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「偽物語」 僕が抱く違和感の理由〜「化物語」との差異に関する考察

この記事は

「偽物語」に関する考察記事です。
ネタバレありますのでご注意下さいませ。

徐々に増す違和感

「偽物語」。
面白いです…が、どうもいまひとつ乗り切れない部分があるのも事実なのです。
面白くて毎週欠かさずリアルタイムで視聴はしているのですが、「化物語」の時ほど嵌らない微妙な感じがあります。

原因はやはり一つのエピソードの長期化にあるのではないかと思っていました。
特に前半…というか「偽」の大半の話数を費やした「かれんビー」編の事ですが。

7話使って描かれたこのエピソードでしたが、しかし、結末は呆気ないと言っても良いくらいのものでした。
とはいえ、「化物語」までを振り返ってみても、殊更「呆気ない」訳では無くて、寧ろ程度的には同じだと思います。
「化」の時も劇的に盛り上がった結末というのは無かったですから。
でも、呆気ないと感じた事って無かったのですよね。
それなのに今回に限り呆気なさを感じてしまったのは、やはり7話もの話数を費やしたからなのです。
物語の尺って長ければ長い程、スペクタルでスペシャルなクライマックスを期待しちゃうんですよね。
こんな事僕だけの感覚なのかもですが、どうしたって無意識で期待を膨らませてしまうのです。
今回も勿論心の片隅でそういう期待をしてしまっていたようで。
だからこそ、「かれんビー」編に限って、クライマックスの呆気なさを感じてしまったようです。

これこそが、僕が「化物語」に比べ、やや「偽物語」に乗り切れないと感じる理由なのだと思っていたのですが…。
どうやら違ったようだという事にここに来て気づきました。

「化物語」の物語構造との違い

その前に「化物語」を思い返してみます。
2009年7月に放送が始まった同作は、翌年6月まで全15話で纏められました。
中身は5つのエピソードで構成されており、基本的には各章のヒロインに憑りついた怪異を、忍野の助言で暦が祓っていく(ヒロインを助ける)というものでした。
この辺は、忍野が居るか居ないかの違いだけで、「偽物語」と大差ないですよね。

ただ物語の描き方が「偽物語」とは大きく違うのではないかと思うのです。
「化物語」って思い返すと、やはりヒロイン達の印象が途轍もなく濃く残っているのです。
5人とも強烈な個性を遺憾なく発揮していたな〜って。
それというのも、各ヒロインが主役を張ったエピソードで大活躍していたからだと思うのですよね。
物語を通しての主人公は暦である事には疑いの余地はありませんが、それ以上に各ヒロインが前に出ていた印象なのです。
「ひたぎクラブ」の「主役」は戦場ヶ原ひたぎであり、「まよいマイマイ」の「主役」は八九寺真宵であった。
ヒロインが皆「主役」であった。

これが「偽物語」との最大の違いであり、僕の違和感の真の正体なのだと思い至ったのです。
どういう事かと言いますと、「偽物語」って「主役」までも暦なのですよね。
暦を中心に、暦の目線で物語が描かれている。
だから本来主役であるはずの火憐や月火が当たり前のように出て来ない事だってある。
折角出て来ても、結果が先に提示されて経過は回想という形で暦に(視聴者に)伝えられる。

火憐も漸くフルに出て来たと思ったら貝木にやられた後だったし、今回10話での月火も一瞬でやられてしまい。
ヒロインなのに、どこか物語から外されている印象が強いのですよね。
本人達の意志の外で、物語が進行して解決しちゃっているというか。

ヒロイン目線で語られていた(という印象を持つ)「化物語」とは違って、暦目線で語られている「偽物語」。
端的に表現すると、「化」は「ヒーローによって怪異から救われる少女の物語」。
「偽」は「怪異に憑かれた少女を助けるヒーローの物語」といった感じでしょうかね。
主語が入れ替わっただけで物語の構造自体は同じですが、語り部が違うだけでこうも印象が違うものなのかと感じています。
ヒロイン中心のお話だと思っていたからこその違和感であって、「偽物語」は「化物語」とは違うのだと思う必要性がありそうです。

「偽物語」になってからオープニングのクレジットに何故か暦だけが表示されるようになっていて、不思議に思っていたのですがなんとなく納得しました。
「化物語」は5人のヒロインの物語で、「偽物語」は暦の物語なのかもですね。