニメはゴールデンタイムに放送されていたアニメと比べて、見た目のクオリティが低いものという認識を持っていました。
そんな時、たまたまザッピング中に見かけた「ふもっふ」のOPの綺麗な映像に目を奪われたのです。
かなめが舞い散る紅葉の中、回転しているシーンとかヤバかったですもの。

深夜アニメでこんな物凄い映像を見られるなんて…

アニメのなんたるかを全く知りもしなかった小僧の戯言でした。
まぁ、今も当然アニメのなんたるかなんて分かっていませんけれどもw
とはいえ、それ程の衝撃を受けたのです。
当時は京アニが作っていたなんて知らなかったですし、確認すらしませんでしたが。

でも武本監督の名前はこの時憶えました。
内容自体毎回ゲラゲラ笑えて、大好きになったからというのもありましたが、この監督は凄いとか思ったのかもです。
当時何故監督の名前を記憶したのか、その理由は今となっては憶えちゃいませんが。
(そっか。これの反対の現象が切欠となってスタジオや監督批判に繋がるのかもですね)

と、長い事脱線しました。
僕の京アニとの出会いなんてどうでも良いですw
この記事の趣旨からは外れていますので。

えっと。そうそう。
前のセクションでも書きましたが、京アニは原作を読み込んでいるから、原作ファンから支持されるんじゃないかなと思っていまして。

その僕の考えの根拠を2点ほど書いてみます。
という事でやっと本論に入れますw
1つ目は「けいおん!」です。

僕は1期終了後に原作コミックスを買い漁った立場ですので、「原作ファン」とは呼べないかもですが…。
それでも2期は「原作を事前に知っている人間」として、毎回「凄いな〜」と思いつつ視聴しておりました。

何が凄いってシナリオですよ。
原作のエピソードを上手に補間したり、繋いだりして、正味20分弱の作品に仕上げている。
これが凄いと感じていたのです。

「けいおん!」って原作は4コマ漫画なので、普通のストーリー漫画等々に比べると脚本のオリジナル要素の比率ってグッと多くする必要があると思うのですね。
最近の4コマ漫画って、ストーリー性が濃くて1話(多くは8ページ以下かな)で1つのエピソードを描いていたりしますが、それでも20分弱の尺にするには短すぎる。
だから、複数のエピソードを繋げたり補間しないといけない。
若しくは「サザエさん」みたいに3本立てにするのも手だと思いますが、例えそうしてもオリジナル要素の追加は必須かなと。

なんにせよオリジナル部分は必要で、「けいおん!」はそこが非常に上手かったんです。

一つ例を出してみます。
「#18 主役!」です。
律・澪のロミジュリ練習回ですね。

ロミオ役に決まってしまった澪。
彼女の恥ずかしがりな一面を克服させようと、ムギの伝手でバイトをする事になるというお話でした。

原作の「喫茶店でのバイト」は、澪が「恥ずかしいからライブに出たくない」というのを克服させる為にバイトをするというエピソードでした。
「ロミジュリ」回は原作でも別にあって、この2つに相互関係は無いんですよね。

それをアニメ化するにあたって、(バイトを行う)動機の本質部分はそのままに上手く繋いでいたのです。


他にも随所にこのような部分が見て取れて、原作を知っているからこそ楽しめるアニメになっていましたし、原作ファンも納得のアニメだったのではないかなと。
これってスタッフが相当原作を読み込んでいないと出来ない事なんじゃないでしょうかね。

原作読了後に覚えた「涼宮ハルヒの消失」への感動

2つ目の根拠はこれです。
僕にとってつい最近の出来事なのですが。

映画「消失」は大好きな映画で。
3回だか4回は劇場に足を運びました。その後BDでも3回くらい見ているので、相当好きな作品だと自負しております。

そんな「消失」でしたが、つい最近まで原作を知らずに鑑賞していたのですね。
だから、ラストシーンの解釈が今一つ出来ていなかった事を最近知ったのです。

過去改変から生還したキョンと長門が病院の屋上で語らいあうシーン。

この部分、他の方の感想を読んで原作とは改変されたシーンという事は当時から知っていました。
最近原作を読んで、その事を理解しました。
原作では、屋上では無く病室なのですね。

会話の内容等々は(比較していませんので断言は出来ないですが)一緒でも、シチュエーションが異なっていました。
当然舞い落ちて来た雪に対してキョンが零した「ゆき」という"雪"の事なのか"有希"の事なのかどちらとも取れるような甘酸っぱい事を予感させるシーンも無く。

原作「消失」読み終わった時点では、「あぁ、このくだりがアニメオリジナルだったのか」という理解に留まっておりました。
これが実に甘かったとは、この時は全く思ってもおらず。

衝撃を受けたのは、「消失」から4巻も先の「憤慨」を読んだ時です。
この巻に収録された中編作品「編集長★一直線」の中に長門の書いた小説が出て来ます。
その中で以下のような文章がありました。

空から白いものが落ちてきた。たくさんの、小さな、不安定な、水の結晶。
それらは地表に落ちて消えゆく。
時空に溢れている奇蹟の一つだった。
この世界には奇蹟がありふれている。私はずっと立ち止まっていた。
時間の経過は意味をなさなくなっていた。
綿を連ねるような奇蹟は後から後から降り続く。
これを私の名前としよう。
そう思い、思った事で私は幽霊でなくなった。
(「編集長★一直線」より抜粋)


そしてこの文章の次のページに、1枚のイラスト。
映画の版権イラストで良く見かけた、長門が降り注ぐ雪に両手をかざしている構図のイラスト。


(↑アングルなどは違いますが、こんな感じのイラスト)

衝撃でした。
なんという浅はかな解釈をしていたのかと。
舞い落ちる雪と長門。そして「ユキ」というセリフ。
劇場版「消失」でも間違いなく最大の見せ場のシーンですよね。

この世界を受け入れたキョンが、長門の為に全力で想いを吐露する屈指の場面。
そこに差し込まれたシーンがアニメオリジナルな訳が無かった。

原作の病室内での描写が好きだというファンからすると余計な改変になったのかもですが、僕なんかは心から「京アニすげぇ」と思っちまいました。

実際の制作過程を僕は知りません。
原作者である谷川先生が「憤慨」のこの部分を入れるよう提言したのかもしれませんし。
だから間違った解釈なのかもですが、この事を知って「京アニは原作を超読み込んでいる」と考えました。

「消失」とは直接関係の無い「憤慨」まで読み込んで、このシーンを使おうと決めた…のだと…。

なんかインタビューやら解説本などで、既に「真実」がスタッフから語られている可能性が超高い今更感甚だしい事を長々書きましたが(笑)
そういうの本当に知らないので、ご容赦ください。

スタジオや監督で作品の良し悪しが決まるのかどうか?

という事で、最初に戻って。
この質問には僕はNOだと答えたいですね。

ただ、スタッフも人間ですし、アニメ作りを本当に「仕事」だと割り切っている方や、考え方の違い等から「原作アニメ化に向いていない」方も実際いるんじゃないかとは思います。
とはいえ、それを考慮しても「原作を知らない」とか「読んでない(プレイしてない)」等々の発言は慎んで頂きたいとは思いますが…。
たま〜に、この手の発言を目にしますので。

閑話休題。
長々と京アニについてだけ書きましたが、京アニに限らず、スタッフが原作をしっかりと理解して作られた作品というのは、得てしてファンからしても心から楽しめる作品になっているんじゃないかと思うのです。
原作付きアニメに対するファンからの賛否って、そういうので決まることもあるんじゃないでしょうか。

さてさて、いよいよ京都アニメーションの新作「氷菓」が始まります。
これも原作アリなようですね。
ファンからの「氷菓」の評価は如何ほどか。
きっと原作ファン納得の作品になり、原作ファンだからこそ楽しめる作品にもなるんじゃないかと期待しています。